近年、フィールドで仕事をする人やアウトドア活動に関連した外来生物(感染症の病原体を含む)の拡散についての関心が高まってきました。
関連する法律はいくつかあるのですが、国内の非意図的な拡散(気付かずに運んでしまうもの)については実はほぼ何の制御もありません。
特に微生物や発見の難しいサイズの種の非意図的な拡散は、法のみではなかなか対処できないのが現状です。
今回は、各個人で対策する際の基本的な考え方をまとめてみました。
もちろん、生物を全く運ばずに人が移動することはできません。
少しでもリスクを抑えることを目指して、可能なことから始めてみましょう。
外来生物には、工事の土砂・園芸用品・船のバラスト水など、多量の物質の中に紛れ込んで運ばれた結果として定着したものが非常に多くあります。
そもそも生物が未踏の環境に定着するためには、それなりの量の個体が生きた状態で運ばれる事が条件となります。
このため、一人の人が普通に旅をした際にくっついて運ばれるような一回限りの少量の移送では、持ち込まれた生物が定着する可能性は比較的低くなります。
ただし以下のように、アウトドアが好きな人は普通の人に比べリスクが高い部分があるので、その特殊性に注意する必要があります。
・普通の人が入らないような環境に密接な形で侵入する
・道具や機材を持ち込んで使う(道具・機材が“輸送船”になる)
・似たような環境を行き来する(定着しやすい種と環境をつなぐ)
・生体を持ち帰る場合がある(周辺の土、水、有機物も一緒に)
こういった部分が生物の移動と定着を生じさせやすいという事は特に意識しておくべきでしょう。
生物に関する知識をある程度持っている人にありがちなのが、目立つ特定の問題についてのみ対応するという態度です。
例えば「A地域からB地域に移動するが、どちらも(話題の)C生物が定着した地域だから対策を何もやらない」という反応があります。
もちろんC生物に関してはそれでも良いかも知れませんが、現在国内には、問題がまだ顕在化していない膨大な数の外来生物が入ってきています。
そういった未知の生物の移動を予防する視点も重要です。
自分が知っている問題以外にも将来大きな問題を起こしかねない種が多くある事を想定し、異なるフィールドに出かける際の対策を習慣化しておきましょう。
外来生物や病原体の移送について完全を目指すのであれば、使った服や道具を全て燃やすのが手っ取り早いのですが、もちろん現実的ではありません。
一般人が使えるレベルで、全ての生物を完璧に除去できる消毒薬も基本的にはありません。
無理なことを考えても仕方ありませんから、まずはほとんどの生物の拡散対策に有効となる基本的な作業を押さえましょう。
靴、道具、服(自身)を洗いましょう、ということです。
この簡単な作業だけでも、リスクを大幅に減らすことができます。
1.掃除・水洗
外来生物も病原体も、土、泥、枯れ葉のような物質に包まれて移送された場合に生存率が高くなります。
生物を包んで保護するゴミや泥を水洗・洗濯によって取り除けば、意図せず生物を運ぶリスクを大きく減少させることができます。
地面に置く道具、水にくぐらせる道具、草木をかきわける道具などが対象です。
植物の種子のように、付着による移動(ヒッチハイク)を戦略としている生物がくっついている場合も多くありますので、確認しつつ掃除・水洗しましょう。
水道水には微量の塩素が含まれているため、殺菌作用もあります。
消毒薬を使用する場合でも、ゴミや泥が付着していればそれが緩衝材の役割を果たし効果が低下しますので、水洗は必要です。
多くの消毒薬は水分によっても効果が低下しますので、水洗後は水をよく切ってから使用しましょう。
ちなみに、日光にも殺菌作用があります。
可能であれば、道具を洗った後に少し干しておくとより良いでしょう。
2.掃除・水洗のための準備
掃除・水洗を簡易化・効率化するために準備をしておきましょう。
水洗・掃除に手間がかかると形だけの実施になりがちで、洗い落としが生じやすくなります。
楽でなければ十分な形では続きません。
