野生生物の問題が改善しない構造

 

野生生物に関連した問題がなぜ解決しないのか、構造についてまとめました。

生き物側の話ではなく、人側の構造の話です。

野生生物に限らずどの分野でも同じ問題に当たっているかも知れません。

① 各課題の中心

これまでのレポートの中でも、法律の問題に触れてきました。

外来生物
ネコ
銃の所持

日本は法律の制定・改定にとても時間がかかるので、大きな事故や事件が無ければ法律が変わりません。

しかし、事故や事件を契機に法律が議論される場合、声に押されて見栄えを意識した形へ変更しようとするため、実効性が乏しくなってしまう事が多くあります。

日本は行政の失敗に注目が集まりやすいのですが、その行政対応の根拠である「現行の法律」はあまり議論されません。

発生した問題の中心が法律にあるのか行政対応にあるのか精査されずに批判が増えた場合、時間がかかる「法律」ではなく「行政措置」で解決を模索する傾向があります。

もちろん、法律に問題があれば、行政措置に解決を求めてもうまくいきません。

逆もそうです。

・行政対応に課題がある例:有害鳥獣捕獲

② 人員配置(現場対応人員)

問題の中心がどこにあっても、解決への大きな障壁となるものがあります。

それは行政の人員配置です。

野生生物の問題解決にあたる行政職は、実は、日本にはほとんどありません。

人と生物の間には数多の問題があり、生物多様性には膨大な価値があるのに、問題に対応する体制の整備がほとんど進んでいないのです

野生生物への対応が進んでいる国では、野生生物の現場対応、調査分析、政策立案を担う専門の行政職と行政組織があります。

これら専門職は、軋轢の解消というより自然資源の管理をもともとの目的として設置され、仕事の範囲を拡大させている形が多いようです。

水産資源と野生生物資源の管理を一つの組織が担う国もあります。

日本の場合、国立公園のような限られた地域や水産資源、農業の虫害等を除き、野生生物の管理を専門とした行政組織はありません。

農業、林業、水産、畜産試験場は各都道府県にありますが、野生生物資源の研究所はありません。

野生生物のどの問題をどの部署が担当するのかも明確には決まっていません。

例えば「シカ」は、農業被害、林業被害、交通事故、ダニやヒルの増加、家畜感染症の媒介、人獣共通感染症の媒介、食中毒、希少植生への圧迫、森林環境の改変(土砂災害)と、様々な部署をまたいで問題を起こします。

このため、「(シカをどうするのか)を誰がどう決めるのか」という点でも議論が生じる余地があります。

生物には膨大な種がいますから、引き起こす問題も多種多様、予期していなかった影響や、見えずに進行している影響もあります。

ある部署では利益があるものの、他部署では害をなしているものもあり、情報共有や方針決定に混乱が生じやすくなっています。

こういった環境が背景にあるため、問題が顕在化(巨大化)して行政対応を考える際に、まず「それをどこが担当するか」で仕事の押し付け合いが生まれます

どの部署も抱えている仕事が多く、それぞれ仕事を増やさぬよう、気付いても知らぬフリをするのです。

例えば環境の部署では、外来生物&狩猟管理&希少種の絶滅リスクを担当するのが一人で、それ以外にも多くの許可事務を兼務するような悲惨な状況がよくあります。

少しでも手を出すと自分の担当であると既成事実化される恐れがあるため、どの部署も情報収集にすら関与しようとしません。

 

運悪く仕事を振られた担当者は、予算の配分、計画・事業策定、会議などを仕事の中心とします。

もちろん現場に出る事はほとんどなく、机上の空論が生じやすくなります。

これらのデスクワークをさらに非効率にしている仕組みがあります。

「異動」です。

③ 人員配置(施策立案と異動)

行政には、基本的にどの部署でも異動があります。

国の場合は基本的に省庁で採用が分かれるので、例えば環境省では環境省の内側で異動があります。

一方、地方自治体では市町村や都道府県の中で幅広い異動があります。

多くは2~3年のサイクルで担当者が変わっていきます。

野生生物の課題解決にあたるのは普通の公務員試験を受けて入った職員であり、専門の教育を受けているわけでも、技能を持っているわけでもありません。

どういった部署を渡り歩くのかは自治体によります。

野生動物の担当になる前、福祉だったり、産業だったり、文化だったり、野生生物と関係の薄い分野を担当している事もあります。

この異動は「ジェネラリスト」を目指したキャリア形成を目的としています。

ジェネラリストとは、簡単に言えば「広く浅く行政の仕事を理解した人材」の事です。

異動にはこの他、「組織の交流の活性化」「モチベーションの維持」「談合等の不正の防止」等の理由があるとされています。

ただ、その弊害があまりに大きいように感じられます。

異動があると、担当者の知識や経験が2~3年でリセットされ、初心者の状態から永遠に脱しません。

担当者の時間のほとんどが自分が置かれた状況の把握に費やされ、数年担当して全体像が見えた頃に異動となります。

これがほぼ全ての職員で起こっているのです。

このような状況では担当者個人どころか行政組織内に知識や経験が蓄積されず、事業の継続性が損なわれます。

異動を控えた状態であるため、担当者は施策の計画立案にも責任を持たなくなります。

野生生物の問題は長期間のモニタリングを必要とするものが多く、対策や事業の効果が数十年かけて現れる事もあります。

異動があるため、担当者は自分の在任中に仕事の結果を見る事が無く、評価も受けられません。

これでは成功や失敗の理由の追跡以前に、そもそも失敗か成功か判断する能力を行政内部に保てません

時間が経てば、過去の事業成果や報告書は書類の山に埋もれていきます。

あまりにも非効率です。

行政職員に聞くと、状況はもっと悪いようです。

前任者やそれ以前の担当者が無責任にこなした仕事の後始末が現担当者・部署の重荷になり、その“地雷”をいかに爆発させずに次の担当へ受け流すかが重要なスキルと見なされる側面すらあるようです。

異動は逆らえないものであるため、野生生物の研究に関わっていたような人材がたまたま担当し、担当を続けることを望んだとしても、認められません。

現実的には、野生生物担当の適任者が現れても、それが適任かどうか誰も分からず、適切な評価も受けられず、成果も受け継がれないでしょう。

日本は、現場対応を担う行政職や行政機関が無いどころか、地域の対策を考える自治体にブレインとしての機能が無い、恐ろしい状況にあるのです。

④ 専門組織欠落の影響

自治体に期待ができない状態であっても、国がしっかりしていれば何とかなるのではないか?という意見があるかも知れません。

しかし、地方自治体の力不足は国の対応にも影響を与えます。

国が法律や事業を考える際、自治体が持つ力を前提にするからです。

例えば、法律を作っても「誰がその法を執行するのか」という問題があります。

実質的に取り締まりが出来ない体制で法律だけ作っても、実効性がありません。

狩猟

調査やデータ収集を誰がやるのか、という問題もあります。

問題の分析や解決のための情報収集には十分な専門性が必要なのですが、自治体にはそれがありません。

国は直接情報を収集するルートが乏しく、都道府県(都道府県を介して市区町村)を間に挟んだ形でしか現場の情報が得られません。

専門でない組織が片手間で情報を集めれば、現状の理解を誤り、法案や施策も歪んだ方向へ向かいやすくなります。

ジビエ

もう一つ、普及啓発の問題もあります。

適切な法律や施策を立案する際、非常に重要なのが一般市民の理解度です。

現場対応に当たる専門職が無く、市民への普及資料を作り直接説明する職員が存在しなければ、一般市民の理解度はなかなか向上しません。

クマの問題が1例です。

海外では野生動物管理を担う部署がクマの出没対応にあたり、専門的な知識や経験をもとに市民へ直接的に説明する場面があります。

日本の場合、対応に当たるのが異動のある一般職員であるため、極めて表面的な指導となってしまい、クマの生態や対応方法がなかなか浸透しません。

法律を適切に作り運用するためには、自治体にもそれなりの専門性と組織が必要です。

近年議論されているEBPM(根拠を伴った政策決定)も、適切な情報が適切な分析を伴って存在していなければ空回りします。

問題の中心が法律なのか行政対応なのかも分かりません。

国だけ頑張っていても解決するものではないのです。

⑤ ではどうする?

少なくとも、野生生物(自然資源)の管理を担う部署を明確化し、専任の職員を設置する必要があります。

全ての市町村に職員を配置するのは予算的に難しいでしょうから、都道府県レベルで行政組織を設置する事が現実的かも知れません。

 

施策立案に関わる人事に関しては、異動のあるジェネラリストと固定的なスペシャリストを混ぜた形にするのが最良ではないかと思います。

スペシャリストに関しては、研究所や専門の行政機関と本庁の間で専門職が回る部分があると理想的だと思います。

現状は、図の「スペシャリスト」部分がそっくり抜け落ちている状態です。

図のような形にすれば、行政の中に野生生物に関する知見や施策経験が蓄積され、採用した施策が成功であれ失敗であれ、それを次に活かす事ができます。

「組織の交流の活性化」「モチベーションの維持」「談合等の不正の防止」も期待できるのではないかと思います。

施策の立案や計画策定に関与した担当者は、異動後もそのプロジェクトに責任を持つような構造をとる必要があるでしょう。

スペシャリストが隣にいれば、ジェネラリストの育成も効率化できます。

こういった環境をどのようなステップで整備するのか?

これは非常に難しい問題です。

ただ、問題の根源がどこにあるのかを多くの人が理解していれば、時間はかかっても良い方向に向かうはずです。

逆に、問題の根源が共有されなければ、この先も同じような失敗を繰り返す事になります。

ぜひ、この情報を多くの人と共有して下さい。

 

外来生物の移送予防や消毒について

近年、フィールドで仕事をする人やアウトドア活動に関連した外来生物(感染症の病原体を含む)の拡散についての関心が高まってきました。

関連する法律はいくつかあるのですが、国内の非意図的な拡散(気付かずに運んでしまうもの)については実はほぼ何の制御もありません。

特に微生物や発見の難しいサイズの種の非意図的な拡散は、法のみではなかなか対処できないのが現状です。

今回は、各個人で対策する際の基本的な考え方をまとめてみました。

もちろん、生物を全く運ばずに人が移動することはできません。

少しでもリスクを抑えることを目指して、可能なことから始めてみましょう。

① アウトドア派のあなたへ

外来生物には、工事の土砂・園芸用品・船のバラスト水など、多量の物質の中に紛れ込んで運ばれた結果として定着したものが非常に多くあります。

そもそも生物が未踏の環境に定着するためには、それなりの量の個体が生きた状態で運ばれる事が条件となります。

このため、一人の人が普通に旅をした際にくっついて運ばれるような一回限りの少量の移送では、持ち込まれた生物が定着する可能性は比較的低くなります。

ただし以下のようにアウトドアが好きな人は普通の人に比べリスクが高い部分があるので、その特殊性に注意する必要があります。

・普通の人が入らないような環境に密接な形で侵入する
・道具や機材を持ち込んで使う(道具・機材が“輸送船”になる)
・似たような環境を行き来する(定着しやすい種と環境をつなぐ)
・生体を持ち帰る場合がある(周辺の土、水、有機物も一緒に)

こういった部分が生物の移動と定着を生じさせやすいという事は特に意識しておくべきでしょう。

生物に関する知識をある程度持っている人にありがちなのが、目立つ特定の問題についてのみ対応するという態度です。

例えば「A地域からB地域に移動するが、どちらも(話題の)C生物が定着した地域だから対策を何もやらない」という反応があります。

もちろんC生物に関してはそれでも良いかも知れませんが、現在国内には、問題がまだ顕在化していない膨大な数の外来生物が入ってきています。

そういった未知の生物の移動を予防する視点も重要です。

自分が知っている問題以外にも将来大きな問題を起こしかねない種が多くある事を想定し、異なるフィールドに出かける際の対策を習慣化しておきましょう。

② 何から始めるか?

外来生物や病原体の移送について完全を目指すのであれば、使った服や道具を全て燃やすのが手っ取り早いのですが、もちろん現実的ではありません。

一般人が使えるレベルで、全ての生物を完璧に除去できる消毒薬も基本的にはありません。

無理なことを考えても仕方ありませんから、まずはほとんどの生物の拡散対策に有効となる基本的な作業を押さえましょう。

靴、道具、服(自身)を洗いましょう、ということです。

この簡単な作業だけでも、リスクを大幅に減らすことができます。

 

1.掃除・水洗

外来生物も病原体も、土、泥、枯れ葉のような物質に包まれて移送された場合に生存率が高くなります。

生物を包んで保護するゴミや泥を水洗・洗濯によって取り除けば、意図せず生物を運ぶリスクを大きく減少させることができます。

地面に置く道具、水にくぐらせる道具、草木をかきわける道具などが対象です。

植物の種子のように、付着による移動(ヒッチハイク)を戦略としている生物がくっついている場合も多くありますので、確認しつつ掃除・水洗しましょう。

水道水には微量の塩素が含まれているため、殺菌作用もあります。

消毒薬を使用する場合でも、ゴミや泥が付着していればそれが緩衝材の役割を果たし効果が低下しますので、水洗は必要です。

多くの消毒薬は水分によっても効果が低下しますので、水洗後は水をよく切ってから使用しましょう。

ちなみに、日光にも殺菌作用があります。

可能であれば、道具を洗った後に少し干しておくとより良いでしょう。

 

2.掃除・水洗のための準備

掃除・水洗を簡易化・効率化するために準備をしておきましょう。

水洗・掃除に手間がかかると形だけの実施になりがちで、洗い落としが生じやすくなります。

楽でなければ十分な形では続きません。

以下のように、水洗や掃除を楽にする工夫をしておきましょう。

・土や草木のくずが入りこみやすい構造が使用された服装を避ける
・マジックテープやボア、フェルトのような素材の装備を避ける
・調査後に水洗しやすい、凹凸の少ない防水性の長靴などを使用する
・付着物を落とさぬよう、使う道具にカバーをかけて移動する
・そのまま水洗できるザックや収納用品を使う
・使用前、使用後で道具の収納場所を分ける
事前に現地で装備を水洗できる場所の目星をつけておく

続けるために、楽をしましょう。

 

③ 目的とタイミング

防疫や外来生物の侵入予防には、一定の方向性があります。

目的をイメージしながら対策を組み立てておくと効果的です。

 

1.注意すべき環境

特に、孤立した環境へ移動する際は、その前後で対策しましょう。

具体的には、島嶼(海で隔てられた陸地)、独立した湖沼やため池、湿地、洞窟、その他特殊な地形で隔離された地域などです。

孤立した環境は他の多くの環境とは異なった生物や病原体が構成要素となっている場合が多いため、「持ち込まない事」と「持ち出さない事」の両面を考え、移動の前後で水洗や消毒を実施したほうが良いでしょう。

ただ洗えば良いというわけではなく、洗った後の排水にどこ由来の生物が混ざっているか、排水がどこへ流れるか、もできれば考えておいたほうが良いです。

例えばある島に調査に行く際は、まず調査に旅立つ前に道具を水洗し、調査が終了したあとに島内で道具の水洗を済ませて持ち帰る形が良いでしょう。

交通機関に乗る前に付着物を落とせば、移動途中の拡散も起こりません

調査現場の近くで水洗を済ませられれば最善です。

消毒を実施する場合は、消毒薬等が周辺環境に悪影響を与える可能性もあるため、適した場所へ移動して行いましょう。

 

2.注意すべき移動の方向

地理的な要因で清浄な地域と汚染されやすい地域が分かれる場合があります。

例えば、河川であれば水の流れが障壁になっていますので、下流から上流へ人が移動する場合は逆の移動よりも生物の非意図的な持ち込みに注意が必要です。

もちろん水系をまたいで移動する場合は上下流に関係なく対策しましょう。

同様に物質の移動の観点から、低標高地から高山帯へ人が移動する場合は、逆の移動よりも注意する必要があります。

汚染(定着)されやすい地域からより清浄な地域へ移動する際には、水洗や消毒を念入りに実施しましょう。

 

④ 特に注意すべき行為

盲点になりやすい部分をまとめます。

1.飼育、栽培のための生体の移送
2.釣りエサ
3.車での乗り入れ
4.ペット同伴での環境への侵入

それぞれ見ていきます。

 

1.飼育、栽培のための生体の移送について

アウトドアが好きな人は、現地の生物を持ち帰ることがあります。

標本目的であればそこまで影響は出ないと思いますが、飼育・栽培目的の場合は十分に注意が必要です。

まずは、離れた土地から飼育・栽培のために生物を運搬することは大変危険であるという認識を持ちましょう。

飼育のために生物を持ち帰る場合、単体ではなく水・土・周辺の飼育資材を同時に持ち帰ることが多くなります。

生体そのものに加えてこの飼育資材に全く意図しない生物や病原体が含まれている可能性があり、飼育・栽培行為によってそれが増えて外へ放出される可能性があるために、十分な注意が必要なのです。

飼育環境の変化は大きなストレスになりますので、持ち帰った生物そのものが病原体を保有していた場合、症状が悪化する(つまり病原体を多く排出する)可能性もあります。

実は、人に捕まるような動物は「人に捕まりやすい(弱っている)素因」を持っている場合が多く、病原体保有の観点でもともとリスキーなのです。

生体を持ち帰る際は、以下のような点に注意しましょう。

・可能な限り飼育資材を入れ替える
・持ち帰った土などは焼却される形でゴミに出す
・持ち帰った水は煮沸等してから流す
・飼育生物が死んでしまった場合も焼却する

持ち帰ったものをそのまま使ったり、周辺に埋めたり捨てたりしないということです。

人に飼育される過程で、採集地には存在しなかった生物や感染症を飼育生物がもつ可能性がありますので、一度飼育したら絶対に採集地へ戻してはいけません

水生生物の場合は、飼育している水に意図しない微生物が繁殖する可能性があるため、水換えした後の水の処分の仕方も気になります。

「動物を飼育したいが、種にこだわりは無い」という方の場合は、自宅の排水が到達するであろう川や、自宅周辺から生物を採取し飼育することをおすすめします。

生物を採取・飼育する際は関連法にも注意しましょう。

 

