近年、国内でクマ類による人身事故のニュースをよく聞くようになりました。
シカやイノシシと同じく、クマも近年生息分布を拡大しており、個体数も増えてきていることが予想されます。
今回はそのクマについてまとめます。
クマという生き物は危険な存在なのでしょうか。
実は、日本には2種類のクマ類が存在しています。
ヒグマとツキノワグマです。
ヒグマ |
ツキノワグマ |
|
生息分布 | 北海道 | 本州 四国 |
体長※ | 平均 180cm | 平均 130㎝ |
体重 | 平均 100~200kg | 平均 60~100kg |
※体長は鼻の先から尾の付け根までの長さのこと
どちらも主に植物質の食べ物を餌としていることや、冬眠すること、出産が冬眠中で産子数が1~2頭であるところは同じです。
しかし大きさが全く異なり、それが人身事故の結果にも影響しています。
人身事故が起こった場合、ヒグマでは襲われた方の37%が死亡しているのに対し、ツキノワグマでは襲われた方が死亡したのは全体の2%程度です。
ソース:日本クマネットワーク報告
実は事故発生時の結果も、種によって大きく異なるのです。
それではクマ類はどれほどの死者を出しているのでしょうか。
以下の表は、人が遭遇する様々な死因の年間の死者数を比較したものです。
死因 | 全国の死者数 |
ツキノワグマ+ヒグマ | 平均 約1人 |
犬 | 平均 約2.5人 |
落雷 | 平均 約3人 |
毒蛇(主にマムシ) | 平均 約5人 |
狩猟事故(自殺除く) | 平均 約6人 |
ハチ(主にスズメバチ) | 平均 約30人 |
遭難(行方不明含む) | 平均 約250人 |
他殺(殺人) | 平均 約600人 |
交通事故 | 平均 約5,000人 |
自殺 | 平均 約30,000人 |
ソース:環境省クマ類対策マニュアル
ソース:警察白書
ソース:人口動態統計
実際には、クマ類は他の死因に比べて死者をあまり出していません。
(ただし上の表のクマの事故データは平成18年までのものであり、以降の10年では年間2人程度になるかもしれません)
全国的にクマの被害が多かった平成26年は、年間124件のクマによる人身事故が発生しました。
その際「山菜採りやキノコ採りの際はクマに注意しましょう」と注意喚起がなされましたが、実は山菜やキノコによる食中毒は同年235件発生しています。
ソース:植物性自然毒による食中毒
ソース:日本クマネットワーク報告
数字上は、クマよりも山菜やキノコを食べることのほうが危険なのです。
また同じ大型哺乳類で見ると、シカは「交通事故」という形で人身事故を発生させています。
例えば、ヒグマの人身事故件数は年間数件ですが、エゾシカの交通事故は年間2000件弱発生しています。
クマ類は見た目や先入観から、多くの人にリスクを過大に見積もられているのかもしれません。
我々はよく混同しますが「怖さ」と「危険性」は別なのです。
実際の数字をもとに考えると、安全のための対策について圧倒的に優先度が高いのは、実はシカのほうなのです。
ではクマ類は安全かというと、そうではありません。
実際に事故も発生しており、比較的小型のクマ類であるツキノワグマであっても、その気になれば簡単に人の命を奪うことができます。
2016年に秋田で発生した人身事故では4名の方が命を落としており、ツキノワグマが人を獲物と認識して襲撃したものと考えられています。
しかしそういった積極的な襲撃例は非常に珍しく、ツキノワグマに限っては、2016年のものが正確な記録としては初かも知れません。
国内には1万数千頭のクマが生息しているとされており、積極的な攻撃は過去数十年においてたった1件です。
人を餌と見なした攻撃がほとんど見られず、クマ類による死者が比較的少ないのは、クマ類が基本的に人を恐れ、近づいてこないからです。
人がクマを恐れるように、クマも人を恐れます。
国内の事故のほとんどは、偶然が重なって人とクマが近距離で出会い、クマが自身や子の防衛を目的とした攻撃を起こしたものです。
わざわざクマが人に接近して攻撃する行為は、その行動を起こすほどの差し迫った理由があるために発生します。
統計上は表に出てきませんが、大部分の事故が親子グマによるものでしょう。
突然1頭のクマに襲われたという報告が見られますが、親グマは人の注意を自分へと逸らすために威嚇や攻撃に踏み切り、小グマは木に登っているか藪に隠れているため被害者が気づくことは少ないので、このような報告になりやすいのではないでしょうか。
ではクマを相手に、人はどのような対策が必要なのでしょうか?
クマの事故に対して「襲われた時にどうすれば良いか」という発想は意味がありません。
状況、相手、襲われた人によって最善手が異なりますし、襲われたようなあまりに急な場面において、その状況把握と最善手の実行が普通の人には現実的に不可能だからです。
クマと出会う可能性を下げること、襲われるような場面を避けることが、最も効果を期待できる対策です。
基本的な対策は以下のようなものです。
・山林や自然公園等へ行く際は鈴やラジオを持っていき、複数人で行動する
・人が長時間いないような場所で車を降りる際は、周りをよく見てから降りる
・農山村においては民家付近の不要な柿、栗、竹を伐採する
・生ゴミや漬物等を自宅周辺に放置しない
「クマに人の存在を気づかせ、そこから移動するよう誘導する」
「クマが人里周辺に集まってくることを防ぐ」
というのが人身事故予防上の最善手です。
闇雲にクマを怖がる前に、これらの対策を実施しましょう。
多くの事故は「クマなんてこの辺にはいないだろう」という思い込みが遠因です。
クマは行動範囲が広く、本州、四国、北海道の山地であればどこにでもいると考えるべきです。
しかし十分な対策を実施していても、クマが存在している限り、リスクを完全にゼロにすることはできません。
では、人の生活圏に近いところなどではクマを捕獲し除去してしまうべきなのでしょうか?