以下のように、水洗や掃除を楽にする工夫をしておきましょう。
・土や草木のくずが入りこみやすい構造が使用された服装を避ける
・マジックテープやボア、フェルトのような素材の装備を避ける
・調査後に水洗しやすい、凹凸の少ない防水性の長靴などを使用する
・付着物を落とさぬよう、使う道具にカバーをかけて移動する
・そのまま水洗できるザックや収納用品を使う
・使用前、使用後で道具の収納場所を分ける
・事前に現地で装備を水洗できる場所の目星をつけておく
続けるために、楽をしましょう。
防疫や外来生物の侵入予防には、一定の方向性があります。
目的をイメージしながら対策を組み立てておくと効果的です。
1.注意すべき環境
特に、孤立した環境へ移動する際は、その前後で対策しましょう。
具体的には、島嶼(海で隔てられた陸地)、独立した湖沼やため池、湿地、洞窟、その他特殊な地形で隔離された地域などです。
孤立した環境は他の多くの環境とは異なった生物や病原体が構成要素となっている場合が多いため、「持ち込まない事」と「持ち出さない事」の両面を考え、移動の前後で水洗や消毒を実施したほうが良いでしょう。
ただ洗えば良いというわけではなく、洗った後の排水にどこ由来の生物が混ざっているか、排水がどこへ流れるか、もできれば考えておいたほうが良いです。
例えばある島に調査に行く際は、まず調査に旅立つ前に道具を水洗し、調査が終了したあとに島内で道具の水洗を済ませて持ち帰る形が良いでしょう。
交通機関に乗る前に付着物を落とせば、移動途中の拡散も起こりません。
調査現場の近くで水洗を済ませられれば最善です。
消毒を実施する場合は、消毒薬等が周辺環境に悪影響を与える可能性もあるため、適した場所へ移動して行いましょう。
2.注意すべき移動の方向
地理的な要因で清浄な地域と汚染されやすい地域が分かれる場合があります。
例えば、河川であれば水の流れが障壁になっていますので、下流から上流へ人が移動する場合は逆の移動よりも生物の非意図的な持ち込みに注意が必要です。
もちろん水系をまたいで移動する場合は上下流に関係なく対策しましょう。
同様に物質の移動の観点から、低標高地から高山帯へ人が移動する場合は、逆の移動よりも注意する必要があります。
汚染(定着)されやすい地域からより清浄な地域へ移動する際には、水洗や消毒を念入りに実施しましょう。
盲点になりやすい部分をまとめます。
1.飼育、栽培のための生体の移送
2.釣りエサ
3.車での乗り入れ
4.ペット同伴での環境への侵入
それぞれ見ていきます。
1.飼育、栽培のための生体の移送について
アウトドアが好きな人は、現地の生物を持ち帰ることがあります。
標本目的であればそこまで影響は出ないと思いますが、飼育・栽培目的の場合は十分に注意が必要です。
まずは、離れた土地から飼育・栽培のために生物を運搬することは大変危険であるという認識を持ちましょう。
飼育のために生物を持ち帰る場合、単体ではなく水・土・周辺の飼育資材を同時に持ち帰ることが多くなります。
生体そのものに加えてこの飼育資材に全く意図しない生物や病原体が含まれている可能性があり、飼育・栽培行為によってそれが増えて外へ放出される可能性があるために、十分な注意が必要なのです。
飼育環境の変化は大きなストレスになりますので、持ち帰った生物そのものが病原体を保有していた場合、症状が悪化する(つまり病原体を多く排出する)可能性もあります。
実は、人に捕まるような動物は「人に捕まりやすい(弱っている)素因」を持っている場合が多く、病原体保有の観点でもともとリスキーなのです。
生体を持ち帰る際は、以下のような点に注意しましょう。
・可能な限り飼育資材を入れ替える
・持ち帰った土などは焼却される形でゴミに出す
・持ち帰った水は煮沸等してから流す
・飼育生物が死んでしまった場合も焼却する
持ち帰ったものをそのまま使ったり、周辺に埋めたり捨てたりしないということです。
人に飼育される過程で、採集地には存在しなかった生物や感染症を飼育生物がもつ可能性がありますので、一度飼育したら絶対に採集地へ戻してはいけません。