2.釣りエサについて

特に釣りに関してよくあるのですが、釣りエサとして水生生物を用いる場合があります。

例えば、河口や海のような場所で釣りをする場面で、上流や周辺で採取したものをエサとして使用する場合であれば、問題は生じにくいと思います。

一方、下流で採取したものを上流に運んでエサとして使うことや、閉鎖された水系での釣りで別水系のエサを使うことは避けたほうが良いでしょう。

市販されている釣りエサの中でも、別水系で採取されたものや海外の生物を繁殖させたものが販売されている事が多くありますので、可能であればこういったエサの使用は避けたほうが良いでしょう。

特に生餌は注意が必要です。

可能であれば、釣りをする場所で採取した水生生物をエサとして使うことをおすすめします。

エサが残った場合は、現地に捨てずに持ち帰りましょう。

 

3.車での乗り入れについて

案外盲点になりやすいのですが、車両での移動は徒歩移動よりも多くの物質を運びます。

特にオフロード仕様の自転車、バイク、車などで山野に入り込む前には、しっかり水洗・掃除しておきましょう。

タイヤ、泥よけ、タイヤハウスの前後の溝などには泥やゴミが付着している場合が多いため、注意が必要です。

これは車種等にもよりますから、車の下部を一度見て、どこにゴミが溜まっているか確認したほうが良いでしょう。

出かける前に水洗・掃除をしていることが前提ですが、未舗装の道に車で入って酷く汚れた場合は、可能な限り現地で水洗しましょう。

作業道や林道から舗装された幹線道路に出る前に、タイヤや泥除けの泥だけでも落としたほうが良いでしょう。

もちろん、水たまりの多い未舗装の道や草地等にはできるだけ乗り入れない事が最善です。

 

4.ペット同伴での環境への侵入について

近年、ペット同伴でのアウトドアが増えてきました。

しかし、離れた場所や草地に入る場所へ犬などを連れていく際は注意が必要です。

ダニや植物の種などをくっつけて持ち帰る可能性があります。

草地や水たまりなどに入った後は、しっかりと洗ってあげましょう。

犬をフィールドに放つと、現地の小動物を食べてしまったり、見えない位置でフンをしてしまう可能性もあります。

国内にはタヌキやキツネなど犬に近い動物が広く生息しており、犬にも野生動物にもかかる感染症や寄生虫も広く存在しています。

特にエキノコックスは、犬が感染しても無症状に近いのですが、人に重篤な症状が現れる危険な寄生虫であるため、十分な注意が必要です。

犬をフィールドへ連れて行く際は、何をしているかしっかり観察できる範囲に留めておき、決して目を離さないようにしましょう。

逆に、犬から他の生物へ感染症が拡大する可能性もあります。

犬はワクチンを受けているため致死的な感染症にかかっていても無症状に近い(不顕性感染)場合が多いのですが、野生動物にワクチンはありません。

可能な限り自然環境へ犬を連れていかないほうが良いでしょう。

 

⑤ 病原体について

フィールドの視点で見ると、感染症は主に以下の4つに分けられます。

1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症
2.野生生物に加え、飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症
3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症
4.人から野生動物へ感染しうる感染症

それぞれ見ていきます。

 

1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症

厳密には、野生生物のみで回る感染症というのは存在しません。

ほとんどの感染症が複数の宿主を持っているうえ、現代ではほとんどの生物が飼育・栽培されうるためです。

ただ、主に野生動物のほうで影響が大きな感染症はあります。

タヌキの疥癬(かいせん)などがその例です。

野生生物でのみ問題となっている感染症も、飼育・栽培生物経由で別地域の野生動物に拡がってきた歴史のあるものが多くあるため、やはり生体(ペットや園芸植物を含む)の移送に十分な注意が必要です。

 

2.飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症

感染症には、飼育動物や園芸植物、農産物に大きく影響を及ぼすものが多くあります。

人が飼育する動物や栽培する植物は、品種そのものが感染症に弱い場合が多く、密に飼育・栽培されているために一度感染症が入り込むと致命的な影響を及ぼす結果となりやすいものです。

フィールドに出る前後で生物の飼育・栽培環境に近づかないこと、飼育・栽培環境に近づかざるを得ない場合は前後で調査機材等に対策をすることが重要です。

植物の場合は節足動物のような小さな動物が媒介する感染症が多いため、靴や装備の水洗と掃除を念入りに行いましょう。

動物の飼育施設へ近づく場合は、水洗に加え、注意すべきリスク疾病の病原体を調べてそれに対して効果のある消毒薬を使いましょう。

野生動物由来で飼育動物に大きな影響を与える国内の感染症としては、鳥インフルエンザや豚コレラなどが挙げられます。

これら2種については、水洗の後に逆性石鹸あるいは消毒用アルコールで洗浄することで対応できます。
消毒対象ごとの効果
適応部位や方法など

なお、食品を介して別地域の飼育動物や園芸植物に感染症を伝播させる可能性もあります。

一部は家畜伝染病予防法や植物防疫法等で規制されていますが、全てのリスクをカバーしているわけではありません。

特に生の野菜や果物、生肉等の海を越えた移送は、個人では避けたほうが良いでしょう。

 

3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症

微生物は「ただの人の移動」ではなかなか拡散しません。

ただし人に感染する病原体は、人が移動するだけで容易に拡散します。

人の体のなかで長期間維持されたまま増殖するからです。

特に海外へ旅行する際は、フィールドへ出るかどうかに関係なく、予防接種を受けましょう
リスク地域と予防接種

ワクチンが存在しない感染症が流行っている地域には、基本的には近づかないほうが良いでしょう。

国内にも、野生動物由来で人にも感染する感染症が多く存在しています。

野生動物の血や糞などに密に接した場合に感染するものが多いのですが、ダニや蚊を媒介して感染するものも存在しています。

フィールドへ出る際は、野生動物との距離をしっかりと保ち、虫よけなどの対策をしておきましょう。

 

4.人から野生動物へ感染しうる感染症

実は、人が持っている細菌が野生動物へ大きな影響を与える可能性もあります。

経路が明らかになっているわけではありませんが、国内の希少種が薬剤耐性菌に汚染されている事が明らかになっています。

薬剤耐性菌は抗生物質の濫用によって生じるため、基本的には人の生活環境に多く存在するものです。

つまり、人から希少種へも細菌が移行しているということです。

汚染されにくい環境や孤立した環境では、人由来のゴミを残さないように注意しましょう。

例えば、生ごみに関して「腐ってなくなるから良いだろう」と捨てる人がいるのですが、これは人由来の細菌の苗床になりますのでやめましょう。

食べ物があれば、食べこぼしが生じたり、ハエなどが接したり、トビ・キツネ・サルなどの生物に奪われる可能性も生じます。

特に孤立した環境や汚染されにくい環境などでは、可能な限り食べ物を持ち込まないようにしましょう。

トイレについても、位置やタイミングをしっかり把握しておきましょう。

特に「大」のほうは人由来の細菌の塊ですので、環境中に残してはいけません。

 

 

生物多様性とは

今回は「生物多様性とは何なのか」「生物多様性の保全とは何なのか」についてまとめたいと思います。

① 「かわいそう」とは無関係

生物多様性保全の議論の際に、「生物が絶滅するのはかわいそうなので大切にしましょう」という意見にとても多く接します。

しかしこれはかなり的を外した意見であるということを先に言わなければなりません。

怒る方もいらっしゃるかも知れませんが、理由があります。

例えを使いながら順を追って説明します。

まず、宇宙船に乗って体一つで地球の外へ出たとしましょう。

そこでは以下のような多くの課題が生じます。

・食べ物はどこから調達するのか?
・汚染されていない空気はどこから調達するのか?
・汚染されていない水はどこから調達するのか?
・自分の廃棄物はどのように処理するのか?
・体調を壊した際に薬はどこから調達するのか?

何も無ければ、数日も経たずに人は死んでしまいます。

地球上でこれらが問題とならないのは、そこに以下のような生物由来の資源があり、物質が循環しているからです。

・食べ物の基礎となる生物、環境
・空気の汚染を緩和、浄化する生物、環境
・水の汚染を緩和、浄化する生物、環境
・廃棄物を分解する生物、環境
・薬品の原材料となる生物、環境

普段これらは全く意識されませんが、無ければ人の生活が成り立ちません。

もともと人間も生物ですから、これは当たり前の話です。

これまで当たり前すぎて気付かなかったのです。

つまり生物多様性はそれが損なわれれば持続的な社会生活が営めなくなる性質の、極めて重要な社会基盤であるということです。

② 多様である必要は?

次に「必要な生物さえいれば良いのではないか?生物が多様である必要はあるのか?」について考えてみましょう。

そこには「予防原則」という考え方があります。

現在の科学では、多種多様な生物の多種多様な相互作用について、そのごく一部についてしか解明されていません。

影響が無さそうに見える生物であっても、重要な機能や作用を持っている可能性があります。

つまりどの種がどれほど重要であるかが分からないということです。

どの生物がどのような作用を持っているのかは、皮肉にも、失われた後になってある程度の範囲で明らかになります。

これまで人類は、生物の相互作用に関する無知によって多くの失敗を繰り返してきました。

マングース、オオクチバス、オオヒキガエルといった外来生物による失敗や、オオカミ絶滅後の大型哺乳類の増加など、国内に限っても挙げればキリがありません。

上記の例のように、生物間のバランスの崩壊は、顕在化して問題が認識されるまでに数十年~数百年レベルの時間がかかるものばかりです。

上記の例も、あるいは別の生物の絶滅の例も、未だその影響の全てが明らかになっているわけではありません。

長い期間を経て取返しがつかない状況になって初めて、ある生物の生態系の中での機能や影響の大きさが明らかになるのです。

生物多様性は、人間の活動が発生させる多様な問題のクッションとしても作用しています。

人の生活は環境に極めて大きな負荷をかけています。

環境から膨大な生物資源を収穫し、消費し、圧迫し、廃棄物を出すというサイクルを続けているからです。

生物多様性は、人間生活のインパクトを多様な種へ分散させて速やかに解消し、偏った種に負担がかかることを回避する作用を持っています。

人の生活は、生物多様性のセイフティネットに支えられて成り立っているようなものです。

では生物多様性がどの程度減少すれば、どの程度の影響が出るのでしょうか?

実はそれもさっぱり分かりません

先述の通り、生物間の相互作用はほとんど解明されていないのです。

ただし、人にとっては常に不都合な影響となるでしょう。

なぜでしょうか?

③ 困るのは誰か?

現在は地球の歴史上、6度目の大量絶滅期だと言われています。

過去の生物史を見ても、生態系というのは非常に強靭です。

多くの種が絶滅しても、膨大な時間をかけることで、残された種の中で適切なバランスと役割が探し出され種の多様性が回復してきました。

しかし「生態系の強さ」と「人間社会の強さ」は別物です。

ヒトが現在のホモ・サピエンスという種になったのは10~20万年前だと言われています。

新しい種が生まれるには途方もない時間がかかります。

生物多様性が一度失われれば、ホモ・サピエンスという種が生存している間に多様性が回復することはないでしょう。

ヒトも一つの生物種にすぎません。

人類は他の生物を含む地球の環境に生かされている立場です。

現代の人の生活は、長い期間で培われた生物多様性を前提として設計されています。

これまでその地で脈々と続いてきた生物の構成に適応させた形で社会生活や文化が組み立てられており、変化への対応が困難な部分を多く抱えています。

生物多様性が損なわれれば、

「こうなるはず」が「そうならない」
「これで十分」が「全く足りない」
「前代未聞」が「これからは当然」

といった生物学的な変化が様々な分野に現れ、その対応へ膨大なコストがかかることになります。

ヒトは大型の哺乳類であり、その生活サイクルを支えるためには多様かつ多量の資源が必要です。

特に各地域の農林水産業や住環境(災害リスク)、これまでと同質な空気、土壌、水といった最も基本的な資源の確保は、生物多様性のほころびに強く影響を受けます。

生物多様性のクッションが減退し、構成種が単純化すれば、構成種の増減の変動幅も大きくなります。

有益な生物資源や代替する生物資源の候補が少なくなることに加え、疾病や病虫害など毒性や害性のある生物の偏った増加が起こりやすくなります。

人が収穫する生物資源はその収穫の影響で減りやすくなり、人が作り出した人工的な環境が拡大すればそれを利用する生物が増えやすくなるからです。

人間社会が成長するためには、新たな素材や新たな機能の発見が必要です。

生物多様性が抱える膨大な未知の素材や機能が失われていけば、社会の継続的な発展も難しくなるでしょう。

生物多様性のクッションが弱まった状態で人の活動が続けば、人間生活のインパクトが局所の生物種へ集中し、さらに生物多様性が損なわれる連鎖が起こります。

安定的な変化という意味で、全ての生物が生物多様性の恩恵を受けています。

生物多様性のクッションが損なわれれば、人間に限らずあらゆる種の存続に影響が出ます。

絶滅の連鎖が始まればどこまで問題が落ちていくのか、それも分かりません

これは生物1種の絶滅と同様、どのような影響がどのような規模で出現するのか、取返しが付かない状況になって気付くことになる性質のものです。

生物資源の争奪は、生物種間のみならず同一種内でも生じます。

事態が悪化すれば人間同士で資源や環境の奪い合いが生じるということです。

どの種の機能が致命的であったのか解明されぬまま、人間という種の存続が難しくなる未来を迎える可能性すらあります。

現代の大量絶滅を経た後に、幸運にも人類が「残された種」に含まれていたとして、その残された種や環境が人の望む形になるわけではありません。

大量絶滅が進んでしまえば、いずれにせよ人類の活動は大幅に後退することになります。

これらの影響を避けるためには、予防が必須であるということです。

繰り返しますが、生物多様性は人が「普段通りの社会生活」を過ごすための非常に重要な基盤であり、「かわいそうだから守りましょう」という感傷的な努力目標ではないのです。

④ 一番大きな障壁は何か

現在の生物多様性保全に関する最も大きな課題は、「その目的と価値が一般に浸透していない」状況です。

生物多様性が社会の基盤であると考える人は、残念ながら多くはありません。

「生物多様性は生き物好きだけの問題で、社会には無関係」と感じる人が多くいれば、本来はそれ自体がとても大きなリスクです。

例えば「義務教育は子供好きだけの問題で、社会には無関係」という人はほとんどいないと思います。

もしそのような考え方を持つ人が多数派となれば、教育への投資が途絶え、結果として社会も大きく衰退します。

義務教育も生物多様性も、全ての人が恩恵を受け社会の土台となる点では同じです。

しかし残念ながら、生物多様性保全の意義はまだ教育の意義のようなレベルでは浸透していません。

近年はこういった背景を踏まえ、生物多様性の恩恵を経済学的観点(つまり金銭的価値)で表現し、市民の理解を助け、施策を誘導しやすくする試みも採られています。

参考:TEEB (生態系と生物多様性の経済学)

経済学的な評価においても、生物多様性は極めて高い価値を持っています。

生物多様性は、実は民間に任せていても適切な管理が基本的には望めません。

「好きな生物」「嫌いな生物」が人によって様々であるため、民間に任せれば声の大きさ勝負になり、やったもの勝ちで偏った保全に向かってしまうからです。

最も重要な「バランスを取る作業」を民間では誰も担えません。

こういった側面から見ても、行政が主体となって対策を構築せねばならない、極めて公共性が高い分野なのです。

公共性と行政の役割という点では、高度成長期に問題となった公害が、生物多様性の問題に似ています。

しかし公害は同じ時点に直接的な加害者と被害者がいて、誰もが直接的な被害者となりうるものであり、社会的に制度への要求が高まりやすい問題でした。

生物多様性は、問題となる「行為」とその「結果」の間に大きなタイムラグと生物間の相互作用が存在し、「結果」によって被害を受けた人が文句を言ったところで後の祭りであるし因果関係の証明が難しい、という性質を持つ問題です。

 

「後世のために予防的に対策せよ」という声は、利害が明確である現在の課題に比べると、残念ながら取り上げられにくいものです。

このため「どのように理解者を作るか」、そして「どのように社会システムに組み込むか」という点が、生物多様性保全においては極めて重要になっているのです。

⑤ その他の誤解

生物多様性に関しては多くの誤解があるように感じられます。

例えば「自然とは森林である」というような思い込みもその一つです。

「自然保護と言えば植樹」というようなステレオタイプな意見を多く見聞きするのですが、現在の日本は森林が限界まで育っている地域が多く、もはや木を植える場所がありません

