ジビエの構造

イノシシやシカの増加に応じて、捕獲数も増加しています。

その結果、捕獲した個体の処分にかかる費用や行政上の負荷が増加するという問題が生じてきました。

場合によっては1頭分の焼却処分に数万円の経費がかかるというような状況も聞かれます。

そこで、最近よく耳にするようになったのが「ジビエ」という言葉です。

野生鳥獣の肉を食品として活用することで、処分の重荷を資源に変えようという試みが進んでいます。

今回はジビエに関する仕組みについて調べていきます。

その結果、様々な課題があることが分かりました。

① 成り立つものなのか

大型哺乳類によって生じる問題の背景(リンク先②)」でも紹介したとおり、獣肉(野生動物の肉)が売れなくなり狩猟者が減少した理由は畜産の復興です。

現在は外国産の食肉(畜産物の肉)に押されて、その国内の畜産業界のほうですら厳しい状況に置かれています。

これまでの流れから見ても、現在は、獣肉が売れてジビエ産業が成り立つ環境ではありません

加えて、ジビエでは捕獲による獣そのものの確保が不安定で、質もばらばらであり、畜産に比べて安定的な運営が非常に難しい分野です。

実際、これらの厳しい背景を見誤って設置された行政主導のジビエ処理場が全国に見られ、ほとんどが赤字となっています。

しかしそのような状況にも関わらず、最近では国もジビエの振興に予算をつけ始めています。

ソース:こんなこともやっている
※「ジビエ利用拡大に関する関係省庁連絡会議」で検索すると状況が分かります

獣肉は、おおむね100gあたり500円程度と非常に高価です。

ほぼすべての処理場が小規模で運営しているため、なかなかコストを下げられません。

そもそも小規模の供給であったために500円/100gでもなんとか買い手が見つかっていたものが、ジビエ処理場が乱立することになれば供給過多となり、獣肉の価格が大幅に下落する結果が見えてきます。

行政主導で設立されたジビエ処理場では赤字を抱えても税金が投入されて無理やり事業が継続されやすいため、需要側(レストラン等)の要求に押されてズルズルと獣肉価格を下落させる装置となってしまうでしょう。

これまで辛うじて黒字を保っていた優良なジビエ処理場も多大な影響を受けることになります。

つまりジビエという産業は、全国的な捕獲個体の処理の問題を解決するレベルの仕組みには、健全な状態ではなりえないのです。

② ジビエという言葉と市場のニーズ

実は「ジビエ」という単語は、本来シカやイノシシのみをさす言葉ではありません。

本場フランスではカモ、キジ、ヤマシギのような鳥類がジビエとしてはメジャーで、これらが珍重されています。

日本では”珍しいものが食べたい”という意欲がジビエの入り口となる傾向が強く、フランスのように生活に根差した安定的なものではありません。

日本では「歴史と文化による価値」を持っていない食材なのです。

本物志向や”珍しいもの志向”へとジビエが向かっていけば、ジビエ処理場の乱立と相まって、シカやイノシシのような”ありふれたもの”への需要は小さくなっていくでしょう。

”珍しいもの”の価値が高くなり、希少な鳥獣を狙った捕獲が多くなるという全く望ましくない結果が生じる可能性あります。

カモ、キジ、ヤマシギのような被害を出していない生き物が狙われるだけでなく、これまで活躍していた狩猟者もシカやイノシシを無視して鳥類をメインに捕獲を始めるような損害となる誘導効果も発生します。