クマが目撃された場合、多くの自治体で捕獲が検討されます。
「危ないから周辺から取り除いてくれ」という住民の意見をもとに、行政的な対応として捕獲が計画されます。
ところが、あまり知られていませんが、捕獲という行為はそれ自体がかなり危険な行為なのです。
例えば
・銃による捕獲を実施し、半矢で逃がしたor市街地に追い出した
・罠による捕獲を実施し、子グマが捕まった
・銃による捕獲において、子グマへ発砲した
というような場合、クマが自身や子の防衛のために非常に攻撃的になり、逆にとても危険な場面を作り出してしまいます。
ソース:岐阜大学のクマ対策ページ
捕獲とは、自然状態で大きな危険を持たないクマを、非常に危険な状態に追い込む最終手段なのです。
野生動物は(誰のものでもない)無主物であるため、山林での偶発的な人身事故は予防をしなかった本人に責任がありますが、捕獲に起因する人身事故の場合、捕獲を実施した者の責任です。
一番大きな問題は、捕獲を計画する者、捕獲を要望する者、捕獲を実施する者がみなクマの生態や対応、リスクに関する正確な情報をほとんど持っていないという状況にあります。
クマ類は山林に広く生息しており、行動範囲も広く、捕獲し尽くすことはできません。
「危ないから捕獲をする」のではなく、逆に「捕獲をするから危ない」という状況が多く生じてしまっているのです。
実際、クマによる人身事故の件数には捕獲されたクマに関連するものが多く含まれています。
クマ類は行動範囲が広く明確なナワバリを持たないため、1頭捕獲したからといって周辺にクマがいない証明にもなりません。
一方で実際には、忘れてはいけませんが、捕獲しなければならない個体も存在します。
それは人とエサを関連付けて学習してしまったような個体です。
人がクマにエサをやったり、人の生活圏でエサを得続けてしまったような個体は「人の近くに行けばエサを得られる」と人に積極的に近づき、攻撃にも転じる場合があります。
この行動の変化は米国の自然公園のクマで多く確認され、以降は餌付けやクマの生息域でのゴミの放置等が非常に危険な行為であるということが常識となっています。
クマにはどのような対応の仕組みがあるのでしょうか。
実は、野生動物に専門的に対応する部署は行政内にほとんど存在しません。
クマの場合、事故が発生した際に行政の環境や農林の部署、警察、消防等が現場に駆け付けます。
ところが、これらの部署の人員はクマを含む野生動物関連の危機管理について専門的な知識や技術をほとんど持っていないのです。
よく猟友会という狩猟者団体が対応に当たっているように報道がなされますが、実際に現場で判断するのは行政で、猟友会は捕獲をする人員にすぎません。
加えて猟友会は「山林の中で獲ること」については一定の技術を持っていますが、緊急対応については素人であり、危機管理の専門家ではありません。
近年では猟友会の中でもクマを捕獲する人がほとんどおらず、日ごろ鳥などを狩猟している人が銃を持っているというだけで現場に出ている場合もあります。
そもそも、クマによる死者よりも狩猟事故による死者の方が多いのが現状です。
一部の先進的な自治体を除けば、危機対応はほとんど素人のみで実施されています。
もし行政に何かを要望する場合、それは捕獲ではなく、行政組織内に専門家をしっかり抱え、対応や判断を的確に行える体制整備が先でしょう。
クマは人身事故をめったに起こさないため、ここに必要以上のコストをかける事は避けなければなりませんが、都道府県レベルであれば野生動物のリスク管理専門の行政職員の配置を検討しても良いのではないでしょうか。
クマに対して万全の対応や絶対に襲われない方法はありません。
ただ、多くの人がクマの生態やリスク、事故の予防方法を十分に知っており実施しているかと言えば、そうではありません。
クマを必要以上に怖がる人や危険性を叫ぶ人は、基本的な情報を得ていないことが多いように感じます。
ところが、こういった基本的な情報を拡散することは大きなメディアには期待できません。
多くの人がクマにおびえて怖がっているほうが、視聴者・購読者を呼び込みやすく、広告収入につながるという構図があるからです。
これは他の分野にも言えることですが、メディアは元来、的確な情報の普及より先に危機感を煽りやすい性質を持っています。
クマの事故は程度に限らずほぼすべてニュースに取り上げられますが、自殺者や交通事故のような見慣れた情報がすべて報道されることはありません。
クマ類の研究者(自称)のような、自身の著作や記事を売るためにクマのリスクを過大に煽る者も出てくるかも知れません。
クマはにスポンサーもなく、猛獣のイメージがあるために恰好の的です。
「人がなぜクマのリスクを過大に見積もるのか」は、クマの問題ではなく人側の情報の流れに大きな理由があるように思います。
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