日本で減少している環境は森林ではなく、湿地・草地・荒地のような、人が利用しやすい環境や工事によって安定化させようとする環境のほうです。

google map の航空写真を見てみて下さい。

日本は現在、森林と開発され尽くした平野で構成されています。

生物多様性では「景観の多様性」が最も重要視されます。

森林だけでなく水辺や草地のような多様な景観がバランスよく存在することで、種の多様性も維持されやすくなるからです。

それ以外にも「絶滅危惧種の域外保全」が生物多様性保全の中心であるかのように錯覚している人も多く存在します。

予防原則から考えれば、より多くの種を保全するために多様な景観の保全を何よりも優先しなければなりません。

自然環境の中の重要な景観が無くなってしまえば、数種の生物が域外で保全されたとしても、その背景で膨大な種が滅びます。

数種の生物が生息地の外で存続していても、その生息地が消滅すれば再起ができません

生息地は多くの生物種を構成要素とする「生き物」であり、一度失われれば元の構成と関係が復元できないからです。

例えば我が子が死にそうな時に、子の血液を採取して冷凍保存し「これで安心だ」という人はいないでしょう。

死んでしまえば元も子もありません。

「特定の種のみを保護する」考えは保全の全体像から見れば異質なものです。

もともと生物多様性保全の最大の目的は「人の生活を安定させる生物環境」であって、特定の種に絞った保全ではないのです。

もう一つ、生物多様性についてよくある意見が「外来生物を環境に導入すれば構成種が増えるではないか」というものです。

しかし外来生物は、在来生物との相互作用について全く未知の存在です。

一度在来の環境に放たれれば、どのような影響を及ぼすか全く分かりません。

ただ、侵略性の強い(ことが明らかになった)外来生物では、侵入した環境において構成種の大幅な減少が起こります。

つまり、外来生物1種を入れることによって、結果的に膨大な数の在来種を減らす可能性があるのです。

⑥ 生物多様性の減少理由

国内の生物多様性の減少理由は大きく分けて4つあります。

①開発や乱獲
②人による継続的な干渉の撤退
③外来生物(「外来生物に開かれた国」を参照)
④温暖化等の地球環境の変化

環境省のサイトにその他の内容も含めて示してあります。

分かりにくいのは②の「人による干渉の撤退」でしょうか。

これは特に里地里山の環境に起こっている問題です。

里地里山環境は農林業をはじめとして、薪集め、炭作り、萱場(屋根等の材料)管理、狩猟、山野草の採集のような様々な用途で数百年にわたって利用されてきました。

長期間にわたって人が利用する状況が維持された結果、その環境に順応した生物が多く繁栄し、人が手を入れ利用し続ける里地里山が一つの重要な景観として機能するようになりました。

しかし近年になって里地里山で利用されてきた資源の需要が低下し、広い範囲で人の手が入らなくなり、多くの問題を生じるようになっています。
(「大型哺乳類によって生じる問題の背景」を参照)

実際、国内の絶滅危惧種にはライフサイクルのどこかで里地里山環境を利用する種が多く含まれています。

ただし、これは薬品を大量に使うような近年の農業を盛んにすれば解決する話ではありません。

近年の農業形態が理由で減少した種も多くいるからです。

長期的に見た里地里山の利用の在り方をどのように復元するか、あるいは別の利用形態で代替する方法があるのかを考えていく必要があります。

実は①の「開発」も誤解を含んでいるかも知れません。

開発と言えば大規模な埋め立てや森林の伐採が思い浮かぶと思いますが、広い範囲にわたって画一的な方法で行われる小規模な工事も生物多様性へ大きな影響を与える場合があります。

例えば三面張りの水路や道路の法面工事、砂防や治水関連の工事などは、当該地域における生物の特殊性への配慮無く、国内の広い範囲の隅々まで似たような方法で行われています。

特に人の生活に近い平野地域は生物多様性をまるで無視した設計となっており、一様に広がる人工的環境が外来生物の定着を加速させている側面もあります。

大規模な開発行為に関しては環境に与える影響が一般に知られるようになり近年は数が大幅に減少しましたが、小規模な「見えない開発」はいまだに特定の景観を塗りつぶし続けているのです。

⑦ 国内の力関係

多くの絶滅危惧種は、生息環境(景観)の悪化を主因として減少しています。

では、生息環境に影響を与えうる行政機関と環境省の力関係(人員と予算)がどうなっているのかを見てみましょう。
(各省庁の内部は細かく分かれていますが、今回はまとめます)

このように、圧倒的な差です。

農林水産業や土地利用、工事等に関して、環境省は口出しできるような規模ではありません。

行政内にはよく言われる「縦割り」というものが存在しており、ある省庁が他の省庁に対して負担を強いるような行為は御法度となっています。

弱小省庁から大きな省庁に注文をつける場合であれば、なおさらです。

農水省も国交省も「生物多様性保全?環境省で勝手にやんな。うちはうちで手一杯だよ。」という立場でしょう。

生物多様性の保全自体に価値が無いのかと言えば、当然そうではありません。

先述のTEEBの発想に基づき、国内でも金額で示された例があります。

例えば、農業の総産出額約9.3兆円に対して農業の多面的機能の評価額は8兆円と試算されています。
(生態系サービスとほぼ同質のものを農水省では多面的機能と呼びます。)

林業においては木材の総産出額2500億円に対し、多面的機能評価額は70兆円にものぼります。

ソース:多面的機能評価額

これらの評価額はストックではなく毎年生まれている価値です。

しかしこの「多面的機能」の維持管理は環境省ではなく農水省の管轄となっているため、これを名目とした事業であっても生物多様性への配慮は残念ながらほぼありません。

つまり環境省は、自然公園等を除いて、生物多様性で最も重要な「生息地(景観)保全」のオプションを実質的には奪われている状態なのです。

これがある意味、域外保全や特定のマスコット種の保全へと環境省が逃げる理由になっています。

こんな状況であれば、農水省や国交省の内部に生物多様性保全部門を設けている形のほうがまだマシかも知れません。

生物多様性の保全は、莫大な資産の維持管理のようなものです。

国交省の予算を見ても、予算総額の何割かはインフラの維持管理や災害復興等のために使われています。

環境省も同様に、資産価値に応じた維持管理のために、十分な予算と人員が必要です。

しかし現実はグラフの通りです。

先述した通り、生物多様性の価値と保全する意味が一般に浸透しておらず、行政対応の面で単純に軽視されているのです。

その理由は何か?

実に情けない話ですが、それは直接的な要望が上がってくる他の政策課題に比べて文句を言う人が少ないからでしょう。

結局のところ、多くの理解者と声を集めることでしか事態は解決しません。

環境省は非常に弱い立場に置かれています。

生物多様性に関心のある方々が、多くの課題について環境省を責めたくなる気持ちも分かります。

しかしまずは、「環境省の権限と機能を強化しろ」という部分から発信していくべきではないでしょうか。

 

 

 

 

 

鳥インフルエンザを理解する

今年も冬がやってきました。

近年では野鳥においても家禽(アヒルやニワトリ)においても鳥インフルエンザが発生する年が増えています。

今回は鳥インフルエンザについてのリスクや注意すべき事項について簡単にまとめました。

① どのような感染症か

鳥インフルエンザは主に鳥類の間で広がる感染症です。

ソース:wikipedia鳥インフルエンザ

鳥インフルエンザの病原体であるウイルスは高温に弱く、低温に強い、乾燥に弱く、湿度が高い環境に強い、という性質を持っています。

鳥インフルエンザウイルスは自然環境の中に長期間残るような強い病原体ではなく、アルコールや逆性石鹸によって消毒できます

宿主域(感染できる相手)が非常に広く、ほとんどの鳥類や一部の哺乳類などに感染する可能性があります。

鳥類の間では、直接の接触や糞便、汚染された水やそれらの飛沫(しぶき・ほこり)によって広がっていくと考えられています。

鳥インフルエンザに感受性の高い生物(感染しやすく重症になりやすい生物)が感染した場合は、ウイルスをどこかに運ぶ前に死んでしまうことが多くなります。

このため、感受性の高い生物はウイルスを広める存在として、実はそこまで重要ではありません。

ウイルスには、感染しても重い症状が生じない宿主(ウイルスの感染相手)が存在していて、そういった宿主は「自然宿主」と呼ばれています。

ウイルスを持っていても移動に大きな負担が生じないため、ウイルスを広める存在としては自然宿主がとても重要です。

鳥インフルエンザの自然宿主としてはカモの仲間が知られており、このカモ類がウイルスを広範囲に運んでいる可能性があります。

捕食者に狙われる生物にしてみれば、自分が自然宿主であるウイルスはある意味捕食者に対する武器でもあり、それぞれの相互関係へ影響する要素にもなっています。

鳥インフルエンザは病原性(発症した時の深刻さ)が高いものから低いものまでさまざまあります。

ウイルスは一般的に、宿主が高密度(いっぱいいる)な状況では病原性が高くなりやすく、宿主が低密度(少ない)な状況では病原性が低くなりやすいという性質を持っています。

宿主が高密度にいる状態では、次の宿主にどんどん広がっていく(増殖が速い=宿主へのダメージが大きい)よう変異(変化)したウイルスのほうがすばやく増殖・拡散のサイクルを回して優勢になるためです。

一方宿主が低密度な状態では、増殖の速いウイルスは宿主へのダメージが大きくなるために、次の宿主に運ばれる前に現在の宿主を殺してしまい、共倒れになりやすくなります。

つまり、養鶏場のような鳥類が密に存在する環境にウイルスが入れば、病原性が高くなりやすいという事です。

このため、こういった人為的に鳥類が高密度となった環境へのウイルスの侵入が非常に重要な対策ポイントとなっています。

実は養鶏場での鳥インフルエンザの発生の後に周辺の野鳥での発症例が観察されることもあります。

家禽での発生を抑え込むことは、高病原性の鳥インフルエンザウイルスを野鳥で蔓延させない意味でも重要となっています。

② 人への影響は?

鳥インフルエンザは、人にも感染することがあります。

人の鳥インフルエンザ発症例はアジアに多く、意外にも乾燥・高温な環境の地域でも死亡例が見られます。

人で鳥インフルエンザが発症した例ではその半数以上の方が亡くなっており、普通の人のインフルエンザの致死率(かかった人が死んでしまう割合)が0.1%程度であることを考えれば、非常に恐ろしい感染症です。

しかし実は、国内において鳥インフルエンザは死者どころか人への感染例すら出していません。

なぜでしょうか。

海外での鳥インフルエンザの人への感染経路は、家禽そのものや家禽の飼育環境への濃厚な接触によるものが多いと考えられています。

ソース:国立感染症研究所

鳥の糞が大量に舞っている環境にずっといるような人が感染する可能性が高いということです。

このため、日本で普通の生活を送る一般の方が感染する可能性は現時点でほとんどありません。

国内において鳥インフルエンザが発生した地域では速やかに鶏肉や卵の流通が止まるため、普通に売られている鶏肉や卵を食べても感染しません

一方で、不安な点もあります。

インフルエンザウイルスの仲間は非常に変異しやすく、人に簡単に感染してしまうウイルスに変化する可能性がある点です。

ソース:厚生労働省

そのようなウイルスの出現と拡散をさせないために、日本でもかなり厳しく対応しているのです。

生物として見れば、人は鳥よりも広範囲・高密度に存在しています。

人に感染しやすいウイルスが一度発生すれば、ウイルスの高病原化と急速な拡散を引き起こす恐れがあります

既に鳥インフルエンザが人から人へと感染した例も海外で確認されており、十分な封じ込めが必要です。

③ 国内へ運ぶ生物

日本へ鳥インフルエンザを運ぶ生物としては、カモの仲間が疑われています。

カモの多くは日本において冬鳥で、ロシアや中国で夏場に繁殖を終え、越冬のために海を渡って国内に飛来します。

カモ類は鳥インフルエンザの自然宿主ですのであまり重症化しませんが、高病原性の鳥インフルエンザでは死んでしまう場合もあります。

渡り鳥が遠い距離を移動するのは、餌の確保や天敵からの逃避などの理由(つまりは生存に有利な繁殖地と越冬地の選択)がありますが、感染症の蔓延予防という効果もあります。

渡りにはかなりの体力を要するため、感染症にかかった個体は途中で脱落し、渡った先の地域にはウイルスを持っていない集団が残るというような、種の生存のための仕組みとしても機能しています。

つまり高病原性の鳥インフルエンザウイルスをカモが国内に持ち込むというよりは、病原性の低いものが国内に持ち込まれ、宿主が高密度な環境へそのウイルスが紛れ込んで変異し病原性が高くなる、というシナリオのほうが現実的であるということです。

ソース:国立環境研究所

当然、鳥インフルエンザが発生している地域から渡ってくるカモについてはウイルスを保有している可能性が高いと考えられます。

しかしカモ類は様々に種類が混ざった混群を形成するため、国内にいるカモについてはどの種がウイルスを持っているか正確には分かりません。

このため、どのカモが危険か、というような情報は考えてもあまり意味がありません

では、どのように注意すべきなのでしょうか。

④ H28年度の発生を見る

平成28年度は野鳥、家禽での発生例が多数報告されました。

野鳥での発生に関しては環境省、家禽での発生については農水省が調査し、まとめられて発表されています。

ソース:農水省 発生地点の図
ソース:農水省 家禽での発生に関するH28報告

農水省の報告は長々と書いてありますが、着目すべき点は「施設の近隣に、ため池のようなカモ類が飛来する環境を持つ養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが発生する可能性が高い」という部分です。

これは当たり前の結果ですが、とても重要なことです。

これはハクチョウやツルで鳥インフルエンザが発生した例でも同様のことが言えます。

野生のカモ類が飛来し、ハクチョウやツルと一緒に存在する場所で感染が広がった可能性が考えられ、特に「餌付け」がされている地域での発生例の多さが目を引きます。

保護の名目で野生動物への餌付けが実施されることがありますが、保全の観点では逆効果であることが良く分かる事例です。

ちなみに、環境省の調査は全ての鳥を対象としているわけではなく、これまでの観察例から作成した「リスク種」というものを定めて調査が実施されています。

ソース:環境省 対応技術マニュアル

このため、死体が発見しにくい小型の鳥類では発生が報告されず、ハクチョウのような大型の目立つ鳥類で報告が増えるというような、調査結果の偏りが生じています。

報告例が多い種であっても、それがそのまま高リスクというわけではありませんので注意しましょう。

特に冬季の死亡野鳥についてはどの種であっても鳥インフルエンザの発症個体である可能性があるため、むやみに触ってはいけません

⑤ どのような人が何に気を付けるべきか

注意すべきは当然、鳥類を飼育している人です。

どのように注意すべきでしょうか。

農水省の報告では「野鳥」や「野生動物」と、広大な生物の範囲をまとめた表現で対策方法があげてあります。

しかしそれぞれの生物は生態や環境中での機能が千差万別で、全て対策せよと言うのは簡単なのですが、ターゲットをしっかり設定しなければ非効率であり、結局何からも守れません。

現時点で優先すべきはカモの存在そのものへの対策です。

つまり鳥の飼育施設周辺の池の水を抜く・ナイロン線等で池を防除する・カモを見かけたら花火等で追い払うといった対策のことです。

動物園等の施設で、池がどうしても対策できない環境であれば、飼育動物を冬季は収容しておくことも考えなければなりません。

報告の中でほぼ唯一、発生因子として有意であった「カモが飛来するような水域の存在」をなぜ軽くあしらうのか謎ですが、残念ながら農水省の報告ではこれらの優先度が低く扱われているような印象を受けます。

冬季は昆虫のような生物の活動が暖かい季節ほど活発ではありませんので、養鶏場の周囲にカモさえいなければ、鶏舎等にウイルスが持ち込まれる可能性が夏季よりは低くなります。

鳥類は季節に関係なく移動距離が大きいのですが、水域の存在が発生に効いているという結果から、カモ以外の鳥が主としてウイルスを運んでいる可能性は低いと考えられます。

たとえばスズメやカラスのような鳥類がウイルスを運んでいるのであれば、水域の存在に関係なく様々な養鶏場で発生しているはずです。

そもそも、そういった野鳥は感染・発症すれば死んでしまいます。

もう一つ、ウイルス拡散に関して重要な視点があります。

それは池の周辺での人の活動や池の水の利用です。

鳥インフルエンザウイルスは主にカモの糞などに排出されますが、気温の低い冬季は糞便中であれば40日以上、淡水中であれば3か月以上、ウイルスが感染できる状態で残る可能性があります。

ソース:環境省情報集

カモが生息するような池の水辺にはカモの糞が多く落ちています。

もしウイルスを持ったカモがいれば、周辺の糞はもちろん、その池の水自体も高リスクです。

この事実を知らない関係者は意外に多く、飼育舎周辺のスズメやカラスにばかり目が行って、そういった水辺環境への接近に関する注意がおろそかになっている可能性があります。

養鶏場に限らず、インコ等を飼っている一般家庭などでも、カモのいる水辺に近づいたり、水辺のものを持ち帰ることは避けたほうが良いでしょう。

どうしても行かなければならない場合は、履物を変えたり有効な方法で消毒するなどの方法を取るべきです。

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外来生物に開かれた国

近年、ヒアリやツマアカスズメバチのような外来生物の話題を聞くことが多くなりました。

外来生物というのは、人間の活動によって本来生息していない地域に侵入した生き物のことです。

鳥類のように自力でその地域に到達できる種は外来生物には含まれません。

① 外来生物は害か?