実は鳥類のほうがサイズが小さく、輸送や処理が簡単で骨や羽などの廃棄物もサイズが小さいため、専用の設備が不要で加工や流通に乗せやすいのです。

珍しいものを食べたい消費者は”レアな食材”ほどお金を出します。

これらの意識とそこへ流れる市場原理は行政にはコントロールできません。

そうなれば、シカ・イノシシの捕獲個体の処分という当初の問題から全く離れた産業になるかも知れません。

被害の抑制やシカやイノシシの個体数の抑制のために始めたものが、逆効果であり、別の部分にも問題を生じさせる結果となります。

「ジビエ振興」という言葉はそういった危うさを持っているのです。

③ 衛生上の課題

牛、豚、鶏のような畜産の分野では、食肉検査を行う獣医師が自治体の職員という立場で配置されており、食品としての安全性が保たれています。

この検査員は自治体から給料が出ていますので、自分が検査した肉について廃棄を判断したとしても、自身が損をすることはありません。

それ故に客観的に検査を行うことができます。

ところがジビエには、どのような背景を持つか分からない野生動物が相手だというのに、そういった客観性を持った仕組みが全くありません。

近年ではジビエ処理場に関するガイドラインが作られ始めていますが、あくまでガイドラインであり、食肉の分野のような法的な強制力はありません。

ソース:厚生省ガイドライン

ジビエ処理場で検査を行うのは獣医師でもなければ、自治体職員のような第三者でもありません。

経営が傾けば自身が路頭に迷うようなジビエ処理場の職員です。

利害に直接関わる人が、間に合わせで検査を行っています

その環境で、適切な検査が期待できるでしょうか。

シカやイノシシを処理場に運び込んでも、すべてが肉になるわけではありません。

骨や皮、傷んでいたり病気になっていた部位は廃棄物となります。

廃棄物はお金にならないどころか処理のコストを発生させ、ジビエ処理場の運営を圧迫します。

職員は検査の中で「無理に売って利益を得る」と「大事を取って損害を出す」のどちらかを選ぶことになります。

実質的に検査をしない(したことにする)処理場すらあります。

あまりに危うい仕組みで国産のジビエは市場に出回っているのです。

こういった仕組み上の問題を受けて、自治体の職員が獣肉の検査を行うことも検討され始めています。

しかしそれは、「捕獲個体の処理にコストがかかるから」始めたジビエ振興から見れば、到底納得できるコストとはならないでしょう。

④ ジビエのリスク

2018年に国内のイノシシ個体群に豚コレラウイルスが侵入しました。

口蹄疫や鳥インフルエンザが国内で過去に発生した際も議論されていたのですが、野生動物と家畜との間で広がる感染症のリスクをどう抑えるか、という問題がジビエにはあります。

家畜の疾病は野生動物と共有のものが多く、互いに行き来します。

畜産の分野では飼育者がいて常に農場単位で感染症が把握されているのですが、野生動物は個体ごとにバックグラウンドが異なり、それぞれ全く素性が知れない相手です。

個体ごとの検査が必要となれば、畜産の分野に比べて圧倒的に多額のコストがかかることになります。

豚コレラのように肉の内部にウイルスが残るような感染症では、その肉の流通は畜産の分野へ感染を広げうる非常に危険な存在となってしまいます。

野生動物を捕獲し移動させる行為そのものも、細菌やウイルスを同時に運びうるため感染症を拡大させる主要な要因となりえます。

現在ジビエは「死体の処理コストを下げるため」に有用とされているのですが、畜産の分野へ桁違いの損害を生じさせるリスクがあるのです。

豚コレラは国内の野生動物ではイノシシのみの感染する感染症であるため、実はこれでも影響は小さいほうであると考えられます。

口蹄疫や鳥インフルエンザのような、宿主域が広くて多種多様な生物に感染する疾病が国内に侵入・定着した際は、はるかに大きな問題となるでしょう。

肉としての競合に加え、こういったリスクの面からも、産業としてのジビエと畜産の両立は非常に困難なのです。

⑤ 目的と思惑の不一致

環境省および農水省は、シカやイノシシの個体数について平成35年までに半減させることを目標としています。

ソース:抜本的な鳥獣捕獲強化対策

捕獲の足かせとなっている捕獲個体の処分をジビエによって解決し、それによって捕獲個体を伸ばし、シカやイノシシを減らすというストーリーです。

では、ジビエ処理場は、シカやイノシシが半減した状態で経営が成り立つのでしょうか?

ジビエの処理業者は、シカやイノシシの個体数半減に賛同し、協力するのでしょうか?

