ノラネコ論争

近年、ネコについての議論が多くなっています。

人の目線では、屋外で飼っている猫が近隣の住民の庭に糞尿をするというような被害や繁殖期の騒音等のトラブルが多く取り上げられます。

一方で、野生動物への影響についても深刻なものがあります。

ソース:米国科学者の警鐘

ネコは本能に従って多くの小型野生動物を殺傷しており、特に希少な生物の多い離島で猛威を振るっているのです。

ソース:環境省もシンポジウム

なぜこのような状況が生まれているのか?

野外のネコに関する諸問題について、制度や思惑の構造をまとめました。

① ネコの扱い

ネコは現在、世界中でペットとして飼われています。

ネコはもともと、ネズミによる穀物等の被害を抑える目的で世界中に広まっていったと考えられており、家畜化前の野生の状態と姿形が大きく変わらぬまま現在に至っています。

ところが今となっては、ネズミ対策としてネコを飼っている人はほとんどいません。

当然、そんな人側の都合にネコが合わせる訳もなく、ネコは本能のままに小動物を狩り続けています。

人との関わり方から、ネコには呼び方がいくつかあります。

飼い猫 主に室内飼いのネコと地域ネコを指す。

動物愛護管理法に含まれる生物。

一部、ノラネコが含まれている場合もある。

ノラネコ 生活を人に依存するが、飼い主を持たないネコを指す。

飼い主がいるのかどうかは厳密には整理・判断が難しく、問題を大きくしている部分。

地域ネコ ある地域で行政的にネコを管理する仕組みを整備した場合、その地域のネコをこう呼ぶ。

この呼び名は適切な制度が無い地域でも勝手に使われることがあり、問題となっている。

この制度が運用される地域でも、根本的な問題の解決には至っていない。

ノネコ 鳥獣保護管理法上(狩猟法)の呼び方。野生動物。

人に依存せず、完全に野生下で生活しているネコを指す。

実は狩猟鳥獣に入っており、法律上は個人で狩猟可能。

このように、同じネコでも色々と扱いが分かれており、ネコを一目見ただけではどのくくりに当たるのかが分からない状態になっています。

この曖昧な定義づけの結果、全国的に多くの弊害が生じています。

一つは、行政的なネコの受け入れです。

基本的に正当な理由で要請があれば、当局はネコを引き受けなければなりません。

しかしネコの受け入れをあの手この手で拒む保健所や動物愛護センターが増えているのです。

これは、保身のためです。

イヌやネコの殺処分を多く実施して目立ってしまうと、愛護団体から苦情の呼びかけや情報開示請求のような苛烈な攻撃を受けることが多くなります。

そうならないよう、そもそも引き取らないように予防線を張っているのです。

表向きには「誤って飼い猫を引き取った場合は窃盗や器物損壊のような罪に問われる可能性があるので引き取れない」あるいは「ネコを捕獲する行為自体が適法かどうか分からない」等と言って断っているようです。