我々は、「外来生物は全て悪である」とは言えない生活を送っています。

例えば、国内で栽培される農作物や畜産物はほぼ全て国外原産のものです。

これらを否定すれば日常生活が破綻します。

そして全ての生物の国内への侵入をガードできるかと言えば、貿易立国をうたってきた日本ではそれも難しいでしょう。

物資の輸送をストップすれば社会的な活動が維持できませんし、輸送には必ず何かしらの付着物が存在します。

外来生物について重要なのは、その中で「効率的・効果的な侵入の予防」を求める態度です。

既に国内に定着してしまった外来生物では、侵略性(悪影響)の大きさが明白であるものについては駆除が計画されやすい傾向にあります。

しかし、一度定着したものを取り除くには膨大な予算と時間が必要です。

加えて侵入種の侵略性・影響が入ってすぐに分かることは稀であるため、後手に回った対応では損失が巨大になります。

予防に力を注がず、侵入したものにのみ対応していたのでは、船底に空いた穴を塞がずに水を汲みだすようなものです。

重要なのは未然の侵入防止であり、初期対応であり、その仕組み作りです。

次の侵入の阻止に力を振らなければ、どれだけ予算があっても足りません。

予防については、人の活動で分けた2つのルートを考える必要があります。

「意図的な持ち込み」と「非意図的な混入(ヒッチハイク)」です。

② 意図的な持ち込み

意図的な(目的を持った)持ち込みは、ペットや栽培品種のような主に生物の売買や利用のために国内へ持ち込まれるルートです。

持ち込みは意図的ですが定着が非意図的に起こったものにはアライグマ、ミシシッピアカミミガメなどがあります。

持ち込みも定着も意図的に行われたものではオオクチバス、マングースなどが有名な例です。

意図的な持ち込みの場合は、持ち込む人がその生物の存在を当然知っていますので、ある程度正確な把握と規制が可能です。

ペットや栽培品種のように意図的に持ち込まれる種に関しては、「ホワイトリスト制」での管理が今後は必要になるでしょう。

ある程度侵略性が低い(国内での繁殖が難しい)ことが確認されている種のみ持ち込みを許可する、あるいは繁殖力を奪った状態のものについては持ち込みや販売を可能にする、というような仕組みです。

一方で、何かが定着するたびにその種の持ち込みを規制するような方法を「ブラックリスト制」の管理と呼びます。

しかし意図的な持ち込みについてブラックリスト制を用いるのは、はっきり言えば計画が無いのと同じです。

世界には、既に知られているだけでも約1,750,000種の生物が生息しています。

日本は南北に広く、様々な気候の環境を有しています。

どのような外来生物も国内のどこかには定着できる環境がある、と考えておかなければなりません。

例えば沖縄にはグッピーを含む熱帯系の外来魚が多く定着しており、北海道にはニジマスやブラウントラウトのような冷水系の外来魚が定着しています。

加えて、それぞれの生物が侵入した時の影響の程度は、侵入して時間が経ってみなければ分かりません。

ブラックリスト制は、「侵入し、定着し、拡大してから」対応する性質のものにならざるを得ません。

国内で繁殖してしまえば持ち込みの制限には効果がほとんどありません。

気候や環境を含めてリスクを見極め、国内で飼育・販売・移動できる動植物、その地域で定着の可能性が低い生物やそれらの取り扱い条件を含めたホワイトリストを作成し、それにしっかりと規制をかける法を作る必要があります。

意図的な持ち込みは国内での人工的な繁殖・増殖を踏む場合も多くあります。

このため、後述するヒッチハイク型の侵入よりも意図的な持ち込みは広い地域で、密度の濃い侵入となる可能性があります

正確な把握と制御が可能な意図的持ち込みのルートに関しては、最大限の配慮としっかりとした法整備がなされるべきでしょう。

③ ヒッチハイクする生物

ヒッチハイク(混入)は、例えば輸送のコンテナに紛れ込むような、人が気付かずにたまたま運び込まれるようなルートのことです。

セアカゴケグモやヒアリなどが有名な例です。

 

ヒッチハイクによる生物の侵入は生涯大型の生物を除いたどの種においても起こる可能性がありますが、梱包材等の環境を好む小型の生物に多い傾向があります。

非意図的に持ち込まれる種に関しては、「ブラックリスト制」に近い対応がまずは必要です。

国内外での事例から侵略性・侵略リスクの高い種や危険なルート・エリアをおおまかに予測し、それに予算と対策を集中させるような方法です。

例えば気候条件の似た海外の港湾で定着例があるが国内ではまだ見つかっていない侵略性の生物などについて、どの港湾を経由するものがリスクが高いのか、どのタイミングでのどの種類の対策で侵入の可能性を減らせるかを、その選択肢ごとの費用対効果を含めて分析し、対策や規制の設置を計画するような形です。

港湾等において侵入初期の生物を検出することが可能な、継続的な調査システムの構築も必要です。

効果的に外来生物の影響を軽減するためには、どの外来生物・どのルートを重要視するかという基準作りと、どうモニターしどう効果を評価・改善していくかという体制の整備が早急に必要なのです。

ヒアリのように外来種一種であたふたする基盤の無さが一番の問題です。

全てを完璧に守ることが非常に難しいことを認め、侵入させたくない相手や侵入されやすい相手・場所から優先的に守り、入られた場合の初期対応を明確に順序立てておく、ということです。

④ 実際の仕組みと課題

では実際の国内の法制度はどうなっているかと言えば、穴だらけです。

日本には特定外来生物法(外来生物法)という法律があり、外来生物の中でも法的な扱いに差があります。

この法の中で「特定外来生物」に指定されている生物は、許可なく輸入・飼育・移動・運搬・譲渡・播種・放流等ができません。

ソース:特定外来生物法

これは「ブラックリスト方式」による管理で、基本的には持ち主が存在を知っている意図的な持ち込みを対象としています。

国内への侵入と定着に対する抑制効果があるのは当然、リストに載っている生物だけです。

しかもリストに載っている生物の多くは既に広く定着してしまった生物であり、これらは国内への定着の観点では指定される意味がありません。

ソース:特定外来生物

外来生物法は実質的には「国内での拡散」に的をしぼったもので、既に国内に定着した生物の抑制のために運用される法律、という性質があります。

そして外来生物法は生物を扱う人に制限をかける法律ですので、ヒッチハイクによって侵入するリスト外の生物に関してはなんら効力がありません。

つまり、国内への新しい生物の侵入を防ぐ予防的な効果がほとんど見込めないのです。

国内から国内へと移動した外来生物(国内外来種)も特に島嶼の生態系へ大きな影響を及ぼす場合がありますが、外来生物法では当然カバーできていません。

その他に、国外から動植物が持ち込まれる際には「検疫」が行われています。

ソース:植物の検疫
ソース:家畜の検疫

これにも外来生物の浸入を防ぐ一定の効果があります。

しかし植物や動物の検疫は農作物や畜産物に対して有害な「疾病」や「害虫」等に対象を絞ったブラックリスト制のもので、これも外来生物全体を見ているわけではありません。

つまりこれらの法律と仕組みは、ヒアリのような混入によって国内に持ち込まれるヒッチハイク型の外来生物や、特定外来生物に含まれていない外来生物の意図的な持ち込みに対して効果がないのです。

海外には管理が難しく、国内に侵入すれば甚大な被害を生じさせうる生物が無数に生息しています。

外来生物は、運ばれてくる物そのものや表面だけではなく、輸送される箱、梱包材、充填物、輸送船、作業員の個人的な持ち物などの場所を介して侵入します。

国内に定着した種や特定の病虫害だけを防ぐのではなく、「外来生物そのものの侵入を効果的に予防する」という観点で制度を作らなければなりません。

国内に定着した外来生物への対応についても課題があります。

外来生物法によって、国内に定着した特定外来生物の捕獲後の作業や研究のための飼育に許可や手続きが必要になるなど、管理の側面でのマイナスな効果も存在しています。

特定外来生物に指定されていない野外の外来鳥類や外来哺乳類は、在来の鳥獣と同様の扱いで鳥獣保護管理法によって捕獲が禁止されている状態です。

これらの手続きや許可は、初期対応や拡散の抑制を目的とした活動への障壁になっています。

関連する法律を一度整理する必要があるでしょう。

ヒッチハイク型の外来生物、意図的な持ち込みによる外来生物それぞれに効果的な法、制度、仕組み作りが必要です。

⑤ 外来生物とペットの今後

現在、外来生物の定着に関して非常に大きなリスクを持っているのが、ペット産業です。

アライグマやミシシッピアカミミガメなど、ペット由来で国内に定着し大きな被害を発生させている例が既に多く存在しています。

生態系への影響が甚大な例も多く、なぜか外来生物として扱われないノラネコ問題もその一つです。

これらの生物は、もともとペットであったり、まだペットとして飼っている家庭が一定数存在している種が多いため、感情移入がなされやすく、捕獲や駆除に対して極めて大きな抵抗が生じます。

そして被害を受け、対策を実施するのは、ペット産業とは無関係の人達です。

根本的な責任が無いにも関わらず、被害を抑制するために好きでもない捕獲や殺処分を担う人が生まれています。

そしてこういった人達が愛護団体等の攻撃に会うというような、極めてねじれた状況を生んでしまっているのです。

ペットとは、次の世代と社会に大きな負債を残すリスクを内包した存在なのです。

ペットを野外に放流・放出する行為は、もはや飼い主のモラルで片付けられる問題ではありません。

故意ではない逃走、逸失もあります。

購入された生物のうち一定数が遺棄や逃亡によって環境中に放たれる可能性を前提にした制度設計が必要です。

例えば、ペット購入者の情報を長期間保管することをペットショップ側に義務化する、個体識別が可能な状況のペットのみを販売可能にするなど、ペットの遺棄に対して抑制効果を持つ施策はすぐにでも必要でしょう。

ペットの飼育を許可制にし、研修等を受けた家庭のみが飼育可能になるような制度も良いかも知れません。

そして将来的には、国内のそれぞれの環境において定着のおそれがない種や条件でのみペットを飼育できるような、ホワイトリスト制へと移行すべきです。

ペット管理の制度について「駆け込み遺棄」等を不安視する声もありますが、制度はどこかでスタートされるものであり、それを理由に先延ばしにするのでは本末転倒です。

毎年のようにニュースになる遺棄された珍しいペットたちは、将来の環境と社会に対して大きな損害を生じさせる可能性を持つ生物兵器のようなものです。

ましてそれは、伴侶として人と生活するはずだった生物です。

未来の悪者を生まない法環境こそ、ペットとその文化の発展のために今最も必要なことではないでしょうか。

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ノラネコ論争

近年、ネコについての議論が多くなっています。

人の目線では、屋外で飼っている猫が近隣の住民の庭に糞尿をするというような被害や繁殖期の騒音等のトラブルが多く取り上げられます。

一方で、野生動物への影響についても深刻なものがあります。

ソース:米国科学者の警鐘

ネコは本能に従って多くの小型野生動物を殺傷しており、特に希少な生物の多い離島で猛威を振るっているのです。

ソース:環境省もシンポジウム

なぜこのような状況が生まれているのか?

野外のネコに関する諸問題について、制度や思惑の構造をまとめました。

① ネコの扱い

ネコは現在、世界中でペットとして飼われています。

ネコはもともと、ネズミによる穀物等の被害を抑える目的で世界中に広まっていったと考えられており、家畜化前の野生の状態と姿形が大きく変わらぬまま現在に至っています。

ところが今となっては、ネズミ対策としてネコを飼っている人はほとんどいません。

当然、そんな人側の都合にネコが合わせる訳もなく、ネコは本能のままに小動物を狩り続けています。

人との関わり方から、ネコには呼び方がいくつかあります。

飼い猫 主に室内飼いのネコと地域ネコを指す。

動物愛護管理法に含まれる生物。

一部、ノラネコが含まれている場合もある。

ノラネコ 生活を人に依存するが、飼い主を持たないネコを指す。

飼い主がいるのかどうかは厳密には整理・判断が難しく、問題を大きくしている部分。

地域ネコ ある地域で行政的にネコを管理する仕組みを整備した場合、その地域のネコをこう呼ぶ。

この呼び名は適切な制度が無い地域でも勝手に使われることがあり、問題となっている。

この制度が運用される地域でも、根本的な問題の解決には至っていない。

ノネコ 鳥獣保護管理法上(狩猟法)の呼び方。野生動物。

人に依存せず、完全に野生下で生活しているネコを指す。

実は狩猟鳥獣に入っており、法律上は個人で狩猟可能。

このように、同じネコでも色々と扱いが分かれており、ネコを一目見ただけではどのくくりに当たるのかが分からない状態になっています。

この曖昧な定義づけの結果、全国的に多くの弊害が生じています。

一つは、行政的なネコの受け入れです。

基本的に正当な理由で要請があれば、当局はネコを引き受けなければなりません。

しかしネコの受け入れをあの手この手で拒む保健所や動物愛護センターが増えているのです。

これは、保身のためです。

イヌやネコの殺処分を多く実施して目立ってしまうと、愛護団体から苦情の呼びかけや情報開示請求のような苛烈な攻撃を受けることが多くなります。

そうならないよう、そもそも引き取らないように予防線を張っているのです。

表向きには「誤って飼い猫を引き取った場合は窃盗や器物損壊のような罪に問われる可能性があるので引き取れない」あるいは「ネコを捕獲する行為自体が適法かどうか分からない」等と言って断っているようです。

これらの理屈が通るのであれば、ノラネコを引き取って飼育する行為の多くも違法性が問われることになります。

しかしそちらは推奨される事が多く、言い分にかなり無理があります。

そもそも、ネコに対する行政的な判断と対応ができない状態そのものを放置していて良いわけがありません。

これでは行政的な責任を放棄しているに等しく、後述するようにネコと人の福祉上も全く逆効果となります。

飼い猫について、まずはリード(引き綱)の義務化、外飼いの原則禁止等の対策が早急に必要です。

この場合の外飼いには、例えばネコがそれより外に出られないよう十分に対策がなされた庭やテラスなどは含まれません。

つまりネコを一目で「飼い猫」と「野生のネコ」のどちらか分かるようにすべきであるということです。

② 外飼い・餌付けの問題点1

ネコの室内飼いは、犬と同様に何の問題もありません。

多くの問題が生まれるのは外飼い(ノラネコ)や屋外での置き餌行為です。

これらの行為は、ネコ側の観点でも弊害ばかりが存在します。

まずは感染症のリスクです。

ネコが屋外に出れば、感染症にかかる可能性があります。

ワクチンをうっていても、猫エイズ、伝染性腹膜炎、伝染性貧血等の感染症は防ぐことができません。

そして飼い猫に対してこれら感染症の主要な感染源となっているのが、ノラネコです。

絶滅が危惧されるツシマヤマネコやイリオモテヤマネコに対しても、感染症の主要な感染源はノラネコであると考えられており、大きな問題となっています。

交通事故のリスクも存在します。

毎年膨大な数のネコが交通事故にあっており、交通事故による死亡数だけで見ても保健所による安楽殺を大きく上回っていることが明らかになりつつあります。

ソース:大分市の統計例

ネコが無制限に繁殖してしまえば過密状態になり、栄養状態や衛生環境が悪化し、感染症や事故のリスクを増加させることになります。

屋外での繁殖の結果生まれた子ネコは、カラスやヘビ、その他中型哺乳類に捕食・攻撃される可能性があります。

大雨、台風、豪雪なども襲ってきます。

ノラネコは、生まれた分だけ、どこかで死んでいます

人の目につかないだけ、あるいは目をそむけているだけです。

感染症や多くの事故、餓死、天敵等によるネコの死は、安楽死に比べれば苦痛に満ちた無残なものです。

飼い主にケアされ、看取られるようなものではありません。

こういった”死に方”は、ペットを家族として扱う人には到底耐えられるものではないと思います。

外飼いや屋外での餌付け行為がネコへの接し方として当たり前に行われていることが、動物福祉上の最大の問題なのです。

③ 外飼い・餌付けの問題点2

外飼いや餌付けをする理由に目を向けてみましょう。

前述のとおり「閉じ込めるのが可哀そう」という理屈は通りません。

実際は「リードも無く外に出すのは危険で可哀そう」なのです。

幼い子供を、親の目も手も届かぬ場所へ放り出すようなものです。

では外飼いをする根本的な理由は何なのか?