水生生物の場合は、飼育している水に意図しない微生物が繁殖する可能性があるため、水換えした後の水の処分の仕方も気になります。
「動物を飼育したいが、種にこだわりは無い」という方の場合は、自宅の排水が到達するであろう川や、自宅周辺から生物を採取し飼育することをおすすめします。
生物を採取・飼育する際は関連法にも注意しましょう。
2.釣りエサについて
特に釣りに関してよくあるのですが、釣りエサとして水生生物を用いる場合があります。
例えば、河口や海のような場所で釣りをする場面で、上流や周辺で採取したものをエサとして使用する場合であれば、問題は生じにくいと思います。
一方、下流で採取したものを上流に運んでエサとして使うことや、閉鎖された水系での釣りで別水系のエサを使うことは避けたほうが良いでしょう。
市販されている釣りエサの中でも、別水系で採取されたものや海外の生物を繁殖させたものが販売されている事が多くありますので、可能であればこういったエサの使用は避けたほうが良いでしょう。
特に生餌は注意が必要です。
可能であれば、釣りをする場所で採取した水生生物をエサとして使うことをおすすめします。
エサが残った場合は、現地に捨てずに持ち帰りましょう。
3.車での乗り入れについて
案外盲点になりやすいのですが、車両での移動は徒歩移動よりも多くの物質を運びます。
特にオフロード仕様の自転車、バイク、車などで山野に入り込む前には、しっかり水洗・掃除しておきましょう。
タイヤ、泥よけ、タイヤハウスの前後の溝などには泥やゴミが付着している場合が多いため、注意が必要です。
これは車種等にもよりますから、車の下部を一度見て、どこにゴミが溜まっているか確認したほうが良いでしょう。
出かける前に水洗・掃除をしていることが前提ですが、未舗装の道に車で入って酷く汚れた場合は、可能な限り現地で水洗しましょう。
作業道や林道から舗装された幹線道路に出る前に、タイヤや泥除けの泥だけでも落としたほうが良いでしょう。
もちろん、水たまりの多い未舗装の道や草地等にはできるだけ乗り入れない事が最善です。
4.ペット同伴での環境への侵入について
近年、ペット同伴でのアウトドアが増えてきました。
しかし、離れた場所や草地に入る場所へ犬などを連れていく際は注意が必要です。
ダニや植物の種などをくっつけて持ち帰る可能性があります。
草地や水たまりなどに入った後は、しっかりと洗ってあげましょう。
犬をフィールドに放つと、現地の小動物を食べてしまったり、見えない位置でフンをしてしまう可能性もあります。
国内にはタヌキやキツネなど犬に近い動物が広く生息しており、犬にも野生動物にもかかる感染症や寄生虫も広く存在しています。
特にエキノコックスは、犬が感染しても無症状に近いのですが、人に重篤な症状が現れる危険な寄生虫であるため、十分な注意が必要です。
犬をフィールドへ連れて行く際は、何をしているかしっかり観察できる範囲に留めておき、決して目を離さないようにしましょう。
逆に、犬から他の生物へ感染症が拡大する可能性もあります。
犬はワクチンを受けているため致死的な感染症にかかっていても無症状に近い(不顕性感染)場合が多いのですが、野生動物にワクチンはありません。
可能な限り自然環境へ犬を連れていかないほうが良いでしょう。
フィールドの視点で見ると、感染症は主に以下の4つに分けられます。
1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症
2.野生生物に加え、飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症
3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症
4.人から野生動物へ感染しうる感染症
それぞれ見ていきます。
1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症