この部分に、ストーリー上の大きな矛盾があります。

ジビエ産業の側に立った視点で見れば、他の多くの問題とは真逆で、シカやイノシシは多ければ多いほど望ましい状態です。

シカやイノシシが多いほど安定的かつ低コストに資源が確保でき、ジビエ処理業者は利益を上げることができます。

多いほうが望ましいという立場は狩猟者の利益(リンク先②)とも合致しています。

シカやイノシシが多いほど、狩猟者は獲物を簡単に獲ることができるからです。

そして、この2者が協力することで、鳥獣を減らさない方向へと強力に誘導することが可能です。

例えば、ジビエ処理業者はオスに対して捕獲が向くように仕入れ値を誘導することで、シカやイノシシにおいては個体数の抑制を緩和することができます。

あるいはジビエ処理業者が協力的な特定の狩猟者のみと契約・支援し、一定の地域に入る狩猟者数をある程度コントロールすることも可能です。

つまり個体数の抑制にこれまで貢献してきた、自分で食べるために獲物を狙うハンターや新規のハンターを排除するのです。

狩猟者の世界では、「ナワバリ」と呼ばれる、ある地域に狩猟に入る人を制限し獲物の数を維持しようとする不文律があります。

捕獲圧をコントロールしようとする、つまり相手を減らさないように捕獲を制限する前例が既にあるのです。

仕入れ方に限らず、ジビエ産業側の要望及び狩猟者の要望の形でタッグを組み、捕獲への補助や制度そのものについて口を出すこともできます。

例えば「ジビエ利用以外の個体数抑制策は取るべきではない」「ジビエ利用に協力する捕獲者を優遇せよ」というようなものです。

捕獲個体の処理の問題をジビエ産業によって解決しようというアイディアは、それぞれの立場と思惑を完全に無視したものなのです。

シカやイノシシの個体数が減ればジビエの単価が上がり、生産量が減っても大きな損失は出ないだろうという意見もあります。

しかし生産量の減少と単価の上昇は、日本より高度に整備された衛生基準を持つ外国産のジビエが流れ込む圧力を生み、国内のジビエ処理業者が壊滅状態に追い込まれることにつながります。

これは林業のような他の産業でも見られた構図です。

生活がかかったジビエ処理業者は、シカやイノシシの個体数の減少とそれによる価格の高騰に最大限の注意を払って行動することになります。

あるいはシカでは、養鹿(ようろく)という方法が国内で主流になってしまうかも知れません。

飼育して繁殖させたシカによって安定的に安全な獣肉を供給する産業は、市場ではしばらく喜ばれるかも知れませんが、野生のシカの問題とは全く無縁です。

ジビエという産業を整備すれば、鳥獣被害における利害関係者を増やし、被害管理を難しくする可能性が大きいのです。

⑤ なぜこうなった?

なぜこのような、野生動物から見ても、消費者から見ても、ジビエ処理業者から見ても無責任な施策が打たれているのでしょうか?

その根底には情報量のねじれがあります。

鳥獣被害を受ける住民の多くが「昔は獣肉が売れたから猟師が多くいた」という猟師の言葉を「獣肉が売れれば捕獲が伸びるだろう」と単純に解釈している現状があります。

「なぜ獣肉が売れなくなったのか」についての情報、つまり畜産の存在が忘れ去られているのです。

「売れれば捕獲が伸びる」との声に押され、あるいは同様に単純に考えた行政のトップがこういった施策を打つ結果となっているようです。

実際、ジビエに関する事業の多くはトップダウンで組まれています。

行政のトップは人気が落ちれば解雇される究極の短期雇用であるため、住民の意見を聞き入れた後に起こる不具合は二の次です。

残念ながら研究者の中にも、社会全体の利益以外の思惑をもって行動する人が存在します。

野生動物の研究では野生動物の血などのサンプルを得ることが非常に難しく、まとまった数のサンプルが手に入る仕組みはとても大きな研究上の価値があります。

そのため、ジビエ加工場に付随するサンプル収集機関としての機能を狙って「ジビエを推し進めるべきだ」との意見を述べる専門家もいるのです。

こういった思惑や利害に加え、ジビエという発想を生む構造を、まずは多くの人が理解する必要があります。

今後も、コストの削減が主目的であったはずのジビエが、多大なコストを生じさせる結果とならないか、注視していこうと思います。

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