それは糞尿の世話、爪とぎや室内遊びの回避が正直なところでしょう。

つまり面倒だから、楽をしたいからという理由です。

外飼いでは、ネコが病気や事故で治療が必要になっても気づかない場合が多く、もし気づいたとしても放っておくことができます。

そして何より、ネコが苦しみ続ける場面や死ぬ場面を見なくてすみます。

ネコを見なくなっても「あのネコはどこか別の場所に行ったんだろう」と自分を納得させ、精神的なショックを回避できます。

これが外飼いをする心理です。

苦しむ場面、死ぬ場面さえ見なければそれでいい。

「責任を回避しながらネコを手軽にかわいがりたい」という、実に自己中心的な態度です。

これはペットに対する責任の放棄そのものであり、全く擁護できません。

ほとんどのペットは人の寿命に比べてはるかに短命です。

動物の飼育には、その死をみとることも含まれます。

外飼いはもはや「ペット:伴侶動物」とは呼べないネコとの関わり方なのです。

屋外での餌付け行為もこの態度と同じです。

餌をあげてその場の充足感を満たし、責任は何一つ負いません。

それはネコを思った行為ではなく、無残な死体を増やし、ネコと人との軋轢を生じさせる行為です。

外飼いや餌付けはペットの遺棄と同様、厳しく批判されるべきものなのです。

④ 人への悪影響

外飼いは人に対しても悪影響を与えます。

一つは、ネコから人に感染する疾病である、人獣共通感染症のリスクです。

ネコ由来の感染症では、発熱や頭痛・腹痛・吐き気等の一時的な症状を引き起こす細菌性のものが多いのですが、一部では重症化して後遺症が残ったり命に関わる場合もあります。

特に妊婦が感染した場合に胎児に重篤な症状を引き起こす、トキソプラズマ症というものがあります。

潜在的な影響がまだ分かっていない部分も多く、トキソプラズマの感染によって人の行動にも影響が出るとする報告も多く見られます。

ソース:交通事故発生率の増加

そして外飼いや野外でのエサやりは、それによって迷惑や被害を受けている人、ネコが苦手な人に対し、ネコそのものへの強い拒絶感を与えることになります。

人間同士の近所トラブルが発展するような形で、「人に対する憎しみがネコに向く」場面も多く見られるようになりました。

実際、ネコの糞尿被害等への反発を背景として、毒餌がまかれたりネコへの虐待に発展するような事件が多く発生しています。

多様な価値観が存在する社会にあって、ネコの外飼いや野外でのエサやりは、ネコの敵を多く作り、ネコと人との健全な関係の構築へ大きな障害を生む行為なのです。

⑤ 綺麗ごとの代償

近年ではTNR(trap, neuter, return)と呼ばれる、ネコを捕獲し避妊去勢をして現場に放つ活動が多く報道されるようになりました。

「地域ネコ」では基本的にこの手法が用いられています。

しかしこの活動は、先に触れた外飼いの問題点をほとんど解決しません。

無責任で、動物福祉上の問題があり、ネコによる野生動物の殺傷は減らず、人や猫への感染症リスクも変わりません

避妊去勢しても、そのネコは事故や病気により、どこかで命を落とします。

TNRは「ネコの死を見たくない」という感情を満たすために、ネコに対して安楽死のような安寧な死ではなく、苦痛を伴う無残な死を強いるものです。

避妊去勢を盾にして外飼いを正当化するのは、結局ネコのためでもありません。

見えない所で必ず起こる終末から、目をそむけ続けています。

加えてTNRは、ごく小規模な閉鎖環境を除けば、すべてのネコに実施されることが現実的には期待できません。

屋外での餌付けが継続される場合、TNRを実施していないネコの移入と繁殖によって、問題を解決せぬまま延々と避妊去勢を実施するループに陥ってしまいます。

野生動物には環境収容力という言葉がありますが、野外で生活するネコにもこれが当てはまります。

TNRを実施する地域であっても、周辺で繁殖したネコの移入によって結局環境が養えるネコの数の上限が維持されてしまいます。

「ただ避妊去勢する」という選択肢単独では、ネコの外飼いが生む問題を永遠に解決できないのです。

実は法的にも十分には説明できないところがあります。

ネコを捕まえて避妊去勢すればその主体が責任を持って管理する存在(占有物)として一般的には認識されるものですが、その後の面倒を見ずに屋外へ放出すればそれは「遺棄」にあたるのではないか、という疑念があります。

近年、現実的な計画も無く殺処分ゼロを掲げる行政のトップが増えています。

受け入れを拒む保健所、TNRという手法、地域ネコという曖昧な用語が出てきた理由が、こういったトップの発言である地域も多くあります。

複雑にして問題解決を遠ざけ、事態を悪化させているだけです。

近年ではネコをNPO等に譲渡するようなシステムを組み始めた自治体もあるのですが、残念ながら優良で資金力のある団体ばかりではありません。

殺すよりは良いだろうとネコを引き受けた団体が、避妊も去勢もせずに飼育して繁殖が進み、猫屋敷と化している例も既に聞こえています。

ネコを引き受けた個人や団体は永続するものではなく、引き取った人が倒れたり団体が消滅してしまえば、引き取り手の無いネコが残ります。

ネコの引き取りに対価を求め、あるいは寄付金を募って、引き取ったネコは放出するというような団体も出てくるかも知れません。

ネコの譲渡や売買の条件についても十分なルール作りが必要です。

必要となる飼育環境や予算等について引き取り手に十分な情報を伝えず、在庫処分を優先するような譲渡・売買事例も多く存在します。

数字でなく、現在の不十分なシステムをこそ議論する必要があります。

浅はかな票稼ぎのために長期的なネコとヒトの福祉を犠牲にするようなトップを選んでしまわぬよう、候補者の意見の具体性や現実性をしっかりと確認しましょう。

⑥ 動物愛護法の改善点

簡単にまとめますと、動物愛護法には以下のような改善が必要です。

・ペットを室外に出す場合は首輪とリードをつけることを義務付ける
・ペットの飼育に関して届出を義務付ける(あるいは譲渡者や販売店の義務とする)
・屋外での置き餌を禁止する
・販売や譲渡は避妊あるいは去勢されたネコであることを原則とする

実はこれらは既に動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)の第七条に似た文言が書いてあるのですが、努力目標止まりで罰則規定が無いために具体化が遅れています。

この部分に踏み込む必要があります。

動物の販売及び譲渡については、禁止事項を具体化して罰則を強化し、いずれ取り扱いに免許制度を導入する形が理想的です。

これらによって「誰が責任を持って対応するのか」が明確になります。

⑦ 現在外飼いしている場合

現在外飼いをしている人には、現行法の下では以下のような対応を促すべきでしょう。

・家の外でエサをやらない
・家の中へ入れるネコを減らす
・室内で生活する割合が高いネコを完全室内飼いに移行する
・あるいは次の子ネコから完全室内飼いにする
・完全室内飼いのネコを飼い始めたら、他のネコは室内に入れない
・当然その後も、家の外でエサをやらない

外飼いを続けている人は、なかなかやめられません。

それは当然問題なのですが、社会的にそれが許容されていた期間が長かったことを踏まえ、解決には時間がかかることを想定しなければなりません

あるべき姿でネコが人との関係を持てるようになるには、適切な考え方と提案を多くの人に届ける必要があります。

一部の農家(畜舎)では、ネズミ対策のためにネコを飼育している場合があります。

その場合は別のネズミ対策手段をとるか、ネコが敷地外へ出ないよう十分な対策をとってもらうように働きかけることが重要です。

畜舎周辺でのネコの飼育は、飼育動物にとってもネコにとっても人にとっても衛生的ではありません。

もちろん基本的にやめたほうが良い行為です。

⑧ 何を問題とすべきか?

ネコの問題が取り上げられた際に批判にさらされるのは大抵、安楽殺処分を実施している機関です。

しかし保健所や動物愛護センターは実際のところ外飼いの結果生じた問題の被害者に近い立場であり、公的な問題を解決するために汚れ役を押し付けられている場所です。

職員は好んでネコを殺処分しているわけではありません

特に、勤務している獣医師は多くの葛藤を抱えているはずです。

心を痛めながら社会のためにと働いている人に対して非難や攻撃を加えるのは人道ではありません。

相手が違うのです。

批判すべきは、ネコへの無責任な接し方、それを擁護する意見、そしてそれを可能にしている法制度のほうです。

屋外でネコに餌付けする行為、自分が養っている猫を屋外に出す行為をこそ問題としなければなりません。

参考:米国専門家の意見

今生きているネコは、いつか命を落とします。

人の手による安楽殺以上に人道的な命の終え方は、屋外にはありません

何もかも助かるような甘い選択肢は、現実には存在しません。

安楽殺されるネコではなく、餌付けや外飼いをどのように減らすかへ視線が注がれなければ、救えない命が増えていくのです。

本来は環境省が十分にリーダーシップをとって制度環境を整えなければならないのですが、環境省も愛護団体による攻撃を恐れている様子が感じられます。

環境省は地方の事務所を含めて2000人程度の、国の機関としては極めて小規模な部署ですから、連日攻撃を受ければ多岐にわたる重要な業務がストップしてしまいます。

「殺処分数」にばかり批判が集中する状況が続けば、行政的なリスクを軽減するために、見えない無残な死を増やす方向へ環境省も簡単に傾いてしまうでしょう。

そうであるとすれば、ネコとヒトとの健全な関係の構築を真に阻害するのは?

ネコの死に動揺し、怒りの矛先を見誤った人の感情なのかも知れません。

ネコと人のあるべき関係、そしてネコの今後を真に思うのであれば、状況と選択肢を冷静に分析し、的確に意見する態度が必要なのです。

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銃器の所持にある課題

国内では、銃器の所持について厳しい仕組みが存在しています。

日本では、銃と言えば危険で排除すべきもの、という感覚を持つ方が非常に多いと思います。

一方で、その所持の仕組みや問題点についての情報はほとんど報道されません。

単純に銃を排除しようとすれば何が起こるのか?

今回は銃器の所持について調査したことをご報告します。

① 銃器の所持の仕組み

国内で銃器を扱おうと思ったら、大きく分けて2通りの方法があります。

一つは、警察官や自衛隊員のような銃器を扱う職業につく方法です。

今回はこれらには触れません。

もう一つの方法は、銃器の所持許可を受ける方法です。

ちなみに日本国内において特定の職業以外の人が「拳銃」の所持許可を受けることはできません。

拳銃は小型で隠して持ち運びしやすいため、凶悪犯罪に使われやすいからです。

日本ではエアライフル、エアピストル(競技用)、散弾銃、ライフルについて許可の制度が作られています。

銃器の所持には定められた目的があり、これらの目的の中でのみ銃器を使う許可が受けられる仕組みになっています。

目的 概要
狩猟 実際に狩猟に使うには狩猟免許と狩猟登録が必要

学術研究捕獲等の特殊な捕獲もなぜかこれに含まれる

標的射撃 主にクレー射撃(散弾銃)を目的とした所持

ライフル射撃の場合は日本体育協会からの推薦が必要

有害鳥獣捕獲 市町村から受けた有害鳥獣捕獲許可が必要

有害鳥獣捕獲では狩猟登録を求められる場合が多いため

実際にはこの目的で所持を開始できない場合が多い

銃器の所持目的は銃に関わる入口であり、目的に沿って明確かつ論理的であるべきなのですが、かなり無理を抱えた構造になっています。

ライフルの標的射撃では、ライフル銃を持ってすらいない者が推薦を受けなければなりません。

あるいは世のため人のため、有害鳥獣捕獲のために銃を持とうと思っても、まずは趣味の狩猟から始めろと言われてしまう(リンク先①)状態です。

特に社会的な要求の大きな有害鳥獣捕獲では、わなに大型のイノシシやシカがかかった場合を想定し、とどめを刺す際に危険だから銃を所持しようと考える人が多くなっています。

しかし狩猟免許を取得し、狩猟の目的で猟銃の所持許可を受け、都道府県の狩猟登録を経て、市町村の有害鳥獣捕獲の許可をもらうには、長ければ3年もかかってしまいます

このため有害鳥獣捕獲を考えている人は、捕獲をあきらめるか、危険な場面を覚悟してわなで無理に捕獲するか、という判断を強いられているのが現状です。

わなのみで捕獲する場合、わなにかかって暴れまわる大型哺乳類を相手にナイフ等の刃物で対応することになります。

目的の部分で混乱した後、銃(散弾銃)を所持するまでには以下のような手続きを必要とします。

 猟銃等講習会 猟銃の所持に関する講習会。

筆記試験に合格すると「講習修了証明書」がもらえる。

 教習資格認定申請 射撃教習を受ける資格があることを示す手続き。

・講習修了証明書
・経歴書
・同居親族書
・住民票
・医師の診断書
・写真2枚
・身分証明書(破産者でない旨)
というような書類を求められる。

 火薬類譲受許可申請 教習射撃をうける時に使う弾の購入のための許可。

これを受けた後に弾を購入する。

 射撃教習 実際に銃を用いて射撃を行う。

当日の練習の後、クレーを撃たせ、規定の枚数当てられれば教習終了証明書がもらえる。

 譲受承諾書 銃の販売店や銃を譲渡してくれる人の承諾書。

銃を売るorあげる気であることを証明する。

 所持許可申請  ゴールである、銃を所持する許可の申請。

・講習修了証明書
・教習修了証明書
・譲渡承諾書
・経歴書
・同居親族書
・住民票
・医師の診断書
・写真2枚
・身分証明書(破産者でない旨)
・保管場所報告書
というような書類の提出を求められる。

この申請の間、警察による自宅保管庫の確認や、自宅周辺の人への聞き取り等が行われる。

このように、銃器を所持するには面倒な手続きが山積みなのです。

ちなみに、ライフルについてはさらに要件が厳しく、銃を所持してから10年を待たないとほぼ所持できない状況になっています。

そして銃を所持した後も、以下のような手続きが継続してあります。

 猟銃の一斉検査 毎年、面接と銃の検査が警察署で一斉に行われる。
 火薬類譲受許可 実包(弾)の購入の際に必要。

猟友会員であれば、狩猟における使用については無許可譲受証で済む場合が多い。

 猟銃等講習会 経験者対象の講習会。

試験は無く、受ければ講習修了証明書がもらえる。

 技能講習 猟銃の取り扱いに関する講習。

安全な運用や最低限の射撃水準をクリアしたら「技能講習修了証明書」が得られる。

 所持許可の更新 所持許可は3年ごとに更新しなければならない。

更新には以下の書類が必要。
・銃の所持許可証
・銃の使用実績報告書
・講習修了証明書(上記)
・技能講習修了証明書(上記)
・経歴書
・同居親族書
・住民票
・医師の診断書
・写真2枚
・身分証明書(破産者でない旨)
・保管場所報告書

日本国内では、猟銃を用いた凶悪犯罪は世界的に見ても非常に少ない状況になっています。

これは、全員に対し毎年行われる一斉検査時の面接や確認が効いているのではないかと思います。

この面接において、金銭や人間関係上のトラブルが無いか確認がなされます。

一方、警察官の拳銃の所持にはこういった面倒な手続きや段階がありません。

皮肉なことを言えば、仕事を持ちながら猟銃の所持許可を受けるより、警察官になって拳銃を取り扱うほうが楽で簡単かも知れません。

しかし所持許可の煩雑な手続き全てが安全性の確保の面から有効かどうかについては、より広い視野で見なければなりません

② 所持を厳しくすれば安全?

安全に関する”広い視野”の一つが、銃所持規制の厳しさが世代間で大きくなっている状況です。

銃の所持は年々厳しくなっていますが、それはつまり世代を遡るほど緩い基準で所持が許可されてきた、ということです。

ここには負のループがあります。

大型野生動物の捕獲や危機対応の場面において、猟銃と銃の所持者は一定数必要です。

しかし所持が厳しくなった若い世代がなかなか銃を所持できないため、高齢世代が優遇され、現役を無理に続行させようとする状況が生じています。

高齢者どころか後期高齢者の銃の所持と使用が結果的に進められているのです。

それ以外にも例えば、高度な技能と安全性が要求されるはずの有害鳥獣捕獲の実施隊員は、所持許可の更新の際に求められるはずの「技能講習修了証明書」が免除されています。

どういう事かと言えば、安全性が最も求められる年中捕獲を実施している銃所持者が「安全に銃器を運用できる能力の証明」を持たずに所持許可を更新し続けているのです。

これは、既に有害鳥獣捕獲が利権化している団体・世代(リンク先⑥)への、あからさまな保護・優遇措置でもあります。

優遇する理由は、有害鳥獣捕獲を実施する人数の危機的な状況にあります。

現在の銃所持者にまともに技能講習を受けさせれば不合格になる者が大勢含まれているため、この優遇措置が無ければ多くの自治体で有害鳥獣捕獲の担い手が確保できず、実質的に破綻してしまうのです。

そしてこの優遇措置が、高い事故率(リンク先④)となって表れています。

新規所持者を無理に狭めたがために、緩い基準で所持を許可した高齢の世代の技能確認を免除せざるを得なくなり、事故リスクを増加させているということです。

これは技能講習のみの話ではなく、銃器や捕獲に関するさまざまな制度に歪みを生んでいる根本的な構図です。

銃の所持に適さない人に許可を出さないことは当然ですが、適格な人の所持を阻害することは、”広い視野”で見た安全性の観点からは無理を生むのです。

③ ライフル10年が生む歪み

それ以外にも制度に関わる問題が山積しています。

例えば、明確に問題を抱えているのがライフル所持に関する制度設計です。

動物の捕獲を目的とした銃器の所持には、3つのクラスがあります。

 空気銃
(エアライフル)
基本的に鳥類を狙う、火薬を使わない銃器。

技能講習が免除されており、所持が比較的容易。

止まった的を正確に狙う射撃。

 散弾銃 ライフルではない装薬(火薬を使う)銃。

弾や銃身の選択で鳥~哺乳類を広く捕獲対象とする。

クレー射撃のように移動する的を狙う射撃が多い

 ライフル 銃身の半分以上にライフリングが施されている装薬銃。

イノシシ、シカ、クマ類のみを捕獲対象とする。

止まった的を正確に狙う射撃。

銃は銃でもそれぞれ運用方法も訓練方法も全く異なります。

ところが、現在の制度では装薬銃(つまり散弾銃)を10年持った後でなければ、ライフルの所持がほぼできない構造になっています。

これは非常に危険です。

強化すべき技能や安全性の確保の仕方が全く異なるのです。

短距離走の訓練を10年以上続けた人でなければマラソンに出場させないようなものです。

散弾銃では銃身を振って(動かして)的を撃ちますが、ライフルでは銃身を止め、止まった状態の的を狙って撃ちます。

これは、散弾銃(クレー射撃)の場合の弾の到達距離はせいぜい200~300メートルであるのに対し、ライフルだと2000~3000メートル到達する場合があるというような、安全確認を行うべき範囲などにも配慮された運用方法です。