厳密には、野生生物のみで回る感染症というのは存在しません。
ほとんどの感染症が複数の宿主を持っているうえ、現代ではほとんどの生物が飼育・栽培されうるためです。
ただ、主に野生動物のほうで影響が大きな感染症はあります。
タヌキの疥癬(かいせん)などがその例です。
野生生物でのみ問題となっている感染症も、飼育・栽培生物経由で別地域の野生動物に拡がってきた歴史のあるものが多くあるため、やはり生体(ペットや園芸植物を含む)の移送に十分な注意が必要です。
2.飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症
感染症には、飼育動物や園芸植物、農産物に大きく影響を及ぼすものが多くあります。
人が飼育する動物や栽培する植物は、品種そのものが感染症に弱い場合が多く、密に飼育・栽培されているために一度感染症が入り込むと致命的な影響を及ぼす結果となりやすいものです。
フィールドに出る前後で生物の飼育・栽培環境に近づかないこと、飼育・栽培環境に近づかざるを得ない場合は前後で調査機材等に対策をすることが重要です。
植物の場合は節足動物のような小さな動物が媒介する感染症が多いため、靴や装備の水洗と掃除を念入りに行いましょう。
動物の飼育施設へ近づく場合は、水洗に加え、注意すべきリスク疾病の病原体を調べてそれに対して効果のある消毒薬を使いましょう。
野生動物由来で飼育動物に大きな影響を与える国内の感染症としては、鳥インフルエンザや豚コレラなどが挙げられます。
これら2種については、水洗の後に逆性石鹸あるいは消毒用アルコールで洗浄することで対応できます。
(消毒対象ごとの効果)
(適応部位や方法など)
なお、食品を介して別地域の飼育動物や園芸植物に感染症を伝播させる可能性もあります。
一部は家畜伝染病予防法や植物防疫法等で規制されていますが、全てのリスクをカバーしているわけではありません。
特に生の野菜や果物、生肉等の海を越えた移送は、個人では避けたほうが良いでしょう。
3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症
微生物は「ただの人の移動」ではなかなか拡散しません。
ただし人に感染する病原体は、人が移動するだけで容易に拡散します。
人の体のなかで長期間維持されたまま増殖するからです。
特に海外へ旅行する際は、フィールドへ出るかどうかに関係なく、予防接種を受けましょう。
(リスク地域と予防接種)
ワクチンが存在しない感染症が流行っている地域には、基本的には近づかないほうが良いでしょう。
国内にも、野生動物由来で人にも感染する感染症が多く存在しています。
野生動物の血や糞などに密に接した場合に感染するものが多いのですが、ダニや蚊を媒介して感染するものも存在しています。
フィールドへ出る際は、野生動物との距離をしっかりと保ち、虫よけなどの対策をしておきましょう。
4.人から野生動物へ感染しうる感染症
実は、人が持っている細菌が野生動物へ大きな影響を与える可能性もあります。
経路が明らかになっているわけではありませんが、国内の希少種が薬剤耐性菌に汚染されている事が明らかになっています。
薬剤耐性菌は抗生物質の濫用によって生じるため、基本的には人の生活環境に多く存在するものです。
つまり、人から希少種へも細菌が移行しているということです。
汚染されにくい環境や孤立した環境では、人由来のゴミを残さないように注意しましょう。
例えば、生ごみに関して「腐ってなくなるから良いだろう」と捨てる人がいるのですが、これは人由来の細菌の苗床になりますのでやめましょう。
食べ物があれば、食べこぼしが生じたり、ハエなどが接したり、トビ・キツネ・サルなどの生物に奪われる可能性も生じます。
特に孤立した環境や汚染されにくい環境などでは、可能な限り食べ物を持ち込まないようにしましょう。
トイレについても、位置やタイミングをしっかり把握しておきましょう。
特に「大」のほうは人由来の細菌の塊ですので、環境中に残してはいけません。