これらの理屈が通るのであれば、ノラネコを引き取って飼育する行為の多くも違法性が問われることになります。

しかしそちらは推奨される事が多く、言い分にかなり無理があります。

そもそも、ネコに対する行政的な判断と対応ができない状態そのものを放置していて良いわけがありません。

これでは行政的な責任を放棄しているに等しく、後述するようにネコと人の福祉上も全く逆効果となります。

飼い猫について、まずはリード(引き綱)の義務化、外飼いの原則禁止等の対策が早急に必要です。

この場合の外飼いには、例えばネコがそれより外に出られないよう十分に対策がなされた庭やテラスなどは含まれません。

つまりネコを一目で「飼い猫」と「野生のネコ」のどちらか分かるようにすべきであるということです。

② 外飼い・餌付けの問題点1

ネコの室内飼いは、犬と同様に何の問題もありません。

多くの問題が生まれるのは外飼い(ノラネコ)や屋外での置き餌行為です。

これらの行為は、ネコ側の観点でも弊害ばかりが存在します。

まずは感染症のリスクです。

ネコが屋外に出れば、感染症にかかる可能性があります。

ワクチンをうっていても、猫エイズ、伝染性腹膜炎、伝染性貧血等の感染症は防ぐことができません。

そして飼い猫に対してこれら感染症の主要な感染源となっているのが、ノラネコです。

絶滅が危惧されるツシマヤマネコやイリオモテヤマネコに対しても、感染症の主要な感染源はノラネコであると考えられており、大きな問題となっています。

交通事故のリスクも存在します。

毎年膨大な数のネコが交通事故にあっており、交通事故による死亡数だけで見ても保健所による安楽殺を大きく上回っていることが明らかになりつつあります。

ソース:大分市の統計例

ネコが無制限に繁殖してしまえば過密状態になり、栄養状態や衛生環境が悪化し、感染症や事故のリスクを増加させることになります。

屋外での繁殖の結果生まれた子ネコは、カラスやヘビ、その他中型哺乳類に捕食・攻撃される可能性があります。

大雨、台風、豪雪なども襲ってきます。

ノラネコは、生まれた分だけ、どこかで死んでいます

人の目につかないだけ、あるいは目をそむけているだけです。

感染症や多くの事故、餓死、天敵等によるネコの死は、安楽死に比べれば苦痛に満ちた無残なものです。

飼い主にケアされ、看取られるようなものではありません。

こういった”死に方”は、ペットを家族として扱う人には到底耐えられるものではないと思います。

外飼いや屋外での餌付け行為がネコへの接し方として当たり前に行われていることが、動物福祉上の最大の問題なのです。

③ 外飼い・餌付けの問題点2

外飼いや餌付けをする理由に目を向けてみましょう。

前述のとおり「閉じ込めるのが可哀そう」という理屈は通りません。

実際は「リードも無く外に出すのは危険で可哀そう」なのです。

幼い子供を、親の目も手も届かぬ場所へ放り出すようなものです。

では外飼いをする根本的な理由は何なのか?

それは糞尿の世話、爪とぎや室内遊びの回避が正直なところでしょう。

つまり面倒だから、楽をしたいからという理由です。

外飼いでは、ネコが病気や事故で治療が必要になっても気づかない場合が多く、もし気づいたとしても放っておくことができます。

そして何より、ネコが苦しみ続ける場面や死ぬ場面を見なくてすみます。

ネコを見なくなっても「あのネコはどこか別の場所に行ったんだろう」と自分を納得させ、精神的なショックを回避できます。

これが外飼いをする心理です。

苦しむ場面、死ぬ場面さえ見なければそれでいい。

「責任を回避しながらネコを手軽にかわいがりたい」という、実に自己中心的な態度です。

これはペットに対する責任の放棄そのものであり、全く擁護できません。

ほとんどのペットは人の寿命に比べてはるかに短命です。

動物の飼育には、その死をみとることも含まれます。

外飼いはもはや「ペット:伴侶動物」とは呼べないネコとの関わり方なのです。

屋外での餌付け行為もこの態度と同じです。

餌をあげてその場の充足感を満たし、責任は何一つ負いません。

それはネコを思った行為ではなく、無残な死体を増やし、ネコと人との軋轢を生じさせる行為です。

外飼いや餌付けはペットの遺棄と同様、厳しく批判されるべきものなのです。

④ 人への悪影響

外飼いは人に対しても悪影響を与えます。

一つは、ネコから人に感染する疾病である、人獣共通感染症のリスクです。

ネコ由来の感染症では、発熱や頭痛・腹痛・吐き気等の一時的な症状を引き起こす細菌性のものが多いのですが、一部では重症化して後遺症が残ったり命に関わる場合もあります。