散弾銃の訓練を10年続けた人にライフルを持たせれば、視認できない範囲まで弾が到達する可能性があるのに銃身を振りたがる捕獲者ができ上がってしまいます

ライフルの所持までに10年という年月がかかることで、ライフルを所持している事自体がステータス(かっこいいもの)と化している部分もあります。

必要も無いのにライフルを欲しがる狩猟者をこの制度が作っているのです。

このライフル10年という制度は散弾銃との間にランクを付けるものなのですが、そもそもライフルのほうが根源的に散弾銃よりも危ないという事実はありません

前述の通り、事故が発生するリスクは運用方法と訓練次第なのです。

現在の事故の多くは、銃に弾を込めたままでの移動や、矢先(撃つ方向)の確認不足というような、撃つ場面を逃すまいとする散弾銃的な運用で起こっています

これは獲物を遠方で捉えてから準備し正確に狙って撃つライフル的な運用では起こりにくいものです。

散弾銃を入口とする制度は、現状の捕獲対象にも全く合っていません。

現在はイノシシやシカといった大型哺乳類を対象として銃を所持する人がほとんどです。

しかし散弾銃を用いて大型哺乳類を狙う場合、6~9粒の弾をバラバラに撃ち出す弾か、ライフルよりも圧倒的に集弾性の悪い1発弾のどちらかを使うことになります。

山林でイノシシやシカを狙う場合、矢先の安全確認がライフルよりも難しい弾を使用せざるを得ないということです。

ライフルを散弾銃の延長と捉える意味も根拠も不明な許可体系が事故を育てています。

日本の捕獲の実際から考えて、銃所持の入り口として散弾銃は全く適していません。

銃器は目的と使用方法にあった種類を所持し訓練すべきもので、銃に無意味なランク付けをした上に全体をまとめて使用経験で判断するというのはあまりに無計画すぎます。

事故ではなく事件に利用されるリスクはどうかと言えば、これもライフルが特別危険というわけではありません。

例えば海外では、ソードオフ・ショットガンと呼ばれる改造された散弾銃が凶悪犯罪に利用されるケースが多く、殺傷能力も非常に高いものになります。

どうやら、このライフル10年の規制ができた昭和46年頃に銃の所持者が増加していた(リンク先②)こと、ライフル銃が使用された事件が複数発生したことが制度発案の背景にあるようです。

ケネディ大統領暗殺事件も、当時の警察側の懸念としては大きかったのではないかと個人的には考えています。

しかし、ライフルが用いられた国内の事件でも「ライフルが散弾銃であれば発生しなかった事件」はありません

ライフルに10年の装薬銃経験を課す経緯をどれだけ調べても、論理的な根拠は出てきません。
(興味をお持ちでしたら「ライフル 10年 由来」で検索してみて下さい。)

ライフルはライフル、散弾銃は散弾銃と許可区分を分け、初年度からそれぞれに適した安全性の訓練が開始されるよう、早急に制度を改めるべきでしょう。

④ 火薬の管理

銃というのは弾が無ければ発砲できません。

このため、実包や火薬を厳密に管理しようとするのは理解できるのですが、現状の制度は空回りしています。

一つの問題として、実包(火薬と弾頭が入った状態の弾)の遺棄事例が多く発生している現状があります。

水辺に遺棄された実包

残念ながら犯人はほぼ特定できません。

銃の所持者は「購入数ー使用数ー残弾数」を記録する義務があるため追跡できるように思うのですが、実際は非常に難しいのです。

狩猟や有害鳥獣捕獲で銃を使う場合、山林内でどれだけ発砲したか(使用数)は本人でなければ分からないため、帳簿を簡単にごまかせるからです。

目を向けるべきは「捨てる理由」で、単刀直入に言えば「購入した弾の使用期限が設定された状態」に問題があります。

購入した弾の使用期限は、狩猟の際に用いる「無許可譲受証」で購入した弾について1年、有害鳥獣捕獲の場合は捕獲許可が切れた時点から3か月と設定されています。

これが「消費できずに遺棄し、帳簿をごまかす人」を生じさせています。

帳簿上は恐らく、狩猟で使ったことになっているはずです。

危険だしもったいない(弾本来の使用できる期間はかなり長い)ので、基本的に弾を捨てたいと思う銃の所持者はいません。

しかし目的もなく弾を撃つわけにもいきませんから、弾が余れば期限内に射撃場等に行き消費せざるをえないのですが、現在射撃場はとても少なく、移動費や射撃場利用料が生じ、日程調整等の手間が生じるために捨てる人が出てきます。

当然この行為自体は批判すべきなのですが、取り締まりが難しい現状で元来捨てる必要も無いものを投棄させている制度には明らかに問題があります。

制度設計については、以下のように見直すべきでしょう。

・銃の所持許可を火薬類の購入・所持許可と兼ねた許可とし、銃の所持目的と弾の使用目的を兼ねる
・少なくとも、無許可譲受証の制度を廃する
・自宅に保管できる弾数の上限(現状800発)を大幅に減らし、必要な人の申請があった場合のみ上限を段階的にあげる措置をとる
・一斉検査時に申告された残弾数と帳簿の整合について、毎年一定数の所持者に対し抽選で検査を行う。

こうすれば銃の所持者は弾の購入に関して余裕ができ残弾をごまかす必要もなくなるため、弾の出入りがゆるやか且つ正確になって追跡と把握もしやすくなります。

⑤ どうすべきか?

警察の考え方は恐らく「銃も弾も無ければ事故も事件も起こらない」というものです。

そのために入口となる所持許可を厳しくし、時間と手間をかけさせ、とにかく”嫌がらせ”をして所持者数を絞っていくという戦略を様々な分野で選択してきたのではないかと思います。

これまでの事例を見聞きしていると、銃の所持許可申込の窓口で担当警察官から理不尽な扱いを受ける人も多くいたようです。

しかし散弾銃やライフルを所持している警察官はほとんどいませんから、拳銃以外の銃器を運用する際の危険性や課題について警察側も明確な根拠を持っているわけではありません。

制度や対応の中にも、実際には無意味であったり逆効果となるような、イメージが先行したものが驚くほど多くあります。

いわゆる縦割りの問題もあります。

銃所持者が減少し農林水産被害が増加しても、警察は管轄が全く違いますから、被害についての文句を言われぬまま知らぬ顔を続けることができます。

その結果として特措法のような制度の歪みが返ってくるのです。

しかし、警察もそろそろ無視できなくなってきたのではないでしょうか。

大型獣類による人身事故、交通事故、都市部や住宅地への侵入、捕獲時の逆襲事故というような、捕獲者の減少に起因する問題が多数発生しているからです。

高齢の銃所持者による事故という、制度上の弊害も生じさせています。

”広い視野”に立てば、これらは無理を伴った銃器所持への締め付けの結果発生する人災なのです。

この点ははっきりと、無責任であると言わなければなりません。

銃は使い方を誤れば当然危険です。

だからこそ、イメージではなく実際の効果をしっかりと見据えた制度設計が必要なのです。

動物を捕獲する銃器は社会的に十分な需要とメリットがあり、銃所持への締め付けには相応の副作用がある現実を踏まえて、リスクと同時に公益に照らした制度設計が必要です。

なすべきことは以下のようなものです。

【不適格者に銃を持たせない】
有害鳥獣捕獲実施隊員への技能講習の免除を廃する
猟銃等講習会の経験者講習でも一定の試験を課す

【不適格者のより分け以外の手続きを整理する】
所持目的の区分を現状に即して整理する
火薬類譲受の許可を銃の所持許可と合わせる(無許可譲受証を廃する)
必要書類の様式を問題無い範囲で統合し、無駄な重複項目を廃する
必要書類の記入例等をわかりやすく提示する

【事故に配慮した所持許可システムへの変更】
ライフルと散弾銃の所持許可と適正試験を分ける
空気銃、散弾銃、ライフル銃それぞれに狩猟免許を分ける

【屋外での取り締まりを強化する】
猟期の見回りを実施し、監視体制の実質的機能を強化する
(理由はこちら:リンク先④)

これらが実施されれば、世代間の銃所持者数の偏りによる弊害や、事故の発生率をある程度緩和することができるでしょう。

都道府県で銃の所持に際して細かな対応や要求に差が生じる事も非常に多いのですが、これも是正すべきです。

こういった要求の差は法に規定されているものではなく、銃に関する知識や視野が不足した担当者のイメージによる根拠の無い無意味な要求・逆効果な要求となる可能性があるためです。

あらゆる道具は、使い手・制度・環境次第でリスクと価値が変化します。

その前提に立って、社会全体での銃器のリスクを評価しなければなりません。

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オオカミの導入という夢

シカやイノシシのような大型哺乳類の増加による問題に対し、国内にオオカミを導入して対応すればよいのではないか、といった意見がちらほら見られます。

オオカミという生物の生態や現在の日本の状況から、実現性や効果を考えてみます。

① 海外での導入例

オオカミの再導入についてはイエローストーン国立公園の例がよく取り上げられます。

イエローストーン国立公園では、1926年の確認を最後にオオカミが絶滅していた期間がありました。

その結果、エルクのような偶蹄目の採食圧によって植物が大きく圧迫され、その環境の変化によって他の多くの生物が影響を受ける状態となったため、1995年にオオカミの再導入が開始されました。

ソース:イエローストーンの計画書(大きいので注意)

再導入はすんなりと進んだわけではなく、地元の牧場との補償面での合意や環境保護団体からの反対、いくつかの訴訟を経て実現に至っています。

現在ではオオカミが絶滅していた期間に見られた影響が軽減されていることが確認されています。

一方、家畜への被害とオオカミによる人身被害が発生・増加しており、この点については今後も課題となっていくでしょう。

ソース:再導入例について紹介する国内の報告

② オオカミ導入の効果は

イエローストーンと日本のオオカミ導入は、実は、目的が全く異なります。

イエローストーンの場合は「公園の観光資源(植物)へのエルク等による悪影響を管理するコストの低減」と「新たな観光資源(オオカミ)の作出」という目的でした。

イエローストーン国立公園内ではハンティングが禁止されており、周辺からハンターに追われた偶蹄類が公園内に集結してくるが、狩猟解禁は公園の性質上難しい、という背景もあったようです。

一方日本の場合は、ほぼ「シカやイノシシの農林業被害対策」としてオオカミの導入を考える傾向にあります。

これは重要なことですが、イエローストーンではシカ等の農林業被害軽減を目的にオオカミを導入したという認識は全くありません

目的が異なれば、方法の効果は全く異なります。

日本は逆に「生態系への影響の軽減」を実質的な目的としたシカ管理の予算をほとんどつけておらず、山林内のシカについては放置している状態です。

日本国内の農業被害はシカとイノシシを合わせて100億円程度で、イエローストーンでのオオカミの試験的導入の予算は7億円程度を見込んでいました。

ソース:イエローストーンの計画書(大きいので注意)

イエローストーンの面積が約9000㎢ですので、日本の山林面積に換算すると導入コストは単純計算で約200億円となり、大赤字です。

加えてイエローストーンには、公園管理のためのスタッフと設備(及びその予算)がもともと整った環境がありました。

ちなみにオオカミ導入により農林業被害がゼロになるわけではありませんし、オオカミ導入による農業被害上マイナスの効果も考えられます。

オオカミを導入する場合は、オオカミが人家付近に出て来ないようにコントロールされることが前提となるはずです。

このため、山林内のオオカミに圧迫されてより「より安全な」農地や都市近郊にシカやイノシシが逃げ出してくる可能性があります。

これは、人の誤射を恐れ山奥に入って捕獲を行うハンターが増えたことによって里地周辺に獣が集まる状況と同じ構図です。

農業被害に加え、交通事故のような人身被害も増加する可能性があります。

農林業被害を抑えたいのであれば、まずは被害を受けた農家が自分で捕獲できるよう対策環境を整備(リンク先⑥)するのが先でしょう。

生態系サービスの観点での損害を考えるのであれば、オオカミ導入を議論するより先に、対象とする生態系サービスの価値や損害を算出し、シカ管理を目的とした十分な予算と体制の確保を議論すべきでしょう。

シカの管理にすら十分な体制と予算がついていないのに、より困難なオオカミの管理を増やそうというのでは本末転倒です。

③ オオカミ導入の生態学的リスク1

イエローストーンと日本のオオカミ導入は、全く環境が異なります。

イエローストーンは北米大陸で陸続きのカナダから再導入されましたが、日本の場合は海を隔てた海外から導入されます。

これは実はかなり重要な観点です。

多くの動植物種や感染症が共通で移動も自由である環境か、そうではない全く別の環境であるか、というとても大きな違いがあります。

問題はまず、狂犬病をはじめとする感染症です。

検疫の期間を十分な配慮と共に取る必要があり、現地での捕獲、空輸や餌の管理、一時保管等のコストが北米の事例よりも多大になることが予想されます。

動物園等の飼育個体を用いれば良いという意見もあるかも知れませんが、人に馴れた大型の肉食獣は極めて危険で、人身被害や人家周辺への出没リスクが非常に大きいため、これらの放獣は選択肢に入りません。

飼育個体はシカやイノシシの捕獲方法を十分に学ぶ機会が無いため、自然な餌を十分に得られず、人工的な環境の楽な餌に集中する可能性が高いのです。

加えて、導入種と絶滅種との生態学的な差に関する問題があります。

絶滅してしまったニホンオオカミは、タイリクオオカミの亜種であるとされています。

日本に導入する際の候補として挙がっているのは、このタイリクオオカミです。

しかし、ニホンオオカミとタイリクオオカミの間にはツキノワグマとヒグマ(リンク先①)並みのサイズの開きがあります。

  ニホンオオカミ エゾオオカミ タイリクオオカミ
生息地 本州以南(絶滅) 北海道(絶滅) ユーラシア大陸
体長 95-115㎝ 120-129㎝ 100-160㎝
体高 56-58㎝ 70-80㎝ 60-90㎝
体重 15㎏   25-50㎏

北海道に生息していたエゾオオカミについては、大型であり、遺伝的にも大陸の亜種とかなり近縁であったことが明らかになっています。

このため導入に関する真剣な議論は、北海道、特に知床国立公園に偏ります。

ソース:知床博物館1
ソース:知床博物館2

しかし本州への導入については「再導入」とは呼べません。

ソース:IUCNのガイドライン

オオカミの導入を提言する一部の研究者は「絶滅種のサンプルが少なく、分類が正確でない」ことを根拠として「同種である」と表現し、本州への「再導入」は問題ないという、かなり論理が破綻した意見を示しています。

本州での導入を考える場合は、ニホンオオカミの「生態学的代用」という観点でタイリクオオカミの導入が議論されることになります。

つまり「一つの道具である」という考え方です。

IUCNのガイドラインでの趣旨は「生態学的に機能を代用する種であるべき」というもので、その候補として亜種や近縁種があると述べているに過ぎず、遺伝的に見て亜種の関係であれば何でも良いと言っているわけではありません。

亜種なら何でも良いのであれば、タイリクオオカミの1亜種である「イヌ」でも問題ないという考え方になります。

生態学的な機能を考えた場合、サイズというのは非常に重要な因子です。

タイリクオオカミを本州に導入した場合、他の大型~中型獣への圧迫、そこから派生する影響の偏りは、ニホンオオカミと全く異なるものになるでしょう。

ニホンオオカミのように亜種に分かれた後に長い時間が経過している種では、生態学的に許容できる範囲の類似性を持つ種は存在しないと考えるべきです。

イヌを見れば分かりますが、サイズが同じでも性質や行動は全く異なります。

エゾオオカミを見ても、タイリクオオカミが亜種の関係だからと言って、北海道内で時間をかけて適応してきた生態学的機能と大陸の中で適応してきた生態学的機能の間には当然差があります。

一般に、大陸の生物を島国に移動させる行為は、逆に比べてインパクトが大きくなる傾向にあります。

陸続きの環境での再導入は「放っておけばいずれ入ってくるものを加速させる」だけの作業ですが、海を越えるものは意味が全く違うのです。

④ オオカミ導入の生態学的リスク2

同じ地域に同種を導入する場合であっても、人の活動や外来生物の定着等の変化により、時代や年代によってその種の振る舞いは異なってきます。

例えば、シカやカワウのように、一時期絶滅を危惧されるほど減少した在来種が現在急激に増えているのは、シカやカワウが変化したのではなく人的要因や環境、生物間の相互作用が変化したためです。

日本の国土のほとんどは、イエローストーンのように自然なバランスのまま残されてきた環境ではありません。

国内の環境や生物種の構成は、オオカミが絶滅した後の100年でどれほど変化したのでしょうか。

現在の環境に送り込まれたオオカミはどのような振る舞いを見せるのでしょうか。

オオカミが定着した後に何が起こるのか、問題が生じたとしてそれが生じる分野はどこなのか、規模と範囲はどれほどか、コントロールにどれほどのコストがかかるのか、そもそもコントロールできる類の問題なのか。

分かっているのは、それらが誰にも分からないという事実だけです。

マングースやオオクチバスのように、生物を導入する場合、問題が生じるのは期待した効果以外の予期しない側面であり、自分よりも後の世代になって、長期にわたる困難な問題となる場合が多いことを忘れてはいけません。

これらの失敗は「分かっていたらやらなかった」し「分からなかったから失敗した」ものです。

当時の生物学者は、当時知り得ることは知っており、当時考えるべきことは考えており、そのうえで失敗しているのです。

こういった失敗の歴史を踏まえて、自分が知らない現象、現行の科学が知らない結末を避けるために、予防原則が叫ばれています。

一部に見られる「同じオオカミだから大丈夫だ」という意見は、生物の不確実性と現行科学の限界、自分の無知をリスクとして認識できていません。

巨大な損失を未来の世代に残す可能性を秘めた「生物の導入」は、他のどんな施策よりも慎重であるべきなのです。

生物の振る舞いというのは、全く明らかになっていない幾千幾万の種との相互作用とバランスによって現れてくるからです。

⑤ オオカミ導入の社会的なリスク

生態学的な課題を解決したとしても、もう一つ大きな課題が残っています。

それは、人や社会との軋轢です。

オオカミは100~1000㎢程度の非常に広大なナワバリを形成します。

そんなナワバリを許容できる場所はあるのでしょうか

例えば100㎢の範囲を考えると、ほぼ直径11㎞の円の面積に相当します。

日本の地図を見てみましょう。

北海道に関しては可能性がありますが、本州以南では国道や都府県道にほぼ間違いなくはみ出してしまいます。

そこには、オオカミがいないことを前提とした無数の生活があります。

何より、シカやイノシシの問題を解決すべき現場のほとんどは、山奥ではなくそういった道沿いに存在しているのです。

オオカミは家畜、犬、人に対して被害を出しますが、周辺の住民に対して「家畜の柵を強化しろ」「犬の外飼いや散歩を控えろ」などと要求はできません。

そんな環境にオオカミを抱えれば、遭遇や人馴れ、被害が多発してオオカミはすぐに駆除・根絶の対象となり、導入者は訴訟に追われるでしょう。

日本でのオオカミは在来生物ではなく、シカ等の管理コスト軽減のために導入される「道具」であるため、「種を残すこと」は導入の目的にはなりえません。

被害に対する補償やオオカミの生息域の把握・管理を含めたコストは、シカ等の管理コストとは別に(恐らくはより大きな規模で)発生します。

人身事故も、扱いが非常に難しいものになります。

ツキノワグマのように在来の生物であれば「昔から存在するリスク」として許容できる部分がありますが、導入したオオカミが人身事故を起こせば、その責任は導入した者にあります。

イエローストーンのような「訪問者の自己責任」という意見は出てきません。

もう一点不安視されるのは、人馴れ個体や人身事故を起こした群れなど、危険な個体が生じた際に、日本の現状で的確にそれを除去する技術と人材を確保できるのか、という部分です。

特に、広い範囲を移動する特定個体の捕獲は困難を極める作業で、シカの捕獲すら難航している国内の状況を見ていると、広い範囲をカバーした対応は不可能であるように思えます。

イエローストーン国立公園のように、広大で、土地の管理者が単一であり、オオカミが観光資源として有益で、優秀なスタッフと財源が既にあり、範囲内の人間が全てビジターである環境は、日本にはどこにもないのです。

農業被害対策としても、生態系サービスの管理を目的としても、社会的な措置や運用に関するコスト、問題の処理業務が膨大となるため、オオカミの導入は費用対効果の極めて低い対策オプションとなるでしょう

⑥ そもそも定着できるか

オオカミは現在、多くの先進国で保護されています。

その事実からも明らかですが、オオカミは広大な生息域を必要とする種であり、簡単に定着できる種ではありません。

ニホンオオカミが絶滅した理由は諸説ありますが、犬由来の感染症、餌資源の不足、人為的な駆除、生息域の分断等の複合的な要因が挙げられています。

このうち改善されていることが期待できる要因は餌資源の不足だけです。

一方、犬由来の感染症、生息域の分断、人為的な駆除については環境がむしろ悪化していると考えるべきでしょう。

犬の飼育頭数は戦後から増え続けています。

ソース:厚労省統計

100年前に比べて犬の予防接種等の環境が改善したとはいえ、犬の頭数増と不顕性感染の増加、道路の整備による山林と人家の接近により、ジステンパーやパルボのような犬の感染症がオオカミへ伝播する可能性は高くなっていると考えられます。

生息域と駆除についても、地図を見れば分かります。

100年前に比べて圧倒的に道は整備され、その結果山々は区切られており、人の生活圏が道に沿って広がっています。

ツキノワグマですら見かけただけで駆除の対象となり、野生動物の交通事故が多発するこの国は、オオカミにとって極めて危険な生息地です。

導入されたオオカミは在来ではなくただの「道具」としての存在ですので、一度被害が出れば駆除を誰も止められず、見かけただけで捕獲が検討されかねません。

これらの理由で、現在の日本にオオカミは十分に定着できそうに思えません。

定着したとして、保護が必要なほど弱々しいものになると考えられます。

もしオオカミを実際に導入する場合でも、現実的には極めて狭い範囲に限られるのではないでしょうか。

そしてそれは当初あった、農業被害の軽減や生態系サービスの維持という目的からは全く見当はずれで不十分な範囲と規模になってしまうはずです。

こういった目的から乖離した事業の終着点は様々な場所で見られます。

近年ではジビエがその例です。

オオカミについては幸い、法制度の問題や原産国との調整といった事務的な課題が多く、本気の実施へは動いていません。

ここから起こりうるのは、実際にはできないのに放獣予定としたタイリクオオカミの飼育や、再導入地の現地視察というような行き止まり事業、無駄遣いです。

これらについては、引き続きしっかりと監視しておく必要があるでしょう。

⑦ なぜこのような意見が?

これまで見てきたように、国内へのオオカミの導入については大きな矛盾とリスクが存在します。

ではなぜ、オオカミの導入を推進する研究者がいるのでしょうか。

一つは、やはりイエローストーンという導入例です。

国内には大型の捕食者が存在しない(クマ類はほぼ植物食:リンク先①)ため、それらの保全や管理に関わりたいと考える研究者が、イエローストーンの管理体制に憧れを抱き、無理に導入を進めようとしているように感じます。

もし導入が進展すれば、それを進めていた研究者は当然この分野の中心となって独占的に研究でき、身内の就職先として管理スタッフを配置できるというような絵も描いているかも知れません。

研究者も人間ですので興味や願望は当然ありますが、これは日本の自然環境と地域住民の生活の場を実験場とする発想であり、全く擁護できません。

もう一つは、メディアや学生等の集客力です。

オオカミの復活という言葉にはかなりのインパクトがあり、導入の課題等の詳細を知らない素人の取材者が「良いアイディアだ」として取り上げる傾向があります。

大型肉食獣に興味がある学生は多く存在するため、研究室や大学そのものも集客効果が見込めるのです。

オオカミの導入を進めようとする研究者には、いくつか特徴があります。

一つは、オオカミの導入に関するコストや効果等について、捕獲を含むその他の被害抑制手法との現実的な比較をしない点です

あったとして、たとえばオオカミがシカだけを捕食し森林面積ぎちぎちに群れが配置されるような、かなり希望的な試算が基になります。

海外における再導入は陸続きの地域で行われるものばかりなのですが、日本においては海を越えた再導入になるという手法の特殊性にも触れません。

人身被害についてもかなり楽観的であり、詳細な分析が無い点も特徴です。

オオカミの擁護者となって「安全である」という意見のみを繰り返し、論理的な被害リスクの説明が無いのです。

オオカミの人身被害は、周辺環境やオオカミの個体数に当然影響を受け、人の土地利用や人口密度、それによる人馴れにも影響を受けます。

日本に導入した場合どの程度の被害が予想されるのか、シナリオを分けて提示すべきでしょう。

問題の効率的な解決に興味がなく、オオカミの導入そのものが目的であるためにこのような傾向になるのではないかと思います。

願望が先に立ち、理屈が後付けなのです。

もし導入を実現させたければこういった詳細な分析は隠さずに出したほうが良いと思うのですが、この分野の研究者もそろそろ撤退の準備を考え始めているのかも知れません。

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猟友会という組織

鳥類や哺乳類の捕獲の際に「猟友会」という組織の名前がよく出てきます。

この組織の実態や抱える問題について調査した内容をご紹介します。

① 猟友会の成り立ちと組織

猟友会はもともと、毛皮や肉を安定的に供給するために国の主導で1929年に創設され、戦後も同じ目的で組織が継続されました。

猟友会は現在一般社団法人なのですが、創設時の名残で市町村の行政職員が事務等の部分を肩代わりしているという問題を持つ地域も存在します。

組織の構造としては、大日本猟友会の下に都道府県猟友会、その下に市町村支部が存在するツリー状の構造になっています。

各支部の長は構成員の選挙によって選ばれ、大日本猟友会の長は都道府県猟友会長の選挙によって選ばれます。

現在の大日本猟友会会長は元衆議院議員の佐々木洋平氏です。

大日本猟友会及び都道府県猟友会は一般社団法人の形態をとっていますが、その下の市町村支部は法人格を持っていない(形上は都道府県猟友会の一部になる)場合が多くあります。

一般社団法人は非営利なのですが、公益的(公益法人)ではありません。

非営利とは、株式会社のような「利益が出た場合に内部に還元する」ということをしないという意味です。

それ以外の部分では、一般社団法人は普通の会社と同じです。

② 思惑と行動原理

現在、猟友会は趣味で狩猟を行うハンターが集まった組織となっています。

大型哺乳類に関する歴史(リンク先②)でも書きましたが、狩猟によって得た肉や毛皮の販売によって生計を立てている人は現代ではほぼいません

魚で言えば、漁師が消えて釣り人が残ったような状況です。

ハンターは、思惑や行動原理が釣り人とよく似ています。

猟友会が組織として共有している意識は「獲物がたくさん獲りたい」「楽しく獲りたい」というものです。

農林業等の被害があるため大きな声では言いませんが、ジビエの構造(リンク先④)でも書いたとおり、基本的にはシカやイノシシのような獲物は多いほうが良いというのがハンターの考え方です。

魚が多くいるほど釣り人が喜ぶのと同じです。

加えてハンターは、ハンターの数が増えることを望みません

ハンターが増えれば獲物が減り、自分が狩猟に入っている地域の獲物が獲り荒らされてしまうからです。

このためハンターが多数いた頃から、トラブルを避ける目的で「ナワバリ」と呼ばれる仕組みが形成されてきました。

「この地域は自分たちが入るから、よそ者は来るな。そのかわり自分たちもよそへは行かない。」という不文律ですが、これがいまだに残っており、様々な問題を起こしています。

ナワバリという言葉が示す通り、狩猟者の多くは非常に排他的で、捕獲者が増えるような仕組みの改善に抵抗します。

上下関係が厳しい支部も多く、50~60代の方が市町村猟友会に入った場合も、猟友会の内部はそれ以上の歳の人ばかりですので、下っ端の役回りをさせられて実質的な捕獲ができないというような地域も多いようです。

③ 組織運営上のリスク

猟友会は構成員の減少と高齢化が急速に進んでいます。

しかし市町村支部レベルでは「新人やよそ者が入ってきてイザコザが起こるより、今のままが良い」という意見が多勢を占めているようです。

自分たちが引退するまで身内で楽しくやっていたい、ということです。

古くから各支部の間にはナワバリ争いが存在しており、隣り合った市町村支部同士は基本的に仲が悪いため、連携や共同での対策もほとんど打てません。

大日本猟友会や都道府県猟友会は市町村支部の会費によって運営しているので、構成員の減少は致命的なのですが、市町村支部レベルでは他人事なのです。

この大日本や都道府県の猟友会に対する会費の支払いに腹を立てた市町村支部が猟友会を離脱する事例も多く聞かれるため、大日本や都道府県猟友会からはあまり強い指示は出せません。

実際、猟友会を離れても狩猟や有害鳥獣捕獲のような捕獲には参加することができ、猟友会の外の団体も増えてきています。

我々Balancerもその一つです。

そもそも大日本猟友会や都道府県猟友会は市町村支部の選挙で選ばれた人で構成されていますから、内部に不満がたまれば次期に選ばれることはありません。

現在は猟友会を維持存続しようと様々な名目で多くの公的資金や制度が使われていますが(一民間団体ですから当然それはそれで問題です)、このように組織内の自浄作用が全く存在しないため、ほとんど効果がありません。

加えて、構成員が捕獲に関連した事故や報奨金の詐取などの事件を起こした場合でもトップの責任が問われることがほとんどありません

これは普通の組織から見ればかなり異常なのですが、後述する「独占」の結果このような状態になってしまっています。

④ 組織内の事業に関する問題

大日本猟友会は以下の三つの事業活動を行っています。

1.野生鳥獣の保護増殖事業
2.狩猟事故・違反防止対策事業
3.狩猟共済事業

柱であるこれらの事業にも、問題があります。

 

「1.野生動物の保護増殖事業」は主にキジやヤマドリといった狩猟鳥の放鳥です。

しかし現在では鳥をターゲットにする狩猟者が減少しており、この事業によって利益を受ける狩猟者がかなり偏ってきています。

ほとんど惰性で続いているものです。

そもそも飼育した鳥を野外に放つ行為は、遺伝的なかく乱や飼育環境由来の感染症の拡散などの問題があり、狩猟鳥獣や環境への影響の視点でも全く望ましいものではありません

地域によってはコジュケイのような外来生物を放っている事業すらあります。

 

「2.狩猟事故・違反防止対策事業」は事故等に関するキャンペーン事業です。

聞こえは良いのですが違反をする側が違反を取り締まることはできません

対策の具体的な内容としては、クレー射撃の大会を開いたり、オレンジのベストや帽子を配っているのですが、これにも弊害が現れています。

実際の猟銃による事故は「獲物だと思った」という誤射によるものか、「人がいると思わなかった」という矢先の確認不足、銃に弾を込めたまま作業した際の暴発等がほとんどです。

安全確認をしなかったり、射撃する時以外で弾を装填しているのは、銃の取り扱いに対する悪い慣れが原因です。

ソース:狩猟事故統計

クレー射撃は「飛んでいく皿を瞬間的に撃つ」もので、「獲物かどうか、矢先が安全かどうかを慎重に見定める」態度とは真逆の訓練です。

オレンジのベストについても、「オレンジでないものは獲物である」というような思い込みから一般人への誤射を生んでおり、逆に「オレンジの帽子がヤマドリに見えた」という誤射すらあります。

銃による事故や安全性に関する問題についてはこちらをご覧ください。

狩猟事故を抑制するためには、警察等の第三者による現場での取り締まりを強化することによって「銃の扱いに緊張感が欠けている者を正し、事故の素因がある者を除去する」ことにしか効果は望めません。

キャンペーン事業は警察による取り締まりの強化を避けるための言い訳的な性質の事業であり、実際には解決を遅らせているかも知れません。

 

「3.狩猟共済事業」は共済事業で、狩猟事故を発生させた時の費用等を保障する保険のようなものです。

狩猟登録を受ける際は保険の加入が必要ですが、この共済で代用することができます。

ただし、猟友会加入にかかる会費等は保険に比べてかなり高額で、金銭的なメリットはあまりありません。

このように社会あるいは狩猟者個人として見ても、猟友会という組織の価値がかなり低下しているのは否定できない状況のようです。

⑤ 社会的なリスク(事故)

日本は狩猟、有害鳥獣捕獲のいずれにおいても多くの事故が発生しています。

発生率を計算すると米国よりも高い状況(リンク先④)で、その多くが猟友会員によるものです。

しかし意外なほど猟友会への批判は少なく、トップの責任を問われることもありません。

事故を起こした際に「短期間の捕獲の自粛」程度の反応で済むのも、実は独占状態であることの恩恵です。

事故が起こった際、一般的には「危険だ」という声に対して「ではシカやイノシシをどうするのか」というような意見が多く見られます

捕獲=猟友会という状態なら、「捕獲による事故」か「獣の被害」かという二択の議論になりがちです。

猟友会が捕獲を独占している状態での事故は「猟友会の危険性」ではなく、このような「捕獲そのものに付随するリスク」のような捉え方になりやすく、捕獲方法や組織の体質等の議論を避けやすいのです。

比較対象となる別の団体がいたらどうでしょうか。

当然、「猟友会は危ないから別の団体に任せろ」という意見が出るはずです。

「その他の団体に頼む」という選択肢が一般の人に浮かばないのは、捕獲が独占状態にあるからで、このように批判を避ける意味でも猟友会は独占状態を維持しようとするのです。

例えば、わずかに存在する猟友会以外の(猟友会を前身としない)捕獲団体では、第三者に損害を与えるような捕獲関連の事故はほぼ発生しません。

これは当たり前で、普通の民間団体であれば事故を一度でも起こした段階で組織の存続が危うくなるからです。

こういった捕獲を担いうる猟友会以外の民間団体は、猟友会から様々な方法で強い圧力を受けます。

それはもちろん、猟友会の組織存続から見て最も危険な存在であるからでしょう。

⑥ 社会的なリスク(制度の歪み)

こういった組織構造が制度上でも様々な弊害を生んでいます。

大日本猟友会や都道府県猟友会は何とか捕獲の独占状態を維持させようと、国や都道府県の施策に圧力を加えているのです。

特に社会的な要求が大きく、そのため猟友会が組織存続の頼みとしているのは「有害鳥獣捕獲」です。

有害鳥獣捕獲はボランティアであると言われることがありますが、実態はそうではありません。

ほとんどの地域で捕獲に対して「報奨金」が支払われています。

一つの市町村で数百~数千万円の支出となっており、都道府県、国、と合算していけば膨大な額になります。

巨額の予算ですので、この分野は他の団体や企業に狙われる可能性があります。

もし有害鳥獣捕獲に参入する団体が猟友会の他にもあれば、猟友会入会のメリットが無くなって会員が流出し、比較競争の結果として組織が瓦解する恐れがあります。

このため、捕獲に関する報奨金の利権を守ろうと躍起になっているようです。

つまり「猟友会員でなければ捕獲ができないようにせよ」そして「猟友会員でなければ報奨金を受けられないようにせよ」という圧力を様々な所でかけています。

その結果、本来自衛のための枠組みであった有害鳥獣捕獲なのに、被害者が自分の田畑に出てくる加害獣を捕獲できない、というような状況も生じています。

市町村の条例の中で「有害鳥獣捕獲に従事するものは猟友会員であること」と明記されている場合すらあります。

捕獲従事者を特定の民間団体に限定した上で報奨金を設定することは強烈な利益誘導となるのですが、この問題はまだ激しくは指摘されていません。

こういった部分で批判が出ないのも、長く続いた独占状態の効果でしょう。

独占は「狩猟(ナワバリ)」「有害鳥獣捕獲」「個体数調整捕獲」「指定管理鳥獣捕獲等事業」など、あらゆる捕獲の枠組みに及びます。

これら捕獲の枠組みは本来、目的に応じて効率的に捕獲を運用するために作られているのですが、捕獲と名の付くものが一つでも猟友会以外の手に渡れば比較対象ができてしまうため、猟友会はどの捕獲もコントロール化に置こうとします。

その結果、同じ人が同じ方法で別の事業を掛け持ちする形になってしまうため、全く使い分けができずに全体の捕獲の質と量が変わらないという非効率な状況にもなってしまっています。

その他の利権の例として「実包(火薬を含んだ弾)の無許可譲受証」の存在があります。

通常、銃の弾を購入する場合は警察へ申請書を提出し、購入や消費等に関する詳細な計画を求められ、更新や変更のたびに手数料等を支払って火薬類譲受許可証を受ける必要があります。

ところが猟友会に所属していると、年間300発まで無許可で弾を購入できる「無許可譲受証」をもらうことができます。

この無許可譲受証は猟友会の他に警察署でも出すことができるのですが、多くの警察ではこの対応をやりません。

一方ではお金を支払って並んでいるのに、特定の民間団体のみに優先フリーパスが配られているような状況です。

これは猟友会というよりはシステムの問題ですが、猟友会入会を間接的に警察が誘導するという状況が生まれてしまっています

警察も立場と状況を分かっていない場合が多く、猟銃の所持許可の際に「猟友会に入れ」と直接的に言ってくる場合すらあります。

繰り返しますが、猟友会とは民間団体であり、特定の民間団体を行政や警察が支援すること、そこへ利益を誘導することは大きな問題です。

こういった「捕獲の独占」と様々な介入、競争と比較の不在によって起こる高い事故率や制度の歪みが、最も根本的な問題かも知れません。

⑦ 社会的な要求との不適合

狩猟者は基本的に、獲物が多ければ多いほど良いと考えます。

一方で行政が実施しようとする捕獲は、多かれ少なかれ獲物の数を減らそうという意図を持ったものです。

この大きなねじれが、被害対策としての捕獲を非効率にしています。

市町村の担当者から多く聞かれる例が、捕獲者の制限です。

例えば、猟友会以外の団体などの捕獲を許可して捕獲者の総数を増やし捕獲数を伸ばしたいと行政職員が提案する場合、「信用していないのか?ならもう我々は捕獲に協力しない」と凄むというような内容です。

獲物や報奨金の取り分が減ってしまうかも知れないので、ハンターはハンターが増えることを望みません。

人付き合いの密な市町村レベルでは、そのような子供じみた要求も通ってしまいます。

捕獲がそれまで独占状態であるなら、なおさらです。

あるいは、繁殖上重要なメスを捕獲しないようにする、報奨金の高い対象種は猟期に捕獲を控えて有害鳥獣捕獲で獲る、ということも可能です。

鳥獣被害対策の協議会等の場において「捕獲しなきゃ防除柵をしたって無駄だ」と被害対策全体の予算を報奨金へと誘導することも可能です。

残念ながら捕獲のコントロールに関して行政の内部にはほとんど専門家がいませんので、こういった狩猟者の要望や思惑の多くが通ってしまっています。

「被害を抑える」「生態系のバランスを整える」という社会的な目的に対する施策や予算を議論する場合、本来こういった趣味の狩猟者団体の意見や利害には十分に注意しなければならないものなのです。

ましてや独占状態で捕獲を任せるのは、社会的に見ても非常に大きな負の影響があります。

猟友会にとっても、構成員の減少と高齢化が止まらない状況で独占に頼った戦略を続けることは、長い目で見た組織の利益とはならないでしょう。

自浄作用が無く外部の目も機能しにくい状態は、破滅的な形での組織の崩壊を招きやすいものです。

猟友会を構成する各個人に目を向けると、危ない人も多くいますが、中には立派な人格者も当然存在しています。

それを思うと非常に残念なのですが、今後は独占状態の破綻から内部での対立や分裂が激しくなり、名実ともにバラバラの組織へと変化していくのではないでしょうか。

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この内容は「狩猟」「有害鳥獣捕獲」の調査結果と合わせてご覧頂くことをおすすめします。

 

有害鳥獣捕獲の仕組みと問題点について

鳥類や哺乳類のほとんどは「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」によって捕獲が禁止されています。

ソース:「鳥獣保護法

野生の鳥類や哺乳類の捕獲では、おおまかに分けて以下のような許可があります。

狩猟 狩猟免許と狩猟登録が必要な、個人の趣味としての捕獲。

都道府県が許可・管理する。

有害鳥獣捕獲 被害の抑制を目的として許可される捕獲。

ほとんどの地域で、市町村が許可・管理する。

個体数調整捕獲 個体数が増えすぎた種に対する緊急的な捕獲。

都道府県が計画を作成し、それに基づいて実施される。

学術研究捕獲 研究目的で許可される捕獲。

都道府県が審査し、許可・管理する。

今回は「有害鳥獣捕獲」に関する仕組みや問題点について調査した結果をご報告します。

① 有害鳥獣捕獲の仕組み

有害鳥獣捕獲は、農林漁業や生活環境に被害が発生した場合に、その被害を取り除くことを目的として実施されます。

有害鳥獣捕獲の許可事務は、ほとんどの地域で市町村が担当しています。

「被害を受けてから実施する」という運用ルールが本来はあるのですが、現在はシカやイノシシを含む中~大型哺乳類が増加しているため、被害の確認を待たずに有害鳥獣捕獲が許可される場合が多くなっています。

被害を受けて許可を申請した者が有害鳥獣捕獲を実施するのが通常なのですが、実際には陳情を受けた市町村が猟友会へ捕獲を委託して実施しています。

有害鳥獣捕獲は狩猟(趣味)とは全く別で、被害抑制のための捕獲であるため、本来は狩猟免許や狩猟登録とは無関係な捕獲の枠組みです。

しかし、捕獲者に狩猟免許と狩猟登録を要求する市町村が多くなっています。

狩猟免許は「趣味の捕獲の適切な制御」という目的で作られた資格で、求められるのは「狩猟を狩猟のルールで実施できる能力」です。

受けた方なら分かると思いますが、有害鳥獣捕獲の中心的な手法であるわな捕獲(わな猟)の狩猟免許試験では、捕獲を安全に実施する技術や被害管理のための技術などは問われません。

つまり有害鳥獣捕獲とは中身も無関係なのです。

役所から狩猟免許を要求されるのは「自分たちは毎年狩猟登録に金を払っているのに、有害鳥獣捕獲でイノシシ等をタダで獲れるのは不公平だ」という狩猟者団体の圧力による部分が大きいようです。

これも捕獲の独占(リンク先⑥)の一つの形です。

かなりスジ違いな主張なのですが、多くの地域でこれが通ってしまっています。

現在は都道府県ですら十分な数の専門家が存在しない状況ですので、市町村のレベルでは、被害抑制のための対策や捕獲の計画についての専門家が内部に存在しません。

このため、言われるがままの捕獲のコントロール体制になっているようです。

② 被害を抑制するための捕獲

被害抑制の観点では、ただ何でも捕獲すればよいというものではありません。

例えばイノシシの農業被害では、加害個体を捕獲しなければ被害は減りません。

山林の中には多数のイノシシが生息していますが、被害を出すのは特定のイノシシかその親子だからです。

あるいはシカの場合では、林業被害や生態系への悪影響も発生するため、長期的な視点にたち、特定個体の除去に加えてその地域における個体数の抑制も考えながら捕獲を実施する必要があります。

シカは1頭のオスが複数のメスと交尾するため、オスを捕獲しても生まれてくる子供の数に影響はほとんどありません。

このため、被害地のメスに集中的に捕獲圧をかける必要があります。

イノシシの場合は「捕獲の後に被害が減ったのか」、シカの場合はそれに加えて「メスが捕獲されたのか」を調べて捕獲の継続や修正を考えるべきなのですが、現在の有害鳥獣捕獲では、そのような配慮や評価は全くなされていません

捕獲した鳥獣の雌雄、成獣幼獣、捕獲地などの詳細が不明で、ただ頭数だけが記録されたものが多いのが現状です。

有害鳥獣捕獲は各市町村の「鳥獣被害防止計画」に基づいて実施される地域が多いのですが、これはほとんどの市町村がコピペで作っているひどい有様です。

(特定の市町村を攻撃したくはありませんので、お住いの市町村の「鳥獣被害防止計画」をご検索下さい。)

有害鳥獣捕獲の計画自体存在しない市町村もあります。

ほとんどの市町村で捕獲の根拠となる被害の把握自体がずさんで方法もバラバラであり、被害額計算の方法が未記載であったり根拠すらないものもあります。

これを作成する市町村の担当者は、被害管理の専門家ではありません。

多くの地域で、鳥獣による被害金額よりも有害鳥獣捕獲の報奨金のほうが大きくなっています。

意味のある計画ではなく、費用対効果も極めて低いということです。

こういった実質的に無計画な状況と情報不足が重なった結果、住民の「捕獲が足りないのだ」という意見が生まれ、報奨金の上乗せが議論される場合が多くあります。

しかしただ金額を増やしても、被害を抑制する捕獲が生まれるわけではありません。

考えるべきなのは、単純な捕獲数や一頭あたりの金額ではなく、捕獲の質と効率であり、被害を減らせる捕獲が計画されているのかどうかです。

③ 有害鳥獣捕獲の従事者

捕獲の質や効率への観点を持った捕獲者によって有害鳥獣捕獲が実施されるのかと言えば、そうではありません。

捕獲を実際にやっているのはほとんどが猟友会員であり、趣味の狩猟者です。

こちらに詳細があります。

「狩猟」活動は、現在まで途切れることなく脈々と続いてきています。

つまり狩猟とは「鳥獣を減らさずに恩恵を受け続ける」ことに優れた仕組みなのです。

有害鳥獣捕獲と趣味の狩猟は全く別の目的と運用方法を持つものです。

近年の大型哺乳類の増加は、現在の狩猟者や仕組みでは動物を減少させられないことを証明しているということを忘れてはいけません。

この点にも多くの誤解がありますが、「捕獲していれば数も被害も減るハズだ」というのは幻想です。

適切な方法と計画がなければ目的は達成できません。

実際、現在捕獲数は右肩上がりですが、個体数も右肩上がりの状態です。

ソース:環境省統計

狩猟の技術や原理は、有害鳥獣捕獲や個体数の抑制の視点から見れば十分なもの、適したものとは言えません。

狩猟者に、しかも全てを任せるというのは無思慮と言わざるを得ません。

技術だけでなく意識の問題もあります。

数十年前の有害鳥獣捕獲は本当にボランティアのような性質のものだったのですが、残念ながら現在は長く続いた報奨金制度によって捕獲の意味が変化しています。

それは「効率のよい小遣い稼ぎ」という意味です。

そこには、「獲物を減らさずに利益を受け続ける」という”狩猟の価値観”が変わらずに存在しています。

相手を減らさないように注意しながら報奨金をもらい続けようという発想が生まれ、膨大な予算の浪費になりうるということです。

この報奨金という仕組みは、その他にも様々な弊害を生んでいます。

④ 報奨金の詐取

弊害の最たるものが報奨金の詐取です。

報奨金の詐取について、既にいくつか報道がなされていますが、現状の仕組みでは詐取を止められません。

有害鳥獣捕獲では、管轄する市町村が捕獲の確認を行いますが、市町村間での連携は全くありません。

詐取の方法は、例えば簡単に思いつく範囲でも以下のような方法があります。

【写真で確認】
・捕獲した個体の角度を変えて写真を撮り、申請を繰り返す
【日付がしっかりと残る写真で確認】
・捕獲した個体を保存しておき、日付が変わってから写真を撮る
【耳などの現物を見て確認】
・狩猟や個体数調整の枠で捕獲した個体や交通事故個体で申請する
【捕獲現場で確認する】
・別の場所で捕獲された死体を山に持ち込んで、担当に確認させる

特に市町村の間で写真、耳、尻尾、捕獲個体のような確認物が移動してしまうと、単独の市町村では止めようがなく詐取の数も膨大になります。

報奨金の金額の高い市町村や確認がずさんな市町村が狙われやすくなります。

シカ、サル、イノシシについて1頭数万円の報奨金が得られる市町村もあり、それゆえに詐取が頻発します。

筆者も、確認物と金銭のやりとりについての具体的な提案がなされる場面を射撃場で見たことがあります。

報奨金総額が膨れ上がっているのは、詐取による部分も多分にあるでしょう。

報奨金の詐取は当然当事者が裁かれますが、それを可能にしている行政側の仕組みにも大きな問題があります

罠による捕獲があった場合は「獲物が生きた状態で捕獲を確認すること」「捕獲個体の処分が完了したことを現場で確認すること」が必要です。

そうすれば捕獲個体をコピーできなくなります。

銃による捕獲については、実施日に行政の担当者が同行すべきでしょう。

有害鳥獣捕獲は趣味の狩猟とは異なり「事業」の性質を持っています。

有害鳥獣捕獲を趣味の狩猟者に丸投げする状況そのものが異常であり、行政側にもそれなりの手続きと責任の負い方が必要です。

報奨金の仕組みや運用については、その弊害を抑えるために、都道府県や国レベルでの一定の基準を考えなければなりません。

本来は狩猟の制度と組み合わせて効率化することが最善でしょう。

管理に関する施策は、野生動物の生態についての専門家ではなく、野生動物の管理システムについての専門家を交えて議論の場が設けられるべきです。

市町村内の人員だけでは、十分な情報を持たずに感覚的な判断が選択され、各自の利害で施策が捻じ曲げられ、場合によっては逆効果となる仕組みを生んでしまいます。

⑤ 制度上の混乱

鳥獣を保護管理する仕組みにも混乱があります。

都道府県レベルでは「鳥獣保護管理事業計画」と「特定鳥獣保護管理計画」という計画があります。

この「鳥獣保護管理事業計画」と「特定鳥獣保護管理計画」は環境省が管轄する「鳥獣保護管理法」を根拠に作成されています。

ぜひご自身の地域の計画を検索してみてください。

これらの計画は、「希少種の保護」と「増加が著しい種の抑制」という双方向性の管理方針を担っています。

これらの計画にも多少問題があるのですが、根拠を基に外部の意見を聞きながら施策の方針を決定する仕組みが(ある程度は)整備されており、一定の評価ができます。

一方、市町村レベルでは「鳥獣被害防止計画」が策定できますが、担当者一人が一日で作っているような状況で、先述のとおり問題の発生源となっています。

「鳥獣被害防止計画」は農水省が管轄する「鳥獣被害防止特措法」を根拠に作成されます。

市町村は鳥獣被害防止計画を作ることによってかなりの額の補助金を受けられ、都道府県に指図されずに有害鳥獣捕獲を実施することができます。

そのため、質の伴わない間に合わせの計画を上げるのです。

行政は基本的に仕事を増やしたくないので専門的な調査や根拠の提示などの面倒を避けたがる傾向にあり、そのためにも特措法を使って捕獲しようとします。

つまり、特措法が被害管理の計画性を失わせています。

猟銃の技能講習の免除(リンク先②)もこの特措法が根拠です。

鳥獣被害防止計画は市町村が単独で作成するため、都道府県が作成する計画とはほとんどリンクしません

農水省と環境省の間にはいわゆる縦割りの溝があり、非常に関連性が薄い状態になってしまっています。

農水省は野生動物に関するデータも視野も感覚も乏しい部署ですから、対策の主軸を担わせるのには無理があります。

鳥獣被害の抑制に関する制度や施策について、少なくとも捕獲の部分については環境省にまとめたほうが良いでしょう。

環境省での予算運用が困難であれば、増員するか農水省から人員を派遣するくらいの対応があっても良いのではと思います。

それくらい、この二つの法が被害管理の全体像を混乱させています。

⑥ 対策の忘却

有害鳥獣捕獲は、ほとんどが猟友会によって実施されています。

そして、捕獲報奨金は行政側が負担しています。

つまり被害を受けた人は、捕獲を要請しても一銭も払いません

ここにも実は問題があります。

例えば農業では、被害に対して電気柵や周辺の刈り払いなどを実施しなければ、イノシシ等による被害はなかなか減りません。

実際「効果があった」という声が一番聞かれるのは、捕獲ではなく適切に設置・管理された防除柵です。

しかし、そういった農家自身にコストと労力がかかる対策に比べ、有害鳥獣捕獲は市町村への電話のみで実施することができます。

被害を受ける者からすれば非常に簡単で懐の痛まない対策であるため、柵などの自主的な対策を置き去りにして捕獲が進んでしまう事例が非常に多いのです。

農山村では農業に関わる地域住民は大きな票田(支持母体)ですから、行政の上層部も盲目的に予算をつける傾向があります。

この流れは被害対策が失敗する事例のほとんどで見られます。

どのような地域でも、被害に真っ先に気づき、その地域に合わせた対策を考えて実施できるのは住民だけです。

住民が被害対策を他人事と感じ始めてしまえば、行政側がどのような施策を打っても十分な効果は得られません。

病虫害による被害と同様に、被害を受けた者が自分で対応するという基本に立ち返ならければならないのです。

つまり、被害を受けた者が許可を受けて加害鳥獣を捕獲する、という当初の仕組みを通常どおりに運用できるような制度設計に戻すということです。

被害受けた者が有害鳥獣捕獲をスムーズに自分で実施でき、危険な止め刺しの部分等を猟銃の所持者や熟練者に委託できるような制度設計に持っていくのが理想的な形かも知れません。

そしてその仕組みをより効果的な形にするためには、狩猟制度を含めた捕獲制度の全体像を見渡した議論が必要です。

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この内容は「狩猟」「猟友会」の調査結果と合わせてご覧頂くことをおすすめします。