外来生物の移送予防や消毒について

近年、フィールドで仕事をする人やアウトドア活動に関連した外来生物(感染症の病原体を含む)の拡散についての関心が高まってきました。

関連する法律はいくつかあるのですが、国内の非意図的な拡散(気付かずに運んでしまうもの)については実はほぼ何の制御もありません。

特に微生物や発見の難しいサイズの種の非意図的な拡散は、法のみではなかなか対処できないのが現状です。

今回は、各個人で対策する際の基本的な考え方をまとめてみました。

もちろん、生物を全く運ばずに人が移動することはできません。

少しでもリスクを抑えることを目指して、可能なことから始めてみましょう。

① アウトドア派のあなたへ

外来生物には、工事の土砂・園芸用品・船のバラスト水など、多量の物質の中に紛れ込んで運ばれた結果として定着したものが非常に多くあります。

そもそも生物が未踏の環境に定着するためには、それなりの量の個体が生きた状態で運ばれる事が条件となります。

このため、一人の人が普通に旅をした際にくっついて運ばれるような一回限りの少量の移送では、持ち込まれた生物が定着する可能性は比較的低くなります。

ただし以下のようにアウトドアが好きな人は普通の人に比べリスクが高い部分があるので、その特殊性に注意する必要があります。

・普通の人が入らないような環境に密接な形で侵入する
・道具や機材を持ち込んで使う(道具・機材が“輸送船”になる)
・似たような環境を行き来する(定着しやすい種と環境をつなぐ)
・生体を持ち帰る場合がある(周辺の土、水、有機物も一緒に)

こういった部分が生物の移動と定着を生じさせやすいという事は特に意識しておくべきでしょう。

生物に関する知識をある程度持っている人にありがちなのが、目立つ特定の問題についてのみ対応するという態度です。

例えば「A地域からB地域に移動するが、どちらも(話題の)C生物が定着した地域だから対策を何もやらない」という反応があります。

もちろんC生物に関してはそれでも良いかも知れませんが、現在国内には、問題がまだ顕在化していない膨大な数の外来生物が入ってきています。

そういった未知の生物の移動を予防する視点も重要です。

自分が知っている問題以外にも将来大きな問題を起こしかねない種が多くある事を想定し、異なるフィールドに出かける際の対策を習慣化しておきましょう。

② 何から始めるか?

外来生物や病原体の移送について完全を目指すのであれば、使った服や道具を全て燃やすのが手っ取り早いのですが、もちろん現実的ではありません。

一般人が使えるレベルで、全ての生物を完璧に除去できる消毒薬も基本的にはありません。

無理なことを考えても仕方ありませんから、まずはほとんどの生物の拡散対策に有効となる基本的な作業を押さえましょう。

靴、道具、服(自身)を洗いましょう、ということです。

この簡単な作業だけでも、リスクを大幅に減らすことができます。

 

1.掃除・水洗

外来生物も病原体も、土、泥、枯れ葉のような物質に包まれて移送された場合に生存率が高くなります。

生物を包んで保護するゴミや泥を水洗・洗濯によって取り除けば、意図せず生物を運ぶリスクを大きく減少させることができます。

地面に置く道具、水にくぐらせる道具、草木をかきわける道具などが対象です。

植物の種子のように、付着による移動(ヒッチハイク)を戦略としている生物がくっついている場合も多くありますので、確認しつつ掃除・水洗しましょう。

水道水には微量の塩素が含まれているため、殺菌作用もあります。

消毒薬を使用する場合でも、ゴミや泥が付着していればそれが緩衝材の役割を果たし効果が低下しますので、水洗は必要です。

多くの消毒薬は水分によっても効果が低下しますので、水洗後は水をよく切ってから使用しましょう。

ちなみに、日光にも殺菌作用があります。

可能であれば、道具を洗った後に少し干しておくとより良いでしょう。

 

2.掃除・水洗のための準備

掃除・水洗を簡易化・効率化するために準備をしておきましょう。

水洗・掃除に手間がかかると形だけの実施になりがちで、洗い落としが生じやすくなります。

楽でなければ十分な形では続きません。

以下のように、水洗や掃除を楽にする工夫をしておきましょう。

・土や草木のくずが入りこみやすい構造が使用された服装を避ける
・マジックテープやボア、フェルトのような素材の装備を避ける
・調査後に水洗しやすい、凹凸の少ない防水性の長靴などを使用する
・付着物を落とさぬよう、使う道具にカバーをかけて移動する
・そのまま水洗できるザックや収納用品を使う
・使用前、使用後で道具の収納場所を分ける
事前に現地で装備を水洗できる場所の目星をつけておく

続けるために、楽をしましょう。

 

③ 目的とタイミング

防疫や外来生物の侵入予防には、一定の方向性があります。

目的をイメージしながら対策を組み立てておくと効果的です。

 

1.注意すべき環境

特に、孤立した環境へ移動する際は、その前後で対策しましょう。

具体的には、島嶼(海で隔てられた陸地)、独立した湖沼やため池、湿地、洞窟、その他特殊な地形で隔離された地域などです。

孤立した環境は他の多くの環境とは異なった生物や病原体が構成要素となっている場合が多いため、「持ち込まない事」と「持ち出さない事」の両面を考え、移動の前後で水洗や消毒を実施したほうが良いでしょう。

ただ洗えば良いというわけではなく、洗った後の排水にどこ由来の生物が混ざっているか、排水がどこへ流れるか、もできれば考えておいたほうが良いです。

例えばある島に調査に行く際は、まず調査に旅立つ前に道具を水洗し、調査が終了したあとに島内で道具の水洗を済ませて持ち帰る形が良いでしょう。

交通機関に乗る前に付着物を落とせば、移動途中の拡散も起こりません

調査現場の近くで水洗を済ませられれば最善です。

消毒を実施する場合は、消毒薬等が周辺環境に悪影響を与える可能性もあるため、適した場所へ移動して行いましょう。

 

2.注意すべき移動の方向

地理的な要因で清浄な地域と汚染されやすい地域が分かれる場合があります。

例えば、河川であれば水の流れが障壁になっていますので、下流から上流へ人が移動する場合は逆の移動よりも生物の非意図的な持ち込みに注意が必要です。

もちろん水系をまたいで移動する場合は上下流に関係なく対策しましょう。

同様に物質の移動の観点から、低標高地から高山帯へ人が移動する場合は、逆の移動よりも注意する必要があります。

汚染(定着)されやすい地域からより清浄な地域へ移動する際には、水洗や消毒を念入りに実施しましょう。

 

④ 特に注意すべき行為

盲点になりやすい部分をまとめます。

1.飼育、栽培のための生体の移送
2.釣りエサ
3.車での乗り入れ
4.ペット同伴での環境への侵入

それぞれ見ていきます。

 

1.飼育、栽培のための生体の移送について

アウトドアが好きな人は、現地の生物を持ち帰ることがあります。

標本目的であればそこまで影響は出ないと思いますが、飼育・栽培目的の場合は十分に注意が必要です。

まずは、離れた土地から飼育・栽培のために生物を運搬することは大変危険であるという認識を持ちましょう。

飼育のために生物を持ち帰る場合、単体ではなく水・土・周辺の飼育資材を同時に持ち帰ることが多くなります。

生体そのものに加えてこの飼育資材に全く意図しない生物や病原体が含まれている可能性があり、飼育・栽培行為によってそれが増えて外へ放出される可能性があるために、十分な注意が必要なのです。

飼育環境の変化は大きなストレスになりますので、持ち帰った生物そのものが病原体を保有していた場合、症状が悪化する(つまり病原体を多く排出する)可能性もあります。

実は、人に捕まるような動物は「人に捕まりやすい(弱っている)素因」を持っている場合が多く、病原体保有の観点でもともとリスキーなのです。

生体を持ち帰る際は、以下のような点に注意しましょう。

・可能な限り飼育資材を入れ替える
・持ち帰った土などは焼却される形でゴミに出す
・持ち帰った水は煮沸等してから流す
・飼育生物が死んでしまった場合も焼却する

持ち帰ったものをそのまま使ったり、周辺に埋めたり捨てたりしないということです。

人に飼育される過程で、採集地には存在しなかった生物や感染症を飼育生物がもつ可能性がありますので、一度飼育したら絶対に採集地へ戻してはいけません

水生生物の場合は、飼育している水に意図しない微生物が繁殖する可能性があるため、水換えした後の水の処分の仕方も気になります。

「動物を飼育したいが、種にこだわりは無い」という方の場合は、自宅の排水が到達するであろう川や、自宅周辺から生物を採取し飼育することをおすすめします。

生物を採取・飼育する際は関連法にも注意しましょう。

 

2.釣りエサについて

特に釣りに関してよくあるのですが、釣りエサとして水生生物を用いる場合があります。

例えば、河口や海のような場所で釣りをする場面で、上流や周辺で採取したものをエサとして使用する場合であれば、問題は生じにくいと思います。

一方、下流で採取したものを上流に運んでエサとして使うことや、閉鎖された水系での釣りで別水系のエサを使うことは避けたほうが良いでしょう。

市販されている釣りエサの中でも、別水系で採取されたものや海外の生物を繁殖させたものが販売されている事が多くありますので、可能であればこういったエサの使用は避けたほうが良いでしょう。

特に生餌は注意が必要です。

可能であれば、釣りをする場所で採取した水生生物をエサとして使うことをおすすめします。

エサが残った場合は、現地に捨てずに持ち帰りましょう。

 

3.車での乗り入れについて

案外盲点になりやすいのですが、車両での移動は徒歩移動よりも多くの物質を運びます。

特にオフロード仕様の自転車、バイク、車などで山野に入り込む前には、しっかり水洗・掃除しておきましょう。

タイヤ、泥よけ、タイヤハウスの前後の溝などには泥やゴミが付着している場合が多いため、注意が必要です。

これは車種等にもよりますから、車の下部を一度見て、どこにゴミが溜まっているか確認したほうが良いでしょう。

出かける前に水洗・掃除をしていることが前提ですが、未舗装の道に車で入って酷く汚れた場合は、可能な限り現地で水洗しましょう。

作業道や林道から舗装された幹線道路に出る前に、タイヤや泥除けの泥だけでも落としたほうが良いでしょう。

もちろん、水たまりの多い未舗装の道や草地等にはできるだけ乗り入れない事が最善です。

 

4.ペット同伴での環境への侵入について

近年、ペット同伴でのアウトドアが増えてきました。

しかし、離れた場所や草地に入る場所へ犬などを連れていく際は注意が必要です。

ダニや植物の種などをくっつけて持ち帰る可能性があります。

草地や水たまりなどに入った後は、しっかりと洗ってあげましょう。

犬をフィールドに放つと、現地の小動物を食べてしまったり、見えない位置でフンをしてしまう可能性もあります。

国内にはタヌキやキツネなど犬に近い動物が広く生息しており、犬にも野生動物にもかかる感染症や寄生虫も広く存在しています。

特にエキノコックスは、犬が感染しても無症状に近いのですが、人に重篤な症状が現れる危険な寄生虫であるため、十分な注意が必要です。

犬をフィールドへ連れて行く際は、何をしているかしっかり観察できる範囲に留めておき、決して目を離さないようにしましょう。

逆に、犬から他の生物へ感染症が拡大する可能性もあります。

犬はワクチンを受けているため致死的な感染症にかかっていても無症状に近い(不顕性感染)場合が多いのですが、野生動物にワクチンはありません。

可能な限り自然環境へ犬を連れていかないほうが良いでしょう。

 