特に妊婦が感染した場合に胎児に重篤な症状を引き起こす、トキソプラズマ症というものがあります。

潜在的な影響がまだ分かっていない部分も多く、トキソプラズマの感染によって人の行動にも影響が出るとする報告も多く見られます。

ソース:交通事故発生率の増加

そして外飼いや野外でのエサやりは、それによって迷惑や被害を受けている人、ネコが苦手な人に対し、ネコそのものへの強い拒絶感を与えることになります。

人間同士の近所トラブルが発展するような形で、「人に対する憎しみがネコに向く」場面も多く見られるようになりました。

実際、ネコの糞尿被害等への反発を背景として、毒餌がまかれたりネコへの虐待に発展するような事件が多く発生しています。

多様な価値観が存在する社会にあって、ネコの外飼いや野外でのエサやりは、ネコの敵を多く作り、ネコと人との健全な関係の構築へ大きな障害を生む行為なのです。

⑤ 綺麗ごとの代償

近年ではTNR(trap, neuter, return)と呼ばれる、ネコを捕獲し避妊去勢をして現場に放つ活動が多く報道されるようになりました。

「地域ネコ」では基本的にこの手法が用いられています。

しかしこの活動は、先に触れた外飼いの問題点をほとんど解決しません。

無責任で、動物福祉上の問題があり、ネコによる野生動物の殺傷は減らず、人や猫への感染症リスクも変わりません

避妊去勢しても、そのネコは事故や病気により、どこかで命を落とします。

TNRは「ネコの死を見たくない」という感情を満たすために、ネコに対して安楽死のような安寧な死ではなく、苦痛を伴う無残な死を強いるものです。

避妊去勢を盾にして外飼いを正当化するのは、結局ネコのためでもありません。

見えない所で必ず起こる終末から、目をそむけ続けています。

加えてTNRは、ごく小規模な閉鎖環境を除けば、すべてのネコに実施されることが現実的には期待できません。

屋外での餌付けが継続される場合、TNRを実施していないネコの移入と繁殖によって、問題を解決せぬまま延々と避妊去勢を実施するループに陥ってしまいます。

野生動物には環境収容力という言葉がありますが、野外で生活するネコにもこれが当てはまります。

TNRを実施する地域であっても、周辺で繁殖したネコの移入によって結局環境が養えるネコの数の上限が維持されてしまいます。

「ただ避妊去勢する」という選択肢単独では、ネコの外飼いが生む問題を永遠に解決できないのです。

実は法的にも十分には説明できないところがあります。

ネコを捕まえて避妊去勢すればその主体が責任を持って管理する存在(占有物)として一般的には認識されるものですが、その後の面倒を見ずに屋外へ放出すればそれは「遺棄」にあたるのではないか、という疑念があります。

近年、現実的な計画も無く殺処分ゼロを掲げる行政のトップが増えています。

受け入れを拒む保健所、TNRという手法、地域ネコという曖昧な用語が出てきた理由が、こういったトップの発言である地域も多くあります。

複雑にして問題解決を遠ざけ、事態を悪化させているだけです。

近年ではネコをNPO等に譲渡するようなシステムを組み始めた自治体もあるのですが、残念ながら優良で資金力のある団体ばかりではありません。

殺すよりは良いだろうとネコを引き受けた団体が、避妊も去勢もせずに飼育して繁殖が進み、猫屋敷と化している例も既に聞こえています。

ネコを引き受けた個人や団体は永続するものではなく、引き取った人が倒れたり団体が消滅してしまえば、引き取り手の無いネコが残ります。

ネコの引き取りに対価を求め、あるいは寄付金を募って、引き取ったネコは放出するというような団体も出てくるかも知れません。

ネコの譲渡や売買の条件についても十分なルール作りが必要です。

必要となる飼育環境や予算等について引き取り手に十分な情報を伝えず、在庫処分を優先するような譲渡・売買事例も多く存在します。

数字でなく、現在の不十分なシステムをこそ議論する必要があります。

浅はかな票稼ぎのために長期的なネコとヒトの福祉を犠牲にするようなトップを選んでしまわぬよう、候補者の意見の具体性や現実性をしっかりと確認しましょう。

⑥ 動物愛護法の改善点

簡単にまとめますと、動物愛護法には以下のような改善が必要です。

・ペットを室外に出す場合は首輪とリードをつけることを義務付ける
・ペットの飼育に関して届出を義務付ける(あるいは譲渡者や販売店の義務とする)
・屋外での置き餌を禁止する
・販売や譲渡は避妊あるいは去勢されたネコであることを原則とする