⑤ 病原体について

フィールドの視点で見ると、感染症は主に以下の4つに分けられます。

1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症
2.野生生物に加え、飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症
3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症
4.人から野生動物へ感染しうる感染症

それぞれ見ていきます。

 

1.野生生物ー野生生物間でまわる感染症

厳密には、野生生物のみで回る感染症というのは存在しません。

ほとんどの感染症が複数の宿主を持っているうえ、現代ではほとんどの生物が飼育・栽培されうるためです。

ただ、主に野生動物のほうで影響が大きな感染症はあります。

タヌキの疥癬(かいせん)などがその例です。

野生生物でのみ問題となっている感染症も、飼育・栽培生物経由で別地域の野生動物に拡がってきた歴史のあるものが多くあるため、やはり生体(ペットや園芸植物を含む)の移送に十分な注意が必要です。

 

2.飼育動物や栽培植物等にも感染しうる感染症

感染症には、飼育動物や園芸植物、農産物に大きく影響を及ぼすものが多くあります。

人が飼育する動物や栽培する植物は、品種そのものが感染症に弱い場合が多く、密に飼育・栽培されているために一度感染症が入り込むと致命的な影響を及ぼす結果となりやすいものです。

フィールドに出る前後で生物の飼育・栽培環境に近づかないこと、飼育・栽培環境に近づかざるを得ない場合は前後で調査機材等に対策をすることが重要です。

植物の場合は節足動物のような小さな動物が媒介する感染症が多いため、靴や装備の水洗と掃除を念入りに行いましょう。

動物の飼育施設へ近づく場合は、水洗に加え、注意すべきリスク疾病の病原体を調べてそれに対して効果のある消毒薬を使いましょう。

野生動物由来で飼育動物に大きな影響を与える国内の感染症としては、鳥インフルエンザや豚コレラなどが挙げられます。

これら2種については、水洗の後に逆性石鹸あるいは消毒用アルコールで洗浄することで対応できます。
消毒対象ごとの効果
適応部位や方法など

なお、食品を介して別地域の飼育動物や園芸植物に感染症を伝播させる可能性もあります。

一部は家畜伝染病予防法や植物防疫法等で規制されていますが、全てのリスクをカバーしているわけではありません。

特に生の野菜や果物、生肉等の海を越えた移送は、個人では避けたほうが良いでしょう。

 

3.野生動物に加え、人にも感染しうる感染症

微生物は「ただの人の移動」ではなかなか拡散しません。

ただし人に感染する病原体は、人が移動するだけで容易に拡散します。

人の体のなかで長期間維持されたまま増殖するからです。

特に海外へ旅行する際は、フィールドへ出るかどうかに関係なく、予防接種を受けましょう
リスク地域と予防接種

ワクチンが存在しない感染症が流行っている地域には、基本的には近づかないほうが良いでしょう。

国内にも、野生動物由来で人にも感染する感染症が多く存在しています。

野生動物の血や糞などに密に接した場合に感染するものが多いのですが、ダニや蚊を媒介して感染するものも存在しています。

フィールドへ出る際は、野生動物との距離をしっかりと保ち、虫よけなどの対策をしておきましょう。

 

4.人から野生動物へ感染しうる感染症

実は、人が持っている細菌が野生動物へ大きな影響を与える可能性もあります。

経路が明らかになっているわけではありませんが、国内の希少種が薬剤耐性菌に汚染されている事が明らかになっています。

薬剤耐性菌は抗生物質の濫用によって生じるため、基本的には人の生活環境に多く存在するものです。

つまり、人から希少種へも細菌が移行しているということです。

汚染されにくい環境や孤立した環境では、人由来のゴミを残さないように注意しましょう。

例えば、生ごみに関して「腐ってなくなるから良いだろう」と捨てる人がいるのですが、これは人由来の細菌の苗床になりますのでやめましょう。

食べ物があれば、食べこぼしが生じたり、ハエなどが接したり、トビ・キツネ・サルなどの生物に奪われる可能性も生じます。

特に孤立した環境や汚染されにくい環境などでは、可能な限り食べ物を持ち込まないようにしましょう。

トイレについても、位置やタイミングをしっかり把握しておきましょう。

特に「大」のほうは人由来の細菌の塊ですので、環境中に残してはいけません。

 

 

生物多様性とは

今回は「生物多様性とは何なのか」「生物多様性の保全とは何なのか」についてまとめたいと思います。

① 「かわいそう」とは無関係

生物多様性保全の議論の際に、「生物が絶滅するのはかわいそうなので大切にしましょう」という意見にとても多く接します。

しかしこれはかなり的を外した意見であるということを先に言わなければなりません。

怒る方もいらっしゃるかも知れませんが、理由があります。

例えを使いながら順を追って説明します。

まず、宇宙船に乗って体一つで地球の外へ出たとしましょう。

そこでは以下のような多くの課題が生じます。

・食べ物はどこから調達するのか?
・汚染されていない空気はどこから調達するのか?
・汚染されていない水はどこから調達するのか?
・自分の廃棄物はどのように処理するのか?
・体調を壊した際に薬はどこから調達するのか?

何も無ければ、数日も経たずに人は死んでしまいます。

地球上でこれらが問題とならないのは、そこに以下のような生物由来の資源があり、物質が循環しているからです。

・食べ物の基礎となる生物、環境
・空気の汚染を緩和、浄化する生物、環境
・水の汚染を緩和、浄化する生物、環境
・廃棄物を分解する生物、環境
・薬品の原材料となる生物、環境

普段これらは全く意識されませんが、無ければ人の生活が成り立ちません。

もともと人間も生物ですから、これは当たり前の話です。

これまで当たり前すぎて気付かなかったのです。

つまり生物多様性はそれが損なわれれば持続的な社会生活が営めなくなる性質の、極めて重要な社会基盤であるということです。

② 多様である必要は?

次に「必要な生物さえいれば良いのではないか?生物が多様である必要はあるのか?」について考えてみましょう。

そこには「予防原則」という考え方があります。

現在の科学では、多種多様な生物の多種多様な相互作用について、そのごく一部についてしか解明されていません。

影響が無さそうに見える生物であっても、重要な機能や作用を持っている可能性があります。

つまりどの種がどれほど重要であるかが分からないということです。

どの生物がどのような作用を持っているのかは、皮肉にも、失われた後になってある程度の範囲で明らかになります。

これまで人類は、生物の相互作用に関する無知によって多くの失敗を繰り返してきました。

マングース、オオクチバス、オオヒキガエルといった外来生物による失敗や、オオカミ絶滅後の大型哺乳類の増加など、国内に限っても挙げればキリがありません。

上記の例のように、生物間のバランスの崩壊は、顕在化して問題が認識されるまでに数十年~数百年レベルの時間がかかるものばかりです。

上記の例も、あるいは別の生物の絶滅の例も、未だその影響の全てが明らかになっているわけではありません。

長い期間を経て取返しがつかない状況になって初めて、ある生物の生態系の中での機能や影響の大きさが明らかになるのです。

生物多様性は、人間の活動が発生させる多様な問題のクッションとしても作用しています。

人の生活は環境に極めて大きな負荷をかけています。

環境から膨大な生物資源を収穫し、消費し、圧迫し、廃棄物を出すというサイクルを続けているからです。

生物多様性は、人間生活のインパクトを多様な種へ分散させて速やかに解消し、偏った種に負担がかかることを回避する作用を持っています。

人の生活は、生物多様性のセイフティネットに支えられて成り立っているようなものです。

では生物多様性がどの程度減少すれば、どの程度の影響が出るのでしょうか?

実はそれもさっぱり分かりません

先述の通り、生物間の相互作用はほとんど解明されていないのです。

ただし、人にとっては常に不都合な影響となるでしょう。

なぜでしょうか?

③ 困るのは誰か?

現在は地球の歴史上、6度目の大量絶滅期だと言われています。

過去の生物史を見ても、生態系というのは非常に強靭です。

多くの種が絶滅しても、膨大な時間をかけることで、残された種の中で適切なバランスと役割が探し出され種の多様性が回復してきました。

しかし「生態系の強さ」と「人間社会の強さ」は別物です。

ヒトが現在のホモ・サピエンスという種になったのは10~20万年前だと言われています。

新しい種が生まれるには途方もない時間がかかります。

生物多様性が一度失われれば、ホモ・サピエンスという種が生存している間に多様性が回復することはないでしょう。

ヒトも一つの生物種にすぎません。

人類は他の生物を含む地球の環境に生かされている立場です。

現代の人の生活は、長い期間で培われた生物多様性を前提として設計されています。

これまでその地で脈々と続いてきた生物の構成に適応させた形で社会生活や文化が組み立てられており、変化への対応が困難な部分を多く抱えています。

生物多様性が損なわれれば、

「こうなるはず」が「そうならない」
「これで十分」が「全く足りない」
「前代未聞」が「これからは当然」

といった生物学的な変化が様々な分野に現れ、その対応へ膨大なコストがかかることになります。

ヒトは大型の哺乳類であり、その生活サイクルを支えるためには多様かつ多量の資源が必要です。

特に各地域の農林水産業や住環境(災害リスク)、これまでと同質な空気、土壌、水といった最も基本的な資源の確保は、生物多様性のほころびに強く影響を受けます。

生物多様性のクッションが減退し、構成種が単純化すれば、構成種の増減の変動幅も大きくなります。

有益な生物資源や代替する生物資源の候補が少なくなることに加え、疾病や病虫害など毒性や害性のある生物の偏った増加が起こりやすくなります。

人が収穫する生物資源はその収穫の影響で減りやすくなり、人が作り出した人工的な環境が拡大すればそれを利用する生物が増えやすくなるからです。

人間社会が成長するためには、新たな素材や新たな機能の発見が必要です。

生物多様性が抱える膨大な未知の素材や機能が失われていけば、社会の継続的な発展も難しくなるでしょう。

生物多様性のクッションが弱まった状態で人の活動が続けば、人間生活のインパクトが局所の生物種へ集中し、さらに生物多様性が損なわれる連鎖が起こります。

安定的な変化という意味で、全ての生物が生物多様性の恩恵を受けています。

生物多様性のクッションが損なわれれば、人間に限らずあらゆる種の存続に影響が出ます。

絶滅の連鎖が始まればどこまで問題が落ちていくのか、それも分かりません

これは生物1種の絶滅と同様、どのような影響がどのような規模で出現するのか、取返しが付かない状況になって気付くことになる性質のものです。

生物資源の争奪は、生物種間のみならず同一種内でも生じます。

事態が悪化すれば人間同士で資源や環境の奪い合いが生じるということです。

どの種の機能が致命的であったのか解明されぬまま、人間という種の存続が難しくなる未来を迎える可能性すらあります。

現代の大量絶滅を経た後に、幸運にも人類が「残された種」に含まれていたとして、その残された種や環境が人の望む形になるわけではありません。

大量絶滅が進んでしまえば、いずれにせよ人類の活動は大幅に後退することになります。

これらの影響を避けるためには、予防が必須であるということです。

繰り返しますが、生物多様性は人が「普段通りの社会生活」を過ごすための非常に重要な基盤であり、「かわいそうだから守りましょう」という感傷的な努力目標ではないのです。

④ 一番大きな障壁は何か

現在の生物多様性保全に関する最も大きな課題は、「その目的と価値が一般に浸透していない」状況です。

生物多様性が社会の基盤であると考える人は、残念ながら多くはありません。

「生物多様性は生き物好きだけの問題で、社会には無関係」と感じる人が多くいれば、本来はそれ自体がとても大きなリスクです。

例えば「義務教育は子供好きだけの問題で、社会には無関係」という人はほとんどいないと思います。

もしそのような考え方を持つ人が多数派となれば、教育への投資が途絶え、結果として社会も大きく衰退します。

義務教育も生物多様性も、全ての人が恩恵を受け社会の土台となる点では同じです。

しかし残念ながら、生物多様性保全の意義はまだ教育の意義のようなレベルでは浸透していません。

近年はこういった背景を踏まえ、生物多様性の恩恵を経済学的観点(つまり金銭的価値)で表現し、市民の理解を助け、施策を誘導しやすくする試みも採られています。

参考:TEEB (生態系と生物多様性の経済学)

経済学的な評価においても、生物多様性は極めて高い価値を持っています。

生物多様性は、実は民間に任せていても適切な管理が基本的には望めません。

「好きな生物」「嫌いな生物」が人によって様々であるため、民間に任せれば声の大きさ勝負になり、やったもの勝ちで偏った保全に向かってしまうからです。

最も重要な「バランスを取る作業」を民間では誰も担えません。

こういった側面から見ても、行政が主体となって対策を構築せねばならない、極めて公共性が高い分野なのです。

公共性と行政の役割という点では、高度成長期に問題となった公害が、生物多様性の問題に似ています。

しかし公害は同じ時点に直接的な加害者と被害者がいて、誰もが直接的な被害者となりうるものであり、社会的に制度への要求が高まりやすい問題でした。

生物多様性は、問題となる「行為」とその「結果」の間に大きなタイムラグと生物間の相互作用が存在し、「結果」によって被害を受けた人が文句を言ったところで後の祭りであるし因果関係の証明が難しい、という性質を持つ問題です。

 

「後世のために予防的に対策せよ」という声は、利害が明確である現在の課題に比べると、残念ながら取り上げられにくいものです。

このため「どのように理解者を作るか」、そして「どのように社会システムに組み込むか」という点が、生物多様性保全においては極めて重要になっているのです。

⑤ その他の誤解

生物多様性に関しては多くの誤解があるように感じられます。

例えば「自然とは森林である」というような思い込みもその一つです。

「自然保護と言えば植樹」というようなステレオタイプな意見を多く見聞きするのですが、現在の日本は森林が限界まで育っている地域が多く、もはや木を植える場所がありません

日本で減少している環境は森林ではなく、湿地・草地・荒地のような、人が利用しやすい環境や工事によって安定化させようとする環境のほうです。

google map の航空写真を見てみて下さい。

日本は現在、森林と開発され尽くした平野で構成されています。

生物多様性では「景観の多様性」が最も重要視されます。

森林だけでなく水辺や草地のような多様な景観がバランスよく存在することで、種の多様性も維持されやすくなるからです。

それ以外にも「絶滅危惧種の域外保全」が生物多様性保全の中心であるかのように錯覚している人も多く存在します。

予防原則から考えれば、より多くの種を保全するために多様な景観の保全を何よりも優先しなければなりません。

自然環境の中の重要な景観が無くなってしまえば、数種の生物が域外で保全されたとしても、その背景で膨大な種が滅びます。

数種の生物が生息地の外で存続していても、その生息地が消滅すれば再起ができません

生息地は多くの生物種を構成要素とする「生き物」であり、一度失われれば元の構成と関係が復元できないからです。

例えば我が子が死にそうな時に、子の血液を採取して冷凍保存し「これで安心だ」という人はいないでしょう。

死んでしまえば元も子もありません。

「特定の種のみを保護する」考えは保全の全体像から見れば異質なものです。

もともと生物多様性保全の最大の目的は「人の生活を安定させる生物環境」であって、特定の種に絞った保全ではないのです。

もう一つ、生物多様性についてよくある意見が「外来生物を環境に導入すれば構成種が増えるではないか」というものです。

しかし外来生物は、在来生物との相互作用について全く未知の存在です。

一度在来の環境に放たれれば、どのような影響を及ぼすか全く分かりません。

ただ、侵略性の強い(ことが明らかになった)外来生物では、侵入した環境において構成種の大幅な減少が起こります。

つまり、外来生物1種を入れることによって、結果的に膨大な数の在来種を減らす可能性があるのです。

⑥ 生物多様性の減少理由

国内の生物多様性の減少理由は大きく分けて4つあります。

①開発や乱獲
②人による継続的な干渉の撤退
③外来生物(「外来生物に開かれた国」を参照)
④温暖化等の地球環境の変化

環境省のサイトにその他の内容も含めて示してあります。

分かりにくいのは②の「人による干渉の撤退」でしょうか。

これは特に里地里山の環境に起こっている問題です。

里地里山環境は農林業をはじめとして、薪集め、炭作り、萱場(屋根等の材料)管理、狩猟、山野草の採集のような様々な用途で数百年にわたって利用されてきました。

長期間にわたって人が利用する状況が維持された結果、その環境に順応した生物が多く繁栄し、人が手を入れ利用し続ける里地里山が一つの重要な景観として機能するようになりました。

しかし近年になって里地里山で利用されてきた資源の需要が低下し、広い範囲で人の手が入らなくなり、多くの問題を生じるようになっています。
(「大型哺乳類によって生じる問題の背景」を参照)

実際、国内の絶滅危惧種にはライフサイクルのどこかで里地里山環境を利用する種が多く含まれています。

ただし、これは薬品を大量に使うような近年の農業を盛んにすれば解決する話ではありません。

近年の農業形態が理由で減少した種も多くいるからです。

長期的に見た里地里山の利用の在り方をどのように復元するか、あるいは別の利用形態で代替する方法があるのかを考えていく必要があります。

実は①の「開発」も誤解を含んでいるかも知れません。

開発と言えば大規模な埋め立てや森林の伐採が思い浮かぶと思いますが、広い範囲にわたって画一的な方法で行われる小規模な工事も生物多様性へ大きな影響を与える場合があります。

例えば三面張りの水路や道路の法面工事、砂防や治水関連の工事などは、当該地域における生物の特殊性への配慮無く、国内の広い範囲の隅々まで似たような方法で行われています。

特に人の生活に近い平野地域は生物多様性をまるで無視した設計となっており、一様に広がる人工的環境が外来生物の定着を加速させている側面もあります。

大規模な開発行為に関しては環境に与える影響が一般に知られるようになり近年は数が大幅に減少しましたが、小規模な「見えない開発」はいまだに特定の景観を塗りつぶし続けているのです。

⑦ 国内の力関係

多くの絶滅危惧種は、生息環境(景観)の悪化を主因として減少しています。

では、生息環境に影響を与えうる行政機関と環境省の力関係(人員と予算)がどうなっているのかを見てみましょう。
(各省庁の内部は細かく分かれていますが、今回はまとめます)

このように、圧倒的な差です。

農林水産業や土地利用、工事等に関して、環境省は口出しできるような規模ではありません。

行政内にはよく言われる「縦割り」というものが存在しており、ある省庁が他の省庁に対して負担を強いるような行為は御法度となっています。

弱小省庁から大きな省庁に注文をつける場合であれば、なおさらです。

農水省も国交省も「生物多様性保全?環境省で勝手にやんな。うちはうちで手一杯だよ。」という立場でしょう。

生物多様性の保全自体に価値が無いのかと言えば、当然そうではありません。

先述のTEEBの発想に基づき、国内でも金額で示された例があります。

例えば、農業の総産出額約9.3兆円に対して農業の多面的機能の評価額は8兆円と試算されています。
(生態系サービスとほぼ同質のものを農水省では多面的機能と呼びます。)

林業においては木材の総産出額2500億円に対し、多面的機能評価額は70兆円にものぼります。

ソース:多面的機能評価額

これらの評価額はストックではなく毎年生まれている価値です。

しかしこの「多面的機能」の維持管理は環境省ではなく農水省の管轄となっているため、これを名目とした事業であっても生物多様性への配慮は残念ながらほぼありません。

つまり環境省は、自然公園等を除いて、生物多様性で最も重要な「生息地(景観)保全」のオプションを実質的には奪われている状態なのです。

これがある意味、域外保全や特定のマスコット種の保全へと環境省が逃げる理由になっています。

こんな状況であれば、農水省や国交省の内部に生物多様性保全部門を設けている形のほうがまだマシかも知れません。

生物多様性の保全は、莫大な資産の維持管理のようなものです。

国交省の予算を見ても、予算総額の何割かはインフラの維持管理や災害復興等のために使われています。

環境省も同様に、資産価値に応じた維持管理のために、十分な予算と人員が必要です。

しかし現実はグラフの通りです。

先述した通り、生物多様性の価値と保全する意味が一般に浸透しておらず、行政対応の面で単純に軽視されているのです。

その理由は何か?

実に情けない話ですが、それは直接的な要望が上がってくる他の政策課題に比べて文句を言う人が少ないからでしょう。

結局のところ、多くの理解者と声を集めることでしか事態は解決しません。

環境省は非常に弱い立場に置かれています。

生物多様性に関心のある方々が、多くの課題について環境省を責めたくなる気持ちも分かります。

しかしまずは、「環境省の権限と機能を強化しろ」という部分から発信していくべきではないでしょうか。

 

 

 

 

 

鳥インフルエンザを理解する

今年も冬がやってきました。

近年では野鳥においても家禽(アヒルやニワトリ)においても鳥インフルエンザが発生する年が増えています。

今回は鳥インフルエンザについてのリスクや注意すべき事項について簡単にまとめました。

① どのような感染症か

鳥インフルエンザは主に鳥類の間で広がる感染症です。

ソース:wikipedia鳥インフルエンザ

鳥インフルエンザの病原体であるウイルスは高温に弱く、低温に強い、乾燥に弱く、湿度が高い環境に強い、という性質を持っています。

鳥インフルエンザウイルスは自然環境の中に長期間残るような強い病原体ではなく、アルコールや逆性石鹸によって消毒できます

宿主域(感染できる相手)が非常に広く、ほとんどの鳥類や一部の哺乳類などに感染する可能性があります。

鳥類の間では、直接の接触や糞便、汚染された水やそれらの飛沫(しぶき・ほこり)によって広がっていくと考えられています。

鳥インフルエンザに感受性の高い生物(感染しやすく重症になりやすい生物)が感染した場合は、ウイルスをどこかに運ぶ前に死んでしまうことが多くなります。

このため、感受性の高い生物はウイルスを広める存在として、実はそこまで重要ではありません。

ウイルスには、感染しても重い症状が生じない宿主(ウイルスの感染相手)が存在していて、そういった宿主は「自然宿主」と呼ばれています。

ウイルスを持っていても移動に大きな負担が生じないため、ウイルスを広める存在としては自然宿主がとても重要です。

鳥インフルエンザの自然宿主としてはカモの仲間が知られており、このカモ類がウイルスを広範囲に運んでいる可能性があります。

捕食者に狙われる生物にしてみれば、自分が自然宿主であるウイルスはある意味捕食者に対する武器でもあり、それぞれの相互関係へ影響する要素にもなっています。

鳥インフルエンザは病原性(発症した時の深刻さ)が高いものから低いものまでさまざまあります。

ウイルスは一般的に、宿主が高密度(いっぱいいる)な状況では病原性が高くなりやすく、宿主が低密度(少ない)な状況では病原性が低くなりやすいという性質を持っています。

宿主が高密度にいる状態では、次の宿主にどんどん広がっていく(増殖が速い=宿主へのダメージが大きい)よう変異(変化)したウイルスのほうがすばやく増殖・拡散のサイクルを回して優勢になるためです。

一方宿主が低密度な状態では、増殖の速いウイルスは宿主へのダメージが大きくなるために、次の宿主に運ばれる前に現在の宿主を殺してしまい、共倒れになりやすくなります。

つまり、養鶏場のような鳥類が密に存在する環境にウイルスが入れば、病原性が高くなりやすいという事です。

このため、こういった人為的に鳥類が高密度となった環境へのウイルスの侵入が非常に重要な対策ポイントとなっています。

実は養鶏場での鳥インフルエンザの発生の後に周辺の野鳥での発症例が観察されることもあります。

家禽での発生を抑え込むことは、高病原性の鳥インフルエンザウイルスを野鳥で蔓延させない意味でも重要となっています。

② 人への影響は?

鳥インフルエンザは、人にも感染することがあります。

人の鳥インフルエンザ発症例はアジアに多く、意外にも乾燥・高温な環境の地域でも死亡例が見られます。

人で鳥インフルエンザが発症した例ではその半数以上の方が亡くなっており、普通の人のインフルエンザの致死率(かかった人が死んでしまう割合)が0.1%程度であることを考えれば、非常に恐ろしい感染症です。

しかし実は、国内において鳥インフルエンザは死者どころか人への感染例すら出していません。

なぜでしょうか。

海外での鳥インフルエンザの人への感染経路は、家禽そのものや家禽の飼育環境への濃厚な接触によるものが多いと考えられています。

ソース:国立感染症研究所

鳥の糞が大量に舞っている環境にずっといるような人が感染する可能性が高いということです。

このため、日本で普通の生活を送る一般の方が感染する可能性は現時点でほとんどありません。

国内において鳥インフルエンザが発生した地域では速やかに鶏肉や卵の流通が止まるため、普通に売られている鶏肉や卵を食べても感染しません

一方で、不安な点もあります。

インフルエンザウイルスの仲間は非常に変異しやすく、人に簡単に感染してしまうウイルスに変化する可能性がある点です。

ソース:厚生労働省

そのようなウイルスの出現と拡散をさせないために、日本でもかなり厳しく対応しているのです。

生物として見れば、人は鳥よりも広範囲・高密度に存在しています。

人に感染しやすいウイルスが一度発生すれば、ウイルスの高病原化と急速な拡散を引き起こす恐れがあります

既に鳥インフルエンザが人から人へと感染した例も海外で確認されており、十分な封じ込めが必要です。

③ 国内へ運ぶ生物

日本へ鳥インフルエンザを運ぶ生物としては、カモの仲間が疑われています。

カモの多くは日本において冬鳥で、ロシアや中国で夏場に繁殖を終え、越冬のために海を渡って国内に飛来します。

カモ類は鳥インフルエンザの自然宿主ですのであまり重症化しませんが、高病原性の鳥インフルエンザでは死んでしまう場合もあります。

渡り鳥が遠い距離を移動するのは、餌の確保や天敵からの逃避などの理由(つまりは生存に有利な繁殖地と越冬地の選択)がありますが、感染症の蔓延予防という効果もあります。

渡りにはかなりの体力を要するため、感染症にかかった個体は途中で脱落し、渡った先の地域にはウイルスを持っていない集団が残るというような、種の生存のための仕組みとしても機能しています。

つまり高病原性の鳥インフルエンザウイルスをカモが国内に持ち込むというよりは、病原性の低いものが国内に持ち込まれ、宿主が高密度な環境へそのウイルスが紛れ込んで変異し病原性が高くなる、というシナリオのほうが現実的であるということです。

ソース:国立環境研究所

当然、鳥インフルエンザが発生している地域から渡ってくるカモについてはウイルスを保有している可能性が高いと考えられます。

しかしカモ類は様々に種類が混ざった混群を形成するため、国内にいるカモについてはどの種がウイルスを持っているか正確には分かりません。

このため、どのカモが危険か、というような情報は考えてもあまり意味がありません

では、どのように注意すべきなのでしょうか。

④ H28年度の発生を見る

平成28年度は野鳥、家禽での発生例が多数報告されました。

野鳥での発生に関しては環境省、家禽での発生については農水省が調査し、まとめられて発表されています。

ソース:農水省 発生地点の図
ソース:農水省 家禽での発生に関するH28報告

農水省の報告は長々と書いてありますが、着目すべき点は「施設の近隣に、ため池のようなカモ類が飛来する環境を持つ養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが発生する可能性が高い」という部分です。

これは当たり前の結果ですが、とても重要なことです。

これはハクチョウやツルで鳥インフルエンザが発生した例でも同様のことが言えます。

野生のカモ類が飛来し、ハクチョウやツルと一緒に存在する場所で感染が広がった可能性が考えられ、特に「餌付け」がされている地域での発生例の多さが目を引きます。

保護の名目で野生動物への餌付けが実施されることがありますが、保全の観点では逆効果であることが良く分かる事例です。

ちなみに、環境省の調査は全ての鳥を対象としているわけではなく、これまでの観察例から作成した「リスク種」というものを定めて調査が実施されています。

ソース:環境省 対応技術マニュアル

このため、死体が発見しにくい小型の鳥類では発生が報告されず、ハクチョウのような大型の目立つ鳥類で報告が増えるというような、調査結果の偏りが生じています。

報告例が多い種であっても、それがそのまま高リスクというわけではありませんので注意しましょう。

特に冬季の死亡野鳥についてはどの種であっても鳥インフルエンザの発症個体である可能性があるため、むやみに触ってはいけません

⑤ どのような人が何に気を付けるべきか

注意すべきは当然、鳥類を飼育している人です。

どのように注意すべきでしょうか。

農水省の報告では「野鳥」や「野生動物」と、広大な生物の範囲をまとめた表現で対策方法があげてあります。

しかしそれぞれの生物は生態や環境中での機能が千差万別で、全て対策せよと言うのは簡単なのですが、ターゲットをしっかり設定しなければ非効率であり、結局何からも守れません。

現時点で優先すべきはカモの存在そのものへの対策です。

つまり鳥の飼育施設周辺の池の水を抜く・ナイロン線等で池を防除する・カモを見かけたら花火等で追い払うといった対策のことです。

動物園等の施設で、池がどうしても対策できない環境であれば、飼育動物を冬季は収容しておくことも考えなければなりません。

報告の中でほぼ唯一、発生因子として有意であった「カモが飛来するような水域の存在」をなぜ軽くあしらうのか謎ですが、残念ながら農水省の報告ではこれらの優先度が低く扱われているような印象を受けます。

冬季は昆虫のような生物の活動が暖かい季節ほど活発ではありませんので、養鶏場の周囲にカモさえいなければ、鶏舎等にウイルスが持ち込まれる可能性が夏季よりは低くなります。

鳥類は季節に関係なく移動距離が大きいのですが、水域の存在が発生に効いているという結果から、カモ以外の鳥が主としてウイルスを運んでいる可能性は低いと考えられます。

たとえばスズメやカラスのような鳥類がウイルスを運んでいるのであれば、水域の存在に関係なく様々な養鶏場で発生しているはずです。

そもそも、そういった野鳥は感染・発症すれば死んでしまいます。

もう一つ、ウイルス拡散に関して重要な視点があります。

それは池の周辺での人の活動や池の水の利用です。

鳥インフルエンザウイルスは主にカモの糞などに排出されますが、気温の低い冬季は糞便中であれば40日以上、淡水中であれば3か月以上、ウイルスが感染できる状態で残る可能性があります。

ソース:環境省情報集

カモが生息するような池の水辺にはカモの糞が多く落ちています。

もしウイルスを持ったカモがいれば、周辺の糞はもちろん、その池の水自体も高リスクです。

この事実を知らない関係者は意外に多く、飼育舎周辺のスズメやカラスにばかり目が行って、そういった水辺環境への接近に関する注意がおろそかになっている可能性があります。

養鶏場に限らず、インコ等を飼っている一般家庭などでも、カモのいる水辺に近づいたり、水辺のものを持ち帰ることは避けたほうが良いでしょう。

どうしても行かなければならない場合は、履物を変えたり有効な方法で消毒するなどの方法を取るべきです。

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ノラネコ論争

近年、ネコについての議論が多くなっています。

人の目線では、屋外で飼っている猫が近隣の住民の庭に糞尿をするというような被害や繁殖期の騒音等のトラブルが多く取り上げられます。

一方で、野生動物への影響についても深刻なものがあります。

ソース:米国科学者の警鐘

ネコは本能に従って多くの小型野生動物を殺傷しており、特に希少な生物の多い離島で猛威を振るっているのです。

ソース:環境省もシンポジウム

なぜこのような状況が生まれているのか?

野外のネコに関する諸問題について、制度や思惑の構造をまとめました。

① ネコの扱い

ネコは現在、世界中でペットとして飼われています。

ネコはもともと、ネズミによる穀物等の被害を抑える目的で世界中に広まっていったと考えられており、家畜化前の野生の状態と姿形が大きく変わらぬまま現在に至っています。

ところが今となっては、ネズミ対策としてネコを飼っている人はほとんどいません。

当然、そんな人側の都合にネコが合わせる訳もなく、ネコは本能のままに小動物を狩り続けています。

人との関わり方から、ネコには呼び方がいくつかあります。

飼い猫 主に室内飼いのネコと地域ネコを指す。

動物愛護管理法に含まれる生物。

一部、ノラネコが含まれている場合もある。

ノラネコ 生活を人に依存するが、飼い主を持たないネコを指す。

飼い主がいるのかどうかは厳密には整理・判断が難しく、問題を大きくしている部分。

地域ネコ ある地域で行政的にネコを管理する仕組みを整備した場合、その地域のネコをこう呼ぶ。

この呼び名は適切な制度が無い地域でも勝手に使われることがあり、問題となっている。

この制度が運用される地域でも、根本的な問題の解決には至っていない。

ノネコ 鳥獣保護管理法上(狩猟法)の呼び方。野生動物。

人に依存せず、完全に野生下で生活しているネコを指す。

実は狩猟鳥獣に入っており、法律上は個人で狩猟可能。

このように、同じネコでも色々と扱いが分かれており、ネコを一目見ただけではどのくくりに当たるのかが分からない状態になっています。

この曖昧な定義づけの結果、全国的に多くの弊害が生じています。

一つは、行政的なネコの受け入れです。

基本的に正当な理由で要請があれば、当局はネコを引き受けなければなりません。

しかしネコの受け入れをあの手この手で拒む保健所や動物愛護センターが増えているのです。

これは、保身のためです。

イヌやネコの殺処分を多く実施して目立ってしまうと、愛護団体から苦情の呼びかけや情報開示請求のような苛烈な攻撃を受けることが多くなります。

そうならないよう、そもそも引き取らないように予防線を張っているのです。

表向きには「誤って飼い猫を引き取った場合は窃盗や器物損壊のような罪に問われる可能性があるので引き取れない」あるいは「ネコを捕獲する行為自体が適法かどうか分からない」等と言って断っているようです。

これらの理屈が通るのであれば、ノラネコを引き取って飼育する行為の多くも違法性が問われることになります。

しかしそちらは推奨される事が多く、言い分にかなり無理があります。

そもそも、ネコに対する行政的な判断と対応ができない状態そのものを放置していて良いわけがありません。

これでは行政的な責任を放棄しているに等しく、後述するようにネコと人の福祉上も全く逆効果となります。

飼い猫について、まずはリード(引き綱)の義務化、外飼いの原則禁止等の対策が早急に必要です。

この場合の外飼いには、例えばネコがそれより外に出られないよう十分に対策がなされた庭やテラスなどは含まれません。

つまりネコを一目で「飼い猫」と「野生のネコ」のどちらか分かるようにすべきであるということです。

② 外飼い・餌付けの問題点1

ネコの室内飼いは、犬と同様に何の問題もありません。

多くの問題が生まれるのは外飼い(ノラネコ)や屋外での置き餌行為です。

これらの行為は、ネコ側の観点でも弊害ばかりが存在します。

まずは感染症のリスクです。

ネコが屋外に出れば、感染症にかかる可能性があります。

ワクチンをうっていても、猫エイズ、伝染性腹膜炎、伝染性貧血等の感染症は防ぐことができません。

そして飼い猫に対してこれら感染症の主要な感染源となっているのが、ノラネコです。

絶滅が危惧されるツシマヤマネコやイリオモテヤマネコに対しても、感染症の主要な感染源はノラネコであると考えられており、大きな問題となっています。

交通事故のリスクも存在します。

毎年膨大な数のネコが交通事故にあっており、交通事故による死亡数だけで見ても保健所による安楽殺を大きく上回っていることが明らかになりつつあります。

ソース:大分市の統計例

ネコが無制限に繁殖してしまえば過密状態になり、栄養状態や衛生環境が悪化し、感染症や事故のリスクを増加させることになります。

屋外での繁殖の結果生まれた子ネコは、カラスやヘビ、その他中型哺乳類に捕食・攻撃される可能性があります。

大雨、台風、豪雪なども襲ってきます。

ノラネコは、生まれた分だけ、どこかで死んでいます

人の目につかないだけ、あるいは目をそむけているだけです。

感染症や多くの事故、餓死、天敵等によるネコの死は、安楽死に比べれば苦痛に満ちた無残なものです。

飼い主にケアされ、看取られるようなものではありません。

こういった”死に方”は、ペットを家族として扱う人には到底耐えられるものではないと思います。

外飼いや屋外での餌付け行為がネコへの接し方として当たり前に行われていることが、動物福祉上の最大の問題なのです。

③ 外飼い・餌付けの問題点2

外飼いや餌付けをする理由に目を向けてみましょう。

前述のとおり「閉じ込めるのが可哀そう」という理屈は通りません。

実際は「リードも無く外に出すのは危険で可哀そう」なのです。

幼い子供を、親の目も手も届かぬ場所へ放り出すようなものです。

では外飼いをする根本的な理由は何なのか?

それは糞尿の世話、爪とぎや室内遊びの回避が正直なところでしょう。

つまり面倒だから、楽をしたいからという理由です。

外飼いでは、ネコが病気や事故で治療が必要になっても気づかない場合が多く、もし気づいたとしても放っておくことができます。

そして何より、ネコが苦しみ続ける場面や死ぬ場面を見なくてすみます。

ネコを見なくなっても「あのネコはどこか別の場所に行ったんだろう」と自分を納得させ、精神的なショックを回避できます。

これが外飼いをする心理です。

苦しむ場面、死ぬ場面さえ見なければそれでいい。

「責任を回避しながらネコを手軽にかわいがりたい」という、実に自己中心的な態度です。

これはペットに対する責任の放棄そのものであり、全く擁護できません。

ほとんどのペットは人の寿命に比べてはるかに短命です。

動物の飼育には、その死をみとることも含まれます。

外飼いはもはや「ペット:伴侶動物」とは呼べないネコとの関わり方なのです。

屋外での餌付け行為もこの態度と同じです。

餌をあげてその場の充足感を満たし、責任は何一つ負いません。

それはネコを思った行為ではなく、無残な死体を増やし、ネコと人との軋轢を生じさせる行為です。

外飼いや餌付けはペットの遺棄と同様、厳しく批判されるべきものなのです。

④ 人への悪影響

外飼いは人に対しても悪影響を与えます。

一つは、ネコから人に感染する疾病である、人獣共通感染症のリスクです。

ネコ由来の感染症では、発熱や頭痛・腹痛・吐き気等の一時的な症状を引き起こす細菌性のものが多いのですが、一部では重症化して後遺症が残ったり命に関わる場合もあります。

特に妊婦が感染した場合に胎児に重篤な症状を引き起こす、トキソプラズマ症というものがあります。

潜在的な影響がまだ分かっていない部分も多く、トキソプラズマの感染によって人の行動にも影響が出るとする報告も多く見られます。

ソース:交通事故発生率の増加

そして外飼いや野外でのエサやりは、それによって迷惑や被害を受けている人、ネコが苦手な人に対し、ネコそのものへの強い拒絶感を与えることになります。

人間同士の近所トラブルが発展するような形で、「人に対する憎しみがネコに向く」場面も多く見られるようになりました。

実際、ネコの糞尿被害等への反発を背景として、毒餌がまかれたりネコへの虐待に発展するような事件が多く発生しています。

多様な価値観が存在する社会にあって、ネコの外飼いや野外でのエサやりは、ネコの敵を多く作り、ネコと人との健全な関係の構築へ大きな障害を生む行為なのです。

⑤ 綺麗ごとの代償

近年ではTNR(trap, neuter, return)と呼ばれる、ネコを捕獲し避妊去勢をして現場に放つ活動が多く報道されるようになりました。

「地域ネコ」では基本的にこの手法が用いられています。

しかしこの活動は、先に触れた外飼いの問題点をほとんど解決しません。

無責任で、動物福祉上の問題があり、ネコによる野生動物の殺傷は減らず、人や猫への感染症リスクも変わりません

避妊去勢しても、そのネコは事故や病気により、どこかで命を落とします。

TNRは「ネコの死を見たくない」という感情を満たすために、ネコに対して安楽死のような安寧な死ではなく、苦痛を伴う無残な死を強いるものです。

避妊去勢を盾にして外飼いを正当化するのは、結局ネコのためでもありません。

見えない所で必ず起こる終末から、目をそむけ続けています。

加えてTNRは、ごく小規模な閉鎖環境を除けば、すべてのネコに実施されることが現実的には期待できません。

屋外での餌付けが継続される場合、TNRを実施していないネコの移入と繁殖によって、問題を解決せぬまま延々と避妊去勢を実施するループに陥ってしまいます。

野生動物には環境収容力という言葉がありますが、野外で生活するネコにもこれが当てはまります。

TNRを実施する地域であっても、周辺で繁殖したネコの移入によって結局環境が養えるネコの数の上限が維持されてしまいます。

「ただ避妊去勢する」という選択肢単独では、ネコの外飼いが生む問題を永遠に解決できないのです。

実は法的にも十分には説明できないところがあります。

ネコを捕まえて避妊去勢すればその主体が責任を持って管理する存在(占有物)として一般的には認識されるものですが、その後の面倒を見ずに屋外へ放出すればそれは「遺棄」にあたるのではないか、という疑念があります。

近年、現実的な計画も無く殺処分ゼロを掲げる行政のトップが増えています。

受け入れを拒む保健所、TNRという手法、地域ネコという曖昧な用語が出てきた理由が、こういったトップの発言である地域も多くあります。

複雑にして問題解決を遠ざけ、事態を悪化させているだけです。

近年ではネコをNPO等に譲渡するようなシステムを組み始めた自治体もあるのですが、残念ながら優良で資金力のある団体ばかりではありません。

殺すよりは良いだろうとネコを引き受けた団体が、避妊も去勢もせずに飼育して繁殖が進み、猫屋敷と化している例も既に聞こえています。

ネコを引き受けた個人や団体は永続するものではなく、引き取った人が倒れたり団体が消滅してしまえば、引き取り手の無いネコが残ります。

ネコの引き取りに対価を求め、あるいは寄付金を募って、引き取ったネコは放出するというような団体も出てくるかも知れません。

ネコの譲渡や売買の条件についても十分なルール作りが必要です。

必要となる飼育環境や予算等について引き取り手に十分な情報を伝えず、在庫処分を優先するような譲渡・売買事例も多く存在します。

数字でなく、現在の不十分なシステムをこそ議論する必要があります。

浅はかな票稼ぎのために長期的なネコとヒトの福祉を犠牲にするようなトップを選んでしまわぬよう、候補者の意見の具体性や現実性をしっかりと確認しましょう。

⑥ 動物愛護法の改善点

簡単にまとめますと、動物愛護法には以下のような改善が必要です。

・ペットを室外に出す場合は首輪とリードをつけることを義務付ける
・ペットの飼育に関して届出を義務付ける(あるいは譲渡者や販売店の義務とする)
・屋外での置き餌を禁止する
・販売や譲渡は避妊あるいは去勢されたネコであることを原則とする

実はこれらは既に動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)の第七条に似た文言が書いてあるのですが、努力目標止まりで罰則規定が無いために具体化が遅れています。

この部分に踏み込む必要があります。

動物の販売及び譲渡については、禁止事項を具体化して罰則を強化し、いずれ取り扱いに免許制度を導入する形が理想的です。

これらによって「誰が責任を持って対応するのか」が明確になります。

⑦ 現在外飼いしている場合

現在外飼いをしている人には、現行法の下では以下のような対応を促すべきでしょう。

・家の外でエサをやらない
・家の中へ入れるネコを減らす
・室内で生活する割合が高いネコを完全室内飼いに移行する
・あるいは次の子ネコから完全室内飼いにする
・完全室内飼いのネコを飼い始めたら、他のネコは室内に入れない
・当然その後も、家の外でエサをやらない

外飼いを続けている人は、なかなかやめられません。

それは当然問題なのですが、社会的にそれが許容されていた期間が長かったことを踏まえ、解決には時間がかかることを想定しなければなりません

あるべき姿でネコが人との関係を持てるようになるには、適切な考え方と提案を多くの人に届ける必要があります。

一部の農家(畜舎)では、ネズミ対策のためにネコを飼育している場合があります。

その場合は別のネズミ対策手段をとるか、ネコが敷地外へ出ないよう十分な対策をとってもらうように働きかけることが重要です。

畜舎周辺でのネコの飼育は、飼育動物にとってもネコにとっても人にとっても衛生的ではありません。

もちろん基本的にやめたほうが良い行為です。

⑧ 何を問題とすべきか?

ネコの問題が取り上げられた際に批判にさらされるのは大抵、安楽殺処分を実施している機関です。

しかし保健所や動物愛護センターは実際のところ外飼いの結果生じた問題の被害者に近い立場であり、公的な問題を解決するために汚れ役を押し付けられている場所です。

職員は好んでネコを殺処分しているわけではありません

特に、勤務している獣医師は多くの葛藤を抱えているはずです。

心を痛めながら社会のためにと働いている人に対して非難や攻撃を加えるのは人道ではありません。

相手が違うのです。

批判すべきは、ネコへの無責任な接し方、それを擁護する意見、そしてそれを可能にしている法制度のほうです。

屋外でネコに餌付けする行為、自分が養っている猫を屋外に出す行為をこそ問題としなければなりません。

参考:米国専門家の意見

今生きているネコは、いつか命を落とします。

人の手による安楽殺以上に人道的な命の終え方は、屋外にはありません

何もかも助かるような甘い選択肢は、現実には存在しません。

安楽殺されるネコではなく、餌付けや外飼いをどのように減らすかへ視線が注がれなければ、救えない命が増えていくのです。

本来は環境省が十分にリーダーシップをとって制度環境を整えなければならないのですが、環境省も愛護団体による攻撃を恐れている様子が感じられます。

環境省は地方の事務所を含めて2000人程度の、国の機関としては極めて小規模な部署ですから、連日攻撃を受ければ多岐にわたる重要な業務がストップしてしまいます。

「殺処分数」にばかり批判が集中する状況が続けば、行政的なリスクを軽減するために、見えない無残な死を増やす方向へ環境省も簡単に傾いてしまうでしょう。

そうであるとすれば、ネコとヒトとの健全な関係の構築を真に阻害するのは?

ネコの死に動揺し、怒りの矛先を見誤った人の感情なのかも知れません。

ネコと人のあるべき関係、そしてネコの今後を真に思うのであれば、状況と選択肢を冷静に分析し、的確に意見する態度が必要なのです。

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オオカミの導入という夢

シカやイノシシのような大型哺乳類の増加による問題に対し、国内にオオカミを導入して対応すればよいのではないか、といった意見がちらほら見られます。

オオカミという生物の生態や現在の日本の状況から、実現性や効果を考えてみます。

① 海外での導入例

オオカミの再導入についてはイエローストーン国立公園の例がよく取り上げられます。

イエローストーン国立公園では、1926年の確認を最後にオオカミが絶滅していた期間がありました。

その結果、エルクのような偶蹄目の採食圧によって植物が大きく圧迫され、その環境の変化によって他の多くの生物が影響を受ける状態となったため、1995年にオオカミの再導入が開始されました。

ソース:イエローストーンの計画書(大きいので注意)

再導入はすんなりと進んだわけではなく、地元の牧場との補償面での合意や環境保護団体からの反対、いくつかの訴訟を経て実現に至っています。

現在ではオオカミが絶滅していた期間に見られた影響が軽減されていることが確認されています。

一方、家畜への被害とオオカミによる人身被害が発生・増加しており、この点については今後も課題となっていくでしょう。

ソース:再導入例について紹介する国内の報告

② オオカミ導入の効果は

イエローストーンと日本のオオカミ導入は、実は、目的が全く異なります。

イエローストーンの場合は「公園の観光資源(植物)へのエルク等による悪影響を管理するコストの低減」と「新たな観光資源(オオカミ)の作出」という目的でした。

イエローストーン国立公園内ではハンティングが禁止されており、周辺からハンターに追われた偶蹄類が公園内に集結してくるが、狩猟解禁は公園の性質上難しい、という背景もあったようです。

一方日本の場合は、ほぼ「シカやイノシシの農林業被害対策」としてオオカミの導入を考える傾向にあります。

これは重要なことですが、イエローストーンではシカ等の農林業被害軽減を目的にオオカミを導入したという認識は全くありません

目的が異なれば、方法の効果は全く異なります。

日本は逆に「生態系への影響の軽減」を実質的な目的としたシカ管理の予算をほとんどつけておらず、山林内のシカについては放置している状態です。

日本国内の農業被害はシカとイノシシを合わせて100億円程度で、イエローストーンでのオオカミの試験的導入の予算は7億円程度を見込んでいました。

ソース:イエローストーンの計画書(大きいので注意)

イエローストーンの面積が約9000㎢ですので、日本の山林面積に換算すると導入コストは単純計算で約200億円となり、大赤字です。

加えてイエローストーンには、公園管理のためのスタッフと設備(及びその予算)がもともと整った環境がありました。

ちなみにオオカミ導入により農林業被害がゼロになるわけではありませんし、オオカミ導入による農業被害上マイナスの効果も考えられます。

オオカミを導入する場合は、オオカミが人家付近に出て来ないようにコントロールされることが前提となるはずです。

このため、山林内のオオカミに圧迫されてより「より安全な」農地や都市近郊にシカやイノシシが逃げ出してくる可能性があります。

これは、人の誤射を恐れ山奥に入って捕獲を行うハンターが増えたことによって里地周辺に獣が集まる状況と同じ構図です。

農業被害に加え、交通事故のような人身被害も増加する可能性があります。

農林業被害を抑えたいのであれば、まずは被害を受けた農家が自分で捕獲できるよう対策環境を整備(リンク先⑥)するのが先でしょう。

生態系サービスの観点での損害を考えるのであれば、オオカミ導入を議論するより先に、対象とする生態系サービスの価値や損害を算出し、シカ管理を目的とした十分な予算と体制の確保を議論すべきでしょう。

シカの管理にすら十分な体制と予算がついていないのに、より困難なオオカミの管理を増やそうというのでは本末転倒です。

③ オオカミ導入の生態学的リスク1

イエローストーンと日本のオオカミ導入は、全く環境が異なります。

イエローストーンは北米大陸で陸続きのカナダから再導入されましたが、日本の場合は海を隔てた海外から導入されます。

これは実はかなり重要な観点です。

多くの動植物種や感染症が共通で移動も自由である環境か、そうではない全く別の環境であるか、というとても大きな違いがあります。

問題はまず、狂犬病をはじめとする感染症です。

検疫の期間を十分な配慮と共に取る必要があり、現地での捕獲、空輸や餌の管理、一時保管等のコストが北米の事例よりも多大になることが予想されます。

動物園等の飼育個体を用いれば良いという意見もあるかも知れませんが、人に馴れた大型の肉食獣は極めて危険で、人身被害や人家周辺への出没リスクが非常に大きいため、これらの放獣は選択肢に入りません。

飼育個体はシカやイノシシの捕獲方法を十分に学ぶ機会が無いため、自然な餌を十分に得られず、人工的な環境の楽な餌に集中する可能性が高いのです。

加えて、導入種と絶滅種との生態学的な差に関する問題があります。

絶滅してしまったニホンオオカミは、タイリクオオカミの亜種であるとされています。

日本に導入する際の候補として挙がっているのは、このタイリクオオカミです。

しかし、ニホンオオカミとタイリクオオカミの間にはツキノワグマとヒグマ(リンク先①)並みのサイズの開きがあります。

  ニホンオオカミ エゾオオカミ タイリクオオカミ
生息地 本州以南(絶滅) 北海道(絶滅) ユーラシア大陸
体長 95-115㎝ 120-129㎝ 100-160㎝
体高 56-58㎝ 70-80㎝ 60-90㎝
体重 15㎏   25-50㎏

北海道に生息していたエゾオオカミについては、大型であり、遺伝的にも大陸の亜種とかなり近縁であったことが明らかになっています。

このため導入に関する真剣な議論は、北海道、特に知床国立公園に偏ります。

ソース:知床博物館1
ソース:知床博物館2

しかし本州への導入については「再導入」とは呼べません。

ソース:IUCNのガイドライン

オオカミの導入を提言する一部の研究者は「絶滅種のサンプルが少なく、分類が正確でない」ことを根拠として「同種である」と表現し、本州への「再導入」は問題ないという、かなり論理が破綻した意見を示しています。

本州での導入を考える場合は、ニホンオオカミの「生態学的代用」という観点でタイリクオオカミの導入が議論されることになります。

つまり「一つの道具である」という考え方です。

IUCNのガイドラインでの趣旨は「生態学的に機能を代用する種であるべき」というもので、その候補として亜種や近縁種があると述べているに過ぎず、遺伝的に見て亜種の関係であれば何でも良いと言っているわけではありません。

亜種なら何でも良いのであれば、タイリクオオカミの1亜種である「イヌ」でも問題ないという考え方になります。

生態学的な機能を考えた場合、サイズというのは非常に重要な因子です。

タイリクオオカミを本州に導入した場合、他の大型~中型獣への圧迫、そこから派生する影響の偏りは、ニホンオオカミと全く異なるものになるでしょう。

ニホンオオカミのように亜種に分かれた後に長い時間が経過している種では、生態学的に許容できる範囲の類似性を持つ種は存在しないと考えるべきです。

イヌを見れば分かりますが、サイズが同じでも性質や行動は全く異なります。

エゾオオカミを見ても、タイリクオオカミが亜種の関係だからと言って、北海道内で時間をかけて適応してきた生態学的機能と大陸の中で適応してきた生態学的機能の間には当然差があります。

一般に、大陸の生物を島国に移動させる行為は、逆に比べてインパクトが大きくなる傾向にあります。

陸続きの環境での再導入は「放っておけばいずれ入ってくるものを加速させる」だけの作業ですが、海を越えるものは意味が全く違うのです。

④ オオカミ導入の生態学的リスク2

同じ地域に同種を導入する場合であっても、人の活動や外来生物の定着等の変化により、時代や年代によってその種の振る舞いは異なってきます。

例えば、シカやカワウのように、一時期絶滅を危惧されるほど減少した在来種が現在急激に増えているのは、シカやカワウが変化したのではなく人的要因や環境、生物間の相互作用が変化したためです。

日本の国土のほとんどは、イエローストーンのように自然なバランスのまま残されてきた環境ではありません。

国内の環境や生物種の構成は、オオカミが絶滅した後の100年でどれほど変化したのでしょうか。

現在の環境に送り込まれたオオカミはどのような振る舞いを見せるのでしょうか。

オオカミが定着した後に何が起こるのか、問題が生じたとしてそれが生じる分野はどこなのか、規模と範囲はどれほどか、コントロールにどれほどのコストがかかるのか、そもそもコントロールできる類の問題なのか。

分かっているのは、それらが誰にも分からないという事実だけです。

マングースやオオクチバスのように、生物を導入する場合、問題が生じるのは期待した効果以外の予期しない側面であり、自分よりも後の世代になって、長期にわたる困難な問題となる場合が多いことを忘れてはいけません。

これらの失敗は「分かっていたらやらなかった」し「分からなかったから失敗した」ものです。

当時の生物学者は、当時知り得ることは知っており、当時考えるべきことは考えており、そのうえで失敗しているのです。

こういった失敗の歴史を踏まえて、自分が知らない現象、現行の科学が知らない結末を避けるために、予防原則が叫ばれています。

一部に見られる「同じオオカミだから大丈夫だ」という意見は、生物の不確実性と現行科学の限界、自分の無知をリスクとして認識できていません。

巨大な損失を未来の世代に残す可能性を秘めた「生物の導入」は、他のどんな施策よりも慎重であるべきなのです。

生物の振る舞いというのは、全く明らかになっていない幾千幾万の種との相互作用とバランスによって現れてくるからです。

⑤ オオカミ導入の社会的なリスク

生態学的な課題を解決したとしても、もう一つ大きな課題が残っています。

それは、人や社会との軋轢です。

オオカミは100~1000㎢程度の非常に広大なナワバリを形成します。

そんなナワバリを許容できる場所はあるのでしょうか

例えば100㎢の範囲を考えると、ほぼ直径11㎞の円の面積に相当します。

日本の地図を見てみましょう。

北海道に関しては可能性がありますが、本州以南では国道や都府県道にほぼ間違いなくはみ出してしまいます。

そこには、オオカミがいないことを前提とした無数の生活があります。

何より、シカやイノシシの問題を解決すべき現場のほとんどは、山奥ではなくそういった道沿いに存在しているのです。

オオカミは家畜、犬、人に対して被害を出しますが、周辺の住民に対して「家畜の柵を強化しろ」「犬の外飼いや散歩を控えろ」などと要求はできません。

そんな環境にオオカミを抱えれば、遭遇や人馴れ、被害が多発してオオカミはすぐに駆除・根絶の対象となり、導入者は訴訟に追われるでしょう。

日本でのオオカミは在来生物ではなく、シカ等の管理コスト軽減のために導入される「道具」であるため、「種を残すこと」は導入の目的にはなりえません。

被害に対する補償やオオカミの生息域の把握・管理を含めたコストは、シカ等の管理コストとは別に(恐らくはより大きな規模で)発生します。

人身事故も、扱いが非常に難しいものになります。

ツキノワグマのように在来の生物であれば「昔から存在するリスク」として許容できる部分がありますが、導入したオオカミが人身事故を起こせば、その責任は導入した者にあります。

イエローストーンのような「訪問者の自己責任」という意見は出てきません。

もう一点不安視されるのは、人馴れ個体や人身事故を起こした群れなど、危険な個体が生じた際に、日本の現状で的確にそれを除去する技術と人材を確保できるのか、という部分です。

特に、広い範囲を移動する特定個体の捕獲は困難を極める作業で、シカの捕獲すら難航している国内の状況を見ていると、広い範囲をカバーした対応は不可能であるように思えます。

イエローストーン国立公園のように、広大で、土地の管理者が単一であり、オオカミが観光資源として有益で、優秀なスタッフと財源が既にあり、範囲内の人間が全てビジターである環境は、日本にはどこにもないのです。

農業被害対策としても、生態系サービスの管理を目的としても、社会的な措置や運用に関するコスト、問題の処理業務が膨大となるため、オオカミの導入は費用対効果の極めて低い対策オプションとなるでしょう

⑥ そもそも定着できるか

オオカミは現在、多くの先進国で保護されています。

その事実からも明らかですが、オオカミは広大な生息域を必要とする種であり、簡単に定着できる種ではありません。

ニホンオオカミが絶滅した理由は諸説ありますが、犬由来の感染症、餌資源の不足、人為的な駆除、生息域の分断等の複合的な要因が挙げられています。

このうち改善されていることが期待できる要因は餌資源の不足だけです。

一方、犬由来の感染症、生息域の分断、人為的な駆除については環境がむしろ悪化していると考えるべきでしょう。

犬の飼育頭数は戦後から増え続けています。

ソース:厚労省統計

100年前に比べて犬の予防接種等の環境が改善したとはいえ、犬の頭数増と不顕性感染の増加、道路の整備による山林と人家の接近により、ジステンパーやパルボのような犬の感染症がオオカミへ伝播する可能性は高くなっていると考えられます。

生息域と駆除についても、地図を見れば分かります。

100年前に比べて圧倒的に道は整備され、その結果山々は区切られており、人の生活圏が道に沿って広がっています。

ツキノワグマですら見かけただけで駆除の対象となり、野生動物の交通事故が多発するこの国は、オオカミにとって極めて危険な生息地です。

導入されたオオカミは在来ではなくただの「道具」としての存在ですので、一度被害が出れば駆除を誰も止められず、見かけただけで捕獲が検討されかねません。

これらの理由で、現在の日本にオオカミは十分に定着できそうに思えません。

定着したとして、保護が必要なほど弱々しいものになると考えられます。

もしオオカミを実際に導入する場合でも、現実的には極めて狭い範囲に限られるのではないでしょうか。

そしてそれは当初あった、農業被害の軽減や生態系サービスの維持という目的からは全く見当はずれで不十分な範囲と規模になってしまうはずです。

こういった目的から乖離した事業の終着点は様々な場所で見られます。

近年ではジビエがその例です。

オオカミについては幸い、法制度の問題や原産国との調整といった事務的な課題が多く、本気の実施へは動いていません。

ここから起こりうるのは、実際にはできないのに放獣予定としたタイリクオオカミの飼育や、再導入地の現地視察というような行き止まり事業、無駄遣いです。

これらについては、引き続きしっかりと監視しておく必要があるでしょう。

⑦ なぜこのような意見が?

これまで見てきたように、国内へのオオカミの導入については大きな矛盾とリスクが存在します。

ではなぜ、オオカミの導入を推進する研究者がいるのでしょうか。

一つは、やはりイエローストーンという導入例です。

国内には大型の捕食者が存在しない(クマ類はほぼ植物食:リンク先①)ため、それらの保全や管理に関わりたいと考える研究者が、イエローストーンの管理体制に憧れを抱き、無理に導入を進めようとしているように感じます。

もし導入が進展すれば、それを進めていた研究者は当然この分野の中心となって独占的に研究でき、身内の就職先として管理スタッフを配置できるというような絵も描いているかも知れません。

研究者も人間ですので興味や願望は当然ありますが、これは日本の自然環境と地域住民の生活の場を実験場とする発想であり、全く擁護できません。

もう一つは、メディアや学生等の集客力です。

オオカミの復活という言葉にはかなりのインパクトがあり、導入の課題等の詳細を知らない素人の取材者が「良いアイディアだ」として取り上げる傾向があります。

大型肉食獣に興味がある学生は多く存在するため、研究室や大学そのものも集客効果が見込めるのです。

オオカミの導入を進めようとする研究者には、いくつか特徴があります。

一つは、オオカミの導入に関するコストや効果等について、捕獲を含むその他の被害抑制手法との現実的な比較をしない点です

あったとして、たとえばオオカミがシカだけを捕食し森林面積ぎちぎちに群れが配置されるような、かなり希望的な試算が基になります。

海外における再導入は陸続きの地域で行われるものばかりなのですが、日本においては海を越えた再導入になるという手法の特殊性にも触れません。

人身被害についてもかなり楽観的であり、詳細な分析が無い点も特徴です。

オオカミの擁護者となって「安全である」という意見のみを繰り返し、論理的な被害リスクの説明が無いのです。

オオカミの人身被害は、周辺環境やオオカミの個体数に当然影響を受け、人の土地利用や人口密度、それによる人馴れにも影響を受けます。

日本に導入した場合どの程度の被害が予想されるのか、シナリオを分けて提示すべきでしょう。

問題の効率的な解決に興味がなく、オオカミの導入そのものが目的であるためにこのような傾向になるのではないかと思います。

願望が先に立ち、理屈が後付けなのです。

もし導入を実現させたければこういった詳細な分析は隠さずに出したほうが良いと思うのですが、この分野の研究者もそろそろ撤退の準備を考え始めているのかも知れません。

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相手を知らないという恐怖 「クマ」

近年、国内でクマ類による人身事故のニュースをよく聞くようになりました。

シカやイノシシと同じく、クマも近年生息分布を拡大しており、個体数も増えてきていることが予想されます。

今回はそのクマについてまとめます。

クマという生き物は危険な存在なのでしょうか。

① 日本のクマの基本

実は、日本には2種類のクマ類が存在しています。

ヒグマとツキノワグマです。

ヒグマ

ツキノワグマ

生息分布 北海道 本州 四国
体長 平均 180cm 平均 130㎝
体重 平均 100~200kg 平均 60~100kg

※体長は鼻の先から尾の付け根までの長さのこと

どちらも主に植物質の食べ物を餌としていることや、冬眠すること、出産が冬眠中で産子数が1~2頭であるところは同じです。

しかし大きさが全く異なり、それが人身事故の結果にも影響しています。

人身事故が起こった場合、ヒグマでは襲われた方の37%が死亡しているのに対し、ツキノワグマでは襲われた方が死亡したのは全体の2%程度です。

ソース:日本クマネットワーク報告

実は事故発生時の結果も、種によって大きく異なるのです。

 

② クマの実際のリスク

それではクマ類はどれほどの死者を出しているのでしょうか。

以下の表は、人が遭遇する様々な死因の年間の死者数を比較したものです。

死因 全国の死者数
ツキノワグマ+ヒグマ 平均 約1人
平均 約2.5人
落雷 平均 約3人
毒蛇(主にマムシ) 平均 約5人
狩猟事故(自殺除く) 平均 約6人
ハチ(主にスズメバチ) 平均 約30人
遭難(行方不明含む) 平均 約250人
他殺(殺人) 平均 約600人
交通事故 平均 約5,000人
自殺 平均 約30,000人

ソース:環境省クマ類対策マニュアル
ソース:警察白書
ソース:人口動態統計

実際には、クマ類は他の死因に比べて死者をあまり出していません。
(ただし上の表のクマの事故データは平成18年までのものであり、以降の10年では年間2人程度になるかもしれません)

全国的にクマの被害が多かった平成26年は、年間124件のクマによる人身事故が発生しました。

その際「山菜採りやキノコ採りの際はクマに注意しましょう」と注意喚起がなされましたが、実は山菜やキノコによる食中毒は同年235件発生しています。

ソース:植物性自然毒による食中毒
ソース:日本クマネットワーク報告

数字上は、クマよりも山菜やキノコを食べることのほうが危険なのです。

また同じ大型哺乳類で見ると、シカは「交通事故」という形で人身事故を発生させています。

例えば、ヒグマの人身事故件数は年間数件ですが、エゾシカの交通事故は年間2000件弱発生しています。

ソース:エゾシカの交通事故
ソース:ヒグマの人身事故

クマ類は見た目や先入観から、多くの人にリスクを過大に見積もられているのかもしれません。

我々はよく混同しますが「怖さ」と「危険性」は別なのです。

実際の数字をもとに考えると、安全のための対策について圧倒的に優先度が高いのは、実はシカのほうなのです。

③ 攻撃の意図

ではクマ類は安全かというと、そうではありません。

実際に事故も発生しており、比較的小型のクマ類であるツキノワグマであっても、その気になれば簡単に人の命を奪うことができます。

2016年に秋田で発生した人身事故では4名の方が命を落としており、ツキノワグマが人を獲物と認識して襲撃したものと考えられています。

しかしそういった積極的な襲撃例は非常に珍しく、ツキノワグマに限っては、2016年のものが正確な記録としては初かも知れません。

国内には1万数千頭のクマが生息しているとされており、積極的な攻撃は過去数十年においてたった1件です。

人を餌と見なした攻撃がほとんど見られず、クマ類による死者が比較的少ないのは、クマ類が基本的に人を恐れ、近づいてこないからです。

人がクマを恐れるように、クマも人を恐れます。

国内の事故のほとんどは、偶然が重なって人とクマが近距離で出会い、クマが自身や子の防衛を目的とした攻撃を起こしたものです。

わざわざクマが人に接近して攻撃する行為は、その行動を起こすほどの差し迫った理由があるために発生します。

統計上は表に出てきませんが、大部分の事故が親子グマによるものでしょう。

突然1頭のクマに襲われたという報告が見られますが、親グマは人の注意を自分へと逸らすために威嚇や攻撃に踏み切り、小グマは木に登っているか藪に隠れているため被害者が気づくことは少ないので、このような報告になりやすいのではないでしょうか。

ではクマを相手に、人はどのような対策が必要なのでしょうか?

④ 予防のために

クマの事故に対して「襲われた時にどうすれば良いか」という発想は意味がありません。

状況、相手、襲われた人によって最善手が異なりますし、襲われたようなあまりに急な場面において、その状況把握と最善手の実行が普通の人には現実的に不可能だからです。

クマと出会う可能性を下げること、襲われるような場面を避けることが、最も効果を期待できる対策です。

基本的な対策は以下のようなものです。

・山林や自然公園等へ行く際は鈴やラジオを持っていき、複数人で行動する
・人が長時間いないような場所で車を降りる際は、周りをよく見てから降りる
・農山村においては民家付近の不要な柿、栗、竹を伐採する
・生ゴミや漬物等を自宅周辺に放置しない

「クマに人の存在を気づかせ、そこから移動するよう誘導する」
「クマが人里周辺に集まってくることを防ぐ」

というのが人身事故予防上の最善手です。

闇雲にクマを怖がる前に、これらの対策を実施しましょう。

多くの事故は「クマなんてこの辺にはいないだろう」という思い込みが遠因です。

クマは行動範囲が広く、本州、四国、北海道の山地であればどこにでもいると考えるべきです。

しかし十分な対策を実施していても、クマが存在している限り、リスクを完全にゼロにすることはできません。

では、人の生活圏に近いところなどではクマを捕獲し除去してしまうべきなのでしょうか?

⑤ 捕獲すれば安全?

クマが目撃された場合、多くの自治体で捕獲が検討されます。

「危ないから周辺から取り除いてくれ」という住民の意見をもとに、行政的な対応として捕獲が計画されます。

ところが、あまり知られていませんが、捕獲という行為はそれ自体がかなり危険な行為なのです。

例えば

・銃による捕獲を実施し、半矢で逃がしたor市街地に追い出した

・罠による捕獲を実施し、子グマが捕まった
・銃による捕獲において、子グマへ発砲した

というような場合、クマが自身や子の防衛のために非常に攻撃的になり、逆にとても危険な場面を作り出してしまいます

ソース:岐阜大学のクマ対策ページ

捕獲とは、自然状態で大きな危険を持たないクマを、非常に危険な状態に追い込む最終手段なのです。

野生動物は(誰のものでもない)無主物であるため、山林での偶発的な人身事故は予防をしなかった本人に責任がありますが、捕獲に起因する人身事故の場合、捕獲を実施した者の責任です。

一番大きな問題は、捕獲を計画する者、捕獲を要望する者、捕獲を実施する者がみなクマの生態や対応、リスクに関する正確な情報をほとんど持っていないという状況にあります。

クマ類は山林に広く生息しており、行動範囲も広く、捕獲し尽くすことはできません。

「危ないから捕獲をする」のではなく、逆に「捕獲をするから危ない」という状況が多く生じてしまっているのです。

実際、クマによる人身事故の件数には捕獲されたクマに関連するものが多く含まれています。

クマ類は行動範囲が広く明確なナワバリを持たないため、1頭捕獲したからといって周辺にクマがいない証明にもなりません。

一方で実際には、忘れてはいけませんが、捕獲しなければならない個体も存在します。

それは人とエサを関連付けて学習してしまったような個体です。

人がクマにエサをやったり、人の生活圏でエサを得続けてしまったような個体は「人の近くに行けばエサを得られる」と人に積極的に近づき、攻撃にも転じる場合があります。

この行動の変化は米国の自然公園のクマで多く確認され、以降は餌付けやクマの生息域でのゴミの放置等が非常に危険な行為であるということが常識となっています。

⑥ 行政システム

クマにはどのような対応の仕組みがあるのでしょうか。

実は、野生動物に専門的に対応する部署は行政内にほとんど存在しません。

クマの場合、事故が発生した際に行政の環境や農林の部署、警察、消防等が現場に駆け付けます。

ところが、これらの部署の人員はクマを含む野生動物関連の危機管理について専門的な知識や技術をほとんど持っていないのです。

よく猟友会という狩猟者団体が対応に当たっているように報道がなされますが、実際に現場で判断するのは行政で、猟友会は捕獲をする人員にすぎません。

加えて猟友会は「山林の中で獲ること」については一定の技術を持っていますが、緊急対応については素人であり、危機管理の専門家ではありません。

近年では猟友会の中でもクマを捕獲する人がほとんどおらず、日ごろ鳥などを狩猟している人が銃を持っているというだけで現場に出ている場合もあります。

そもそも、クマによる死者よりも狩猟事故による死者の方が多いのが現状です。

一部の先進的な自治体を除けば、危機対応はほとんど素人のみで実施されています。

もし行政に何かを要望する場合、それは捕獲ではなく、行政組織内に専門家をしっかり抱え、対応や判断を的確に行える体制整備が先でしょう。

クマは人身事故をめったに起こさないため、ここに必要以上のコストをかける事は避けなければなりませんが、都道府県レベルであれば野生動物のリスク管理専門の行政職員の配置を検討しても良いのではないでしょうか。

⑦ 知るという対策

クマに対して万全の対応や絶対に襲われない方法はありません。

ただ、多くの人がクマの生態やリスク、事故の予防方法を十分に知っており実施しているかと言えば、そうではありません。

クマを必要以上に怖がる人や危険性を叫ぶ人は、基本的な情報を得ていないことが多いように感じます。

ところが、こういった基本的な情報を拡散することは大きなメディアには期待できません。

多くの人がクマにおびえて怖がっているほうが、視聴者・購読者を呼び込みやすく、広告収入につながるという構図があるからです。

これは他の分野にも言えることですが、メディアは元来、的確な情報の普及より先に危機感を煽りやすい性質を持っています

クマの事故は程度に限らずほぼすべてニュースに取り上げられますが、自殺者や交通事故のような見慣れた情報がすべて報道されることはありません。

クマ類の研究者(自称)のような、自身の著作や記事を売るためにクマのリスクを過大に煽る者も出てくるかも知れません。

クマはにスポンサーもなく、猛獣のイメージがあるために恰好の的です。

「人がなぜクマのリスクを過大に見積もるのか」は、クマの問題ではなく人側の情報の流れに大きな理由があるように思います。

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大型哺乳類によって生じる問題の背景

近年、シカやイノシシ、クマといった大型哺乳類が引き起こす問題が大きく報じられるようになってきました。

草を食むシカ

農作物や林産物を食べてしまったり、交通事故を起こしてしまったり、ダニやヒルを増加させてSFTSのような感染症を蔓延させる間接的な原因になってしまったりといった問題です。

ヤマビル

シカについては森林内の草木を食べてしまい、森林の持つ土砂災害を防ぐ機能や水を保持する機能を低下させてしまうことも問題となっています。

シカの影響  柵の内側だけ植物が残っている

環境省の調査においても、近年すべての大型哺乳類で生息分布が拡大し、個体数が増加している可能性が示されています。

リンク:環境省の生息分布調査資料
リンク:環境省のイノシシ・シカの個体数推定資料

大型哺乳類について、なぜこのような状況になったのか、調査した結果をご報告します。

① 山林利用の減少

シカやイノシシが人里に出てくるのは森林の開発によって山に餌がなくなったからだ、という意見をよく耳にします。

実際にはどうなのでしょうか。

以下は、農林水産省及び経済産業省の統計から作成したグラフです。

リンク:農林水産省統計ソース
リンク:経済産業省統計ソース

どうやら事実は大きく異なります。

第二次世界大戦の後、日本は薪や炭といった山林で得られるエネルギー源から石油や石炭といったほぼ輸入に頼ったエネルギー源への変化を遂げています。

加えて国内の木材生産に伴う伐採も、近年は戦後最少という状況です。

日本は木材生産のために、天然林を切り開いて人工林を増やしていく「拡大造林」という政策をとっていましたが、それも50年も昔の話で、近年になって大型哺乳類の出没が増加した理由にはなりません。

つまり、現代の森や山は人の手が入らなくなった状況であり、その中で大型野生哺乳類の増加が起こっているのです。

② 狩猟者の減少

現代における大型哺乳類の天敵と言えば、狩猟者です。

その狩猟者も危機的な状況にあります。

以下は、環境省の統計情報から全国の狩猟者数の推移を示したグラフです。

全国の狩猟免許所持者数の推移

狩猟者は昔に比べて減少していますが、下げ止まっているように見えます。

ところが、実際はどんどん危機的になっています。

以下は岐阜県のニホンジカ第二種特定鳥獣管理計画内のグラフです。

岐阜県の狩猟登録者の年齢構成の推移

リンク:岐阜県ニホンジカ管理計画

一つの地方自治体のデータですが、狩猟者の年齢構成の山がどんどん高齢のほうへ押し流されているのが分かります。

捕獲者の数が持ちこたえたとしても、高齢者マークをつけた狩猟者が大半という状況になってしまうことが予想されます。

山林での動物の捕獲という危険かつ労力の大きな作業を、高齢者に依存しかねない状況になっているのです。

② 狩猟者の減少 続き

なぜ狩猟者は減少しているのでしょうか。

狩猟者に聞いた際によく聞くのが以下の内容です。

・怪我をした、体力的にきつくなった
・猟銃の所持が厳しくなった
・肉が売れなくなった

狩猟は体力を使う作業であり、怪我や衰えで引退するのは致し方ありません。

問題は新しい世代が入ってこない状況のほうです。

データで見ると、昭和50年代に若い世代が参入しなくなっていったのは肉の価格に原因がありそうです。

以下のグラフは、全国の豚の枝肉生産量と岐阜県の狩猟登録者の推移を重ねてみたものです。

狩猟免許所持者数(岐阜県)と枝肉生産量の推移

リンク:豚の枝肉生産量ソース
リンク:岐阜県イノシシ管理計画資料編

豚の枝肉生産量がピークに向かうタイミングで、狩猟者が激減しています。

特にイノシシは豚と非常に味が近く、肉として競合します。

職業としての狩猟者がいなくなったのは、畜産の復興による肉の価格の下落が大きな原因でしょう。

戦前はそれなりに畜産が発達していたようですので、第二次大戦終戦直後の獣肉の需要はむしろ戦争の混乱による特別なものだと考えられます。

畜産の肉が安定的に供給されている現在の状況が通常と考えるべきかも知れません。

現状では、狩猟で得た肉に十分な対価を得ることは難しいでしょう。

③ 鳥獣の保護政策

食糧難と毛皮の需要のため、実は戦後のニホンジカは絶滅を危惧されるレベルまで減少していました。

これまで狩猟が禁止された中型~大型の哺乳類と期間は以下の表のとおりです。

動物種 禁猟期間
ニホンジカ(メス) 1948 ~ 2007(全面解禁)
ニホンザル 1946 ~ 現在
ニホンカモシカ 1925 ~ 現在
ツキノワグマ 自治体によって禁猟期間あり

リンク:狩猟鳥獣の変遷(生物多様性センター)

現在は多くの自治体でメスジカの狩猟頭数の制限も解除されていますが、過去のメスジカの禁猟期間は個体数の回復に大きく影響したと考えられます。

一方で、イノシシのように禁猟期間が無いのに生息分布を広げている種もおり、当時の保護政策のみが問題であったとは言えません

これらの政策が無ければシカやサルが絶滅していた可能性もあります。

しかしこれらの生物が増加してしまった現在も、猟期が特定の期間に制限されており、狩猟により一年中捕獲ができるわけではありません。

この点については適切な形に見直す(リンク先③)必要があります。

④ ニホンオオカミの絶滅

ニホンオオカミの絶滅によって大型哺乳類の天敵がいなくなったことが、シカやイノシシの個体数増加の背景として指摘されています。

ニホンオオカミが最後に確認されたのは1905年です。

実際には最後の確認よりかなり以前に減少が始まっていたでしょう。

ニホンオオカミ絶滅の原因は、駆除や犬からくる伝染病、餌の枯渇等の複合的な要因だと言われています。

戦前は山林の利用が非常に活発であり、17世紀以降は猟銃の出現によってシカやイノシシの捕獲が高度になってきました。

この頃からシカやイノシシの天敵はオオカミというよりは人間だったと考えられます。

そしてニホンオオカミ絶滅の社会への影響は、猟師が多く存在している間(つまり近年まで)ほとんど議論されませんでした。

ニホンオオカミの絶滅が大型哺乳類増加の遠因になっていることは否定できません。

しかし過去100年程度の期間では、どちらかと言えば猟師の存在のほうが数の抑制に対して重要であったと見ることができます。

なお、オオカミの導入によるシカの抑制についてはこちらにまとめてあります。

⑤ まとめと今後の予測

大型哺乳類の増加はいくつかの要因の組み合わせで起こっています。

明らかなのは、人の状況を含め日本の環境が大型哺乳類にとって都合のよい状況になったために現在の問題が起こっているということです。

大型哺乳類は住処を追われたわけではなく、住処が拡大し、人の生活圏と重なるようになったために多くの問題を引き起こすようになりました。

今後はその生活圏の重複が続くことによって問題がさらに激しくなっていくと考えられます。

これまで大型哺乳類は人を警戒して同じ場所での活動を避けてきましたが、生活圏の重複が続けば人馴れが生じます。

ヒルやダニ、感染症、農業被害、交通事故は動物の分布拡大に伴って範囲が拡大していき、動物の人慣れによってこれらが悪化し、より深刻な状況が発生することを今後は覚悟しなければなりません

それを制御するためにも、正確な現状把握と根拠を伴った対策が必要なのです。

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