実はこれらは既に動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)の第七条に似た文言が書いてあるのですが、努力目標止まりで罰則規定が無いために具体化が遅れています。

この部分に踏み込む必要があります。

動物の販売及び譲渡については、禁止事項を具体化して罰則を強化し、いずれ取り扱いに免許制度を導入する形が理想的です。

これらによって「誰が責任を持って対応するのか」が明確になります。

⑦ 現在外飼いしている場合

現在外飼いをしている人には、現行法の下では以下のような対応を促すべきでしょう。

・家の外でエサをやらない
・家の中へ入れるネコを減らす
・室内で生活する割合が高いネコを完全室内飼いに移行する
・あるいは次の子ネコから完全室内飼いにする
・完全室内飼いのネコを飼い始めたら、他のネコは室内に入れない
・当然その後も、家の外でエサをやらない

外飼いを続けている人は、なかなかやめられません。

それは当然問題なのですが、社会的にそれが許容されていた期間が長かったことを踏まえ、解決には時間がかかることを想定しなければなりません

あるべき姿でネコが人との関係を持てるようになるには、適切な考え方と提案を多くの人に届ける必要があります。

一部の農家(畜舎)では、ネズミ対策のためにネコを飼育している場合があります。

その場合は別のネズミ対策手段をとるか、ネコが敷地外へ出ないよう十分な対策をとってもらうように働きかけることが重要です。

畜舎周辺でのネコの飼育は、飼育動物にとってもネコにとっても人にとっても衛生的ではありません。

もちろん基本的にやめたほうが良い行為です。

⑧ 何を問題とすべきか?

ネコの問題が取り上げられた際に批判にさらされるのは大抵、安楽殺処分を実施している機関です。

しかし保健所や動物愛護センターは実際のところ外飼いの結果生じた問題の被害者に近い立場であり、公的な問題を解決するために汚れ役を押し付けられている場所です。

職員は好んでネコを殺処分しているわけではありません

特に、勤務している獣医師は多くの葛藤を抱えているはずです。

心を痛めながら社会のためにと働いている人に対して非難や攻撃を加えるのは人道ではありません。

相手が違うのです。

批判すべきは、ネコへの無責任な接し方、それを擁護する意見、そしてそれを可能にしている法制度のほうです。

屋外でネコに餌付けする行為、自分が養っている猫を屋外に出す行為をこそ問題としなければなりません。

参考:米国専門家の意見

今生きているネコは、いつか命を落とします。

人の手による安楽殺以上に人道的な命の終え方は、屋外にはありません

何もかも助かるような甘い選択肢は、現実には存在しません。

安楽殺されるネコではなく、餌付けや外飼いをどのように減らすかへ視線が注がれなければ、救えない命が増えていくのです。

本来は環境省が十分にリーダーシップをとって制度環境を整えなければならないのですが、環境省も愛護団体による攻撃を恐れている様子が感じられます。

環境省は地方の事務所を含めて2000人程度の、国の機関としては極めて小規模な部署ですから、連日攻撃を受ければ多岐にわたる重要な業務がストップしてしまいます。

「殺処分数」にばかり批判が集中する状況が続けば、行政的なリスクを軽減するために、見えない無残な死を増やす方向へ環境省も簡単に傾いてしまうでしょう。

そうであるとすれば、ネコとヒトとの健全な関係の構築を真に阻害するのは?

ネコの死に動揺し、怒りの矛先を見誤った人の感情なのかも知れません。

ネコと人のあるべき関係、そしてネコの今後を真に思うのであれば、状況と選択肢を冷静に分析し、的確に意見する態度が必要なのです。

上のタブをクリックすると